第六十八話 謎めいた訪問者
「──集中が切れているよ、ジル」
ポンッと肩を叩かれ、注意される。大人が子供を優しく叱るようなその声に、少年は閉ざした瞼をそのままに、顔を上へ。
「うへぇ〜い」
気の抜けた返事を返せば、赤毛の彼は困ったように微笑んだ。
聖地へとやって来て、かれこれ二週間。突然の客人として招待された彼らには特に予定がなく、まあしかし好都合だということで、今はジルの特訓に励んでいた。なんの特訓か。それはもちろん決まっている。
「で、以後、予知夢の方はどうなのよ?」
ベッドで座禅を組むジルを遠目から眺めつつ、ミーリャは紅茶を啜り、そう問うた。その傍らにはこの屋敷のメイド――ラディルの姿があり、黙々と洒落た小テーブルに菓子などを用意している。
上から順にクッキー、ケーキと生菓子、サンドイッチなどを盛られた三段のケーキスタンドが、いい味を出している。
ジルは目を開けた。そうして、何してるんだと言いたげな顔で、ティータイムを嗜んでいるミーリャを見やる。
「おま、迷惑かけんなよ……」
「迷惑ではないのよ。客人として当たり前のもてなしを受けているだけなのね」
「仕事中のラディルさんに無理矢理やらせてんの知ってんだからな」
ジトリと目を細め、それからため息を一つ。
ジルは雑な動作で後ろ頭をかきながら、小さく肩を落とした。この少女はどうしてこう、態度がでかいのやら……。
「……予知夢の方は、まあ、とりあえず見たい時に見れる、ようにはなったかな。でもやっぱ短すぎて何が起きてるのかわからん。断片的な映像がバッて流れる感じ?」
「お前の集中力がなさすぎるのよ。しっかり特訓に励むのね」
「やってるっつの」
ぶすっとしながら文句を吐き捨てる。
なかなか上手くいかないからか、ちょっと苛立っているようだ。些細な言動にすらイライラしてしまう自分に気づき、どうしようもないなと、少年は再びため息を吐き出す。
これでは予知夢習得どころか、仲間割れに発展してしまいそうだ。落ち着かないと。
「……ジル様。少し休憩にしましょう? やりすぎも体に毒よ。ほら、クッキーどうぞ」
少年の憤りを感じ取ったらしい。アランが座っていた椅子から立ち上がり、小洒落た皿を片手に掴む。そのままジルの傍に寄り、手にしたそれを差し出した。
突きつけられた皿からは、香ばしい香りがした。鼻腔を擽るその香りは、どうやら焼き菓子のようだ。見れば、綺麗に型抜きされたクッキーがそこにある。
一部クッキーがスライム型(顔まである)なのに疑問を抱きながら、ジルは礼を一つ。適当なクッキーを指先で摘み、口の中へと放った。程よい固さと仄かな香りに、気分がすぐに沈静化されていくのを感じる。
「うまーっ! これ、ラディルさんが作ったんですか?」
「いえ、私は製菓は苦手です。こちらはイーズ様がお作りになられました」
「ぶっ!!」
ミーリャが吹き出した。それ程衝撃的だったのだろう。そのまま悲しくも噎せている。
少女の口より噴出された紅茶をテキパキと拭うラディルを尻目、アドレンが「スライムは俺が作った」と一言。楽しげに親指をたてているのが、妙に腹立たしく感じる。いや、というか──……
「……にーに、料理できたの?」
「おうよ! にーにだって料理くらいはできるぜ」
「あ、そうなんだ。へぇー」
と言いつつ、そっとスライムクッキーを皿の端へと移動させる。
「てか意外ね。あの人料理できるんだなぁ」
「はい。イーズ様は料理がお上手です。腹立たしいことに。──製菓については、主様が甘いものを好まれるため覚えたそうです」
「へぇ、主様って甘党なんだ? てか、腹立たしいって……」
メイドの本音に口元が引き攣る。
しかし、彼女は特に気にしていないようだ。会話を続けるべく口を開く。
「主様は仕事の合間、息抜きがてらにメーラ様やベル様と甘いものを食しています。それ以外の時にも、気が向いたらお食べになっているようですね。そういうお姿を、何度か見かけております」
「ベル様?」
「アーサー・ベル。皆様はお会いしたことがあると伺いましたが……」
ああ、そやつか。皆の表情が若干険しくなる。
「あのババアも甘いものなんて食べんだな。こりゃ驚きだ」
「口が悪いわよ、にーに」
ケケケッ、と笑うアドレンをすぐさま咎めるアラン。そんな2人を視界、「ババア?」と首を傾けるラディルは困惑しているようだ。整った眉間にシワを寄せている。
「ラディルさん?」
不思議に思い、彼女の名前を呼んでみた。ラディルはすぐに「はい、なんでしょうか?」と顔をあげる。その眉間には既にシワがない。表情の変化早すぎだろと、ジルは思う。
「あー、いや、なんかお悩みのようだったから……」
「そうですか? 恐らく気のせいかと。……それより、お茶のおかわりを用意してきます。他に必要なものはございますか?」
問いかけに対し否定を返せば、ラディルは一度頷き、軽く一礼。「失礼します」と、サービスワゴンを押し、退室。
無機質な音と共に閉ざされる扉。たちまちしん、と静まり返った室内で、皆は互いに顔を見合わせ合う。
「……ラディルさんって、とても不思議な人よね」
なんて言ったのはアランだ。
アドレン作のスライムクッキーを食べた彼女は、ゴリゴリと妙な音をたてながら口内に放り込んだそのクッキーを噛み砕く。
固そう、痛そう、なんて思ったのはジルだけではないはず。現にミーリャはうえっ、みたいな顔をしている。可愛い顔が台無しだ。
「……それを言うなら、この屋敷の奴ら皆不思議なのよ。掴みどころのない輩ばかりでうんざりするのね。感情表現も下手だし、あれじゃあまるで人形。接することすら疲れてくるのよ」
「本当に人形だったりしてな」
「笑えない冗談だ」
全くだ。
呆れた風なオルラッドに、少年は頷くことでその言葉に賛同しておく。
2人に否定されたアドレンは、口を尖らせ拗ねていた。かと思えば、腹いせにと皿に盛られたマフィンを片手で鷲掴み、ガツガツと歯をたて食らいついている。
大の大人が情けない。そしてマナーがなっていない。
アランが冷めた目でアドレンを見つめる中、ジルは人知れず肩を竦めた。竦めた直後、彼の頭上の耳がピクリと動く。
「──ん?」
洩れたのは、疑問を含んだ小さな声。振り返った少年は、翡翠の瞳を数回瞬き、窓際に駆け寄った。磨き抜かれたガラスに両手を当て、それ越しに眼下を見下ろす。
そうすることで視認できたのは、晴れやかな空の下、広がる緑豊かな庭と、庭と外界とを隔てる門の向こう側にぽつりと存在する黒だった。一瞬記録くんかと思ったが、ここから見える程の大きさなのだ。まず間違いなく、彼ではないだろう。だが、だとしたら、あれは一体……。
鎌首をもたげるように曲がったそれ。そっと手のような何かを門に向かい伸ばす姿に、身震いする。理由はわからないが、とりあえず恐ろしいと感じたのだ。
門に触れ、そして弾かれる黒。ぐにゃりと歪んだそれは、退避するようにどこへなりと消えていく。
「……なんだ、あれ?」
ぽつりと呟き、獣耳に片手を触れる。
どこからか、誰かの笑い声が、聞こえた気がした……。




