第六十話 等価交換は大事です
蝋燭に灯された炎が揺れていた。暗い室内を照らす仄かなその明かりは、決して数が多いわけではない。故に、少しばかり頼りなく思える。
その場に集った者全ての足音が室内に響く中、彼女は顔を上げた。角膜の存在しない、作り物のように白い眼が、前方を見据え細められる。
「……よう来た。客人よ」
クロスのかけられた簡易テーブルに手を置き、指を絡ませながら、彼女は嗄れた声を発した。明らかな老人のそれに、眉をひそめたのはさて、誰だったか……。
漆黒のベールを被る老婆は、まさに占い師といえよう姿形をしていた。色素の抜け落ちた長い髪に、黒い衣服。老婆の手元にはタロットカードの束と占い用の小道具が用意されている。
あれで占うのだろうか。そんなことを考えれば、少しばかりわくわく感が出てきた気がする。
椅子に深く腰掛けたまま立ち上がる素振りすら見せない彼女に、情報屋があからさまにビクつき、傍らにいたアランの腕にしがみつく。適当な木に括りつけられ放置された彼からしたら、既にこの老婆は恐怖の対象でしかないのだろう。
アドレンとオルラッドにより左右を包囲された青年が嫌そうな顔をしているのを尻目、ジルが1歩前へ。緊張を無視するように頭を下げてから、言葉を紡ぐ。
「こ、こんにちは。あの、あなたが、アーサー・ベルですか……?」
「そうでなかったとしたら、なんだと?」
低い声色。無駄な質問を良しとしないそれに、知らず知らず口元が引きつる。それをなんとか片手で抑制しながら、ジルは咳払いを一つ。
「し、失礼しました。──単刀直入に伺います。アーサー・ベル。聖地への道中に存在する暗雲について、何かご存知ですか?」
「何かとはなんだ? 奴の今いる位置か? 体内に取り込まれた生物のことか? それとも見上げるだけではわかりもしない、空高くに存在する、奴の頭のことか?」
からかうように老婆は問う。その問いに、ジルは悟った。
いや、ジルだけではないだろう。この場にいる誰もが悟ったはずだ。彼女は確実に、何かを知っていると……。
「……教えてください。暗雲、あれは一体なんなんですか? 一体どうやったら、奴を倒せるんですか?」
「……クッ、クククッ」
肩を震わせ、老婆は笑う。滑稽とも言いたげに、ただ、嗤う。わらう。ワラウ……。
「倒す? 倒すと言ったか? よもや小僧、貴様の口からそのような言葉が出てくることになろうとはな」
何がそんなに可笑しいというのか。相変わらず椅子に腰掛けたままの状態でクツクツと喉を鳴らす老婆に、自然と表情が歪んだのが自分でもわかった。よく知りもしない、初対面の他者に理由もわからず笑われる。誰だって嫌悪を表すに決まっている。
少年の不機嫌を察したのか、老婆は軽く伏せ気味だった顔を僅かにあげた。彼女の白い眼球は何もうつさない。しかし確かに、その目は己の前方に存在する者を見つめている。
「なんだ? 機嫌を損ねたか? 貴様のように価値なきものにも感情はあると、そう言いたいのか? だとしたらなんと愚かなことか。愚かすぎて涙が出てくるわ」
「めちゃくちゃ腹立つ婆さんだな……」
敬語を使うのも馬鹿らしくなった。一度気を取り直してから、ジルは頬を引き攣らせつつ老婆に詰め寄る。
「そんなことより早く教えてくんねーかな? 暗雲のこと、知ってるんだろ?」
「何を言う。私より貴様の方が知っているだろうに……」
「いや、知らねーし」
何言ってんだこのババアと、心内で文句を垂れる。口が悪いのはご愛嬌。今さら気にしたところで治す気力もないので許して欲しい。
生意気な少年の態度に飽きが来たのか、老婆は視線をその後方へ。未だ捕らわれたままの青年へと顔を向け、目を細める。
「なんとも面白いことになっているではないか、管理者よ。久方ぶりにやって来たかと思えばよもや捕らわれ連行されてこようとは……主様にいい土産話ができそうだ」
「殺しますよ」
「そういきり立つでない。貴様は相変わらず冗談が通じんな。可愛げの欠片すら見当たらん」
即座に返された、切り捨てるような殺害宣告。肩を竦めた老婆に、フンッと鼻を鳴らして青年は視線を横へ。そっぽを向いて沈黙する。どうやら取り合う気はないようだ。
