第四十六話 隠密行動はすぐバレる
ズズッと響くのは鼻水を啜る音。寒さのせいで赤くなった鼻を抑え、少年は気恥ずかしげに獣耳を垂れた。ああ、なんて情けない姿を晒したのだろうか。
子供とはいえ心は大人。……とまではいかないが、青春を生きる青年くらいの年齢である。さすがに泣くのは恥ずかしい。しかもよりによって見た目は可憐な少女の前で……。
ジルは頭を抱えた。つい先ほどの自分を穴に埋めてやりたいと、羞恥に喚く。その喚きが耳に障ったようだ。隣を歩くミーリャが、不機嫌を貼り付けた顔を彼に向ける。
「なにか、言いたいことでも?」
「滅相もございません!」
少女らしからぬ鋭い眼力に耐え兼ね、少年は叫ぶ。頭部の獣耳の動きが若干荒ぶっているが、さて大丈夫なのだろうか。
動き回るそれを視界、ミーリャは瞳を細めた。口にはしないものの、不愉快だと言いたいことは容易に察することが可能だ。ジルは素早く獣耳を抑える。
「ふん。心配しなくとも、お前の哀れとも言える、究極的なまでに情けない姿なんて誰にも言わないのよ」
「いやぁ、別にそこは心配してないんだけど……」
「ああ゛?」
「とっても、心の底から心配してました! いやぁ、ミーリャさんには頭が上がりませんな! ハッハッハッ!!」
もはや自分のキャラすらわからなくなってきた……。
白い街中、大袈裟なまでの高笑いを披露するジル。それこそ恥ずかしい案件ではないのかと思わせてくれるそんな少年を、遠くより観察する者が一人いた。
獣族だ。狐の獣族。緑の衣服にその身を包んだ獣族は、手にした双眼鏡を用い、離れた位置にいるジルたちを視線で追っている。その意図はわからないがしかし、特に悪事を働こうとしているわけではなさそうだ。
獣族は一度双眼鏡を外し、頭をかく。それから、懐から取り出したメモ帳を見下ろした。
「……よくわからんねぇ」
紡がれた声には、疑問が含まれる。
「なーんであんなちびっ子が? 本当にあんなのにどうにかできんのか? オイラには、普通の坊ちゃんにしか見えねえが……」
メモ帳に記載された、『ジル・デラニアス』の文字を尖った爪先で軽く叩く。すると、その文字の下に新たな文字が出現。『北国首都、ダリオン』と記されたそれを見て、獣族は首をかしげた。
「対象を間違ってるってわけじゃなさそうだし、益々わかんねーや。なんかあんのかねぇ、あの坊ちゃん……」
考えてもわからないことはわからない。
獣族は肩を落とすようにメモ帳を仕舞う。そして再び、双眼鏡を構えた。
「こんな遠方まで来て、なにが悲しくてあんなちびっ子カップル観察しねぇとなんねえんだい、全く。主様の頼みじゃなきゃ断固お断りだっての」
獣族は脳裏に『主様』の姿を思い浮かべ、獣耳と尻尾を垂れる。軽く涙ぐんでいるのは気のせいではないはずだ。
「ううっ、主様。なぜオイラだけこんな場所に……! ぐうう! ホームシックになってきた。ああ! 聖地に帰りたい! 帰れない!」
「あら、どうして?」
「どうしてったって、聖地までの通り道には今、暗雲がやって来て、て……?」
くるりと振り返る。そんな獣族の目前には、楽しげな笑みを浮かべる少女が一人。背後には護衛よろしく、比較的背の高い部類に入る、二人の男を従えている。
──あ、とてつもなくヤバイ状況だ。
獣族は察した。察して、この場からどう退避するかを考える。
しかしそんな彼の思考は簡単に読まれてしまい、退路を塞ぐように囲まれてしまった。なんて嬉しくない状況だろう。獣族は慌てる。
「ちょちょちょっ! なんなんですかい、アンタら!? オイラに何の用で!?」
「用? そうねぇ。聞きたいことがある、でも大丈夫かしら?」
人差し指をたてて告げた少女に、獣族は内心構える。なぜだろう。目の前の少女の纏う空気を、とても恐ろしく感じる。
「き、聞きたいこと?」
「ええ、そう。幾つかあるの。なぜこんな場所にいるのか。なぜコソコソしているのか。なぜジル様を付け狙っているのか……とかね?」
笑っているはずなのに目が笑っていない。そしてどこか、紡がれる声には棘がある。
向けられる真紅の瞳に、獣族はたまらず青ざめた。手にした双眼鏡を盾のように構える彼の耳は既に頭部に張り付き、尻尾は限界まで垂れ下がってしまっている。といっても、姿形が狐のため、青ざめたことすら目の前の彼女にはわからないだろう。
どうしたものか。考えるも、良い案は浮かばない。
「お、オイラ、普通に景色を楽しんでただけですぜ?」
「ホームシックな人が景色を楽しめるとは到底思えないわね。ああ、もしかして嘘をついているの? 困ったわ。私、嘘つきに本当のことを吐かせるのって、ちょっと苦手なのよね……」
本当に困った。そう言いたげに頬に手を当てた少女。空いたその片手には、いつの間に取り出したのかしなやかな棒が一本。
「まあでも、死なない程度に調教してあげれば、大丈夫かもしれないわ。痛いかもしれないけど、構わないわよね?」
「と、とても構いますっ」
獣族は数歩後退し、己の背後にある柵を視線だけで確認。
この状況は非常にまずい。これでもし、万が一にもあの方のことがバレれば、人が折角隠密行動していた意味もなくなってしまう。そうなったら叱られる。もっと酷ければ愛想を尽かされてしまう。そんな最悪な未来ほしくもない。
──そうなるくらいなら、いっそここで飛んでやる。
一か八か。危険な賭けだが、自分は獣族。ここから飛んで街に降り立ったならば足を捻るくらいはするかもしれないが、折れるよりはマシだろう。
やってみるかと、狐は小さな動作と共に両足に力を込める。そして、ほんの僅かに息を吐き出し……。
「逃げんなよ、狐」
かけられた声に、思わず肩が跳ねた。
慎重に、バレないようにと気をつけたにも関わらず、獣族の動きは簡単に見破られてしまったようだ。些細なその動作を目敏く見つけた男は、煙草をくわえ、気だる気な雰囲気を纏いながら、その