ならば標的をかえようと、老婆は視線をその隣へ。赤毛の剣士と白髪の悪役を交互に見たあと、ジルの傍らで腕を組む桃色の少女に目を向ける。
「ほう、なんと哀れな」
嘲笑すら交じる短い言葉。ミーリャは無言で、睨むように老婆を見返す。
「己の役目すら見失いかけているか。それが正しいことではないと、気づいているのだろう? ならばなぜ貴様は足を止めているのだ、小娘」
「……」
「……ふん、まあよかろう」
観察は終わったようだ。最後にぐるりと室内にいる全ての者を見回してから、ようやく老婆は話を進める。
「さて、貴様ら愚鈍な生命体がここを訪れたのは、そこな小僧が言う通り暗雲について調べるため。それで合っているな?」
返事は聞かず、老婆は続ける。
「ならば話は早い。教えてやろう。ただし、条件が一つ」
「なんなのよ」
先を急かすようにミーリャが言えば、老婆はケタケタと笑いながらシワだらけの片手を前へ。尖った爪先で示すように指を一本だけあげ、動きを止める。
「事が済み次第で構わん。それを聖地へと赴かせろ」
それ、と、あたかも人でない無機物なるものを指すよう示されたのは、赤毛の剣士ことオルラッドだった。紫紺の瞳を瞬く彼に指先を向けたまま、老婆は言う。「条件が飲めぬのならばこの話は終わりだ」と。
いきなりすぎて着いていけないとは正にこのこと。思わずテーブルに両手をついたジルは、上半身を乗り出すように体を傾かせながら老婆に詰め寄る。
「ちょっ、待て待て待て! なんでオルラッド? なんで聖地? そこんとこ教えてくれたってよろしいんでなくて!?」
「喚くな小僧」
近い位置での大声は、いかな老婆といえど堪えるのだろう。僅かに眉を寄せ、彼女は喧しい少年へと根絶丁寧に説明を施してやる。
「そこな輩はまこと珍しきものを持っている。生まれ持ったそれは例え手に入れようともがいても手に入らぬ代物だ。故に私は、奴に聖地へ赴けと言いたいのさ」
「だからなんで!?」
「理由など考えればわかろうて。そこな管理者と同じよ。そ奴は特別。そういうことだ」
わけのわかっていないジルとは打って変わって、他の面々は老婆の言葉を理解したようだ。オルラッドを見て、青年を見て、それからまたオルラッドを見て、あーね、と言いたげに頷いている。
オルラッドもオルラッドで察してはいるようだが、彼の方はキャパオーバーらしい。額に手を当て混乱に目を回しながら、「なん、なんで、俺、え?」と呟いている。
なんとまあ、珍しい光景だ。かなり狼狽えている。見ていて非常に面白い。だがここで笑えば後が怖いのであえて真顔を貫いておく。
「アーサー。正気ですか?」
悩む剣士を睨むように見つつ、青年は老婆へと声をかけた。険しいその顔には、あからさまな嫌悪が浮かべられている。
わかりやすい奴だ。老婆は口元を歪ませ、笑んだ。
「正気も正気。紛れもなく本物だ。貴様と同等、否、それ以上になるやもしれん」
「……ご冗談を」
「そう嫌悪するでない。なに、悪い話ではないはずだぞ。上手くいけば主様がようやっと長き眠りより解放されるやもしれんのだからな」
「……ほう?」
それは確かに悪い話ではない。主の目覚めを今か今かと待ち続けてきた彼にとって、喜ばしい話であるのは確かだ。
青年は少し考えた。考えてから、漸く混乱の解けてきたオルラッドを振り返る。
「──で、答えは?」
発されたのは、促すような一言。
問われた剣士は軽く視線をさ迷わせてからジルを見た。今の自分は彼に従う身。勝手な判断はよろしくない。
そんな思考に気づいているのかいないのか、ジルは向けられた視線に答えるよう笑みを浮かべた。それから、「好きに決めていーぞ」と告げる。
「だが、ジル……」
「オルラッドの人生にまで口出しとかしないって。俺たちのこととか諸々抜きにして、自分の好きな方選んでくれよ。どっち選んでも誰も責めないし。ただし、悔いは残さないよーに。そこだけ注意してくれ」
気を使った、そんな言葉に剣士は微笑む。不器用ながらも優しい子だと。
「……わかりました」
少し悩んだ後、彼が出した答えは聖地への進行。当然の答えだと言いたげに頷いた老婆は、「ならば教えてやろう」と口を開く。
「暗雲──アレはかつて、人間であったものだ」




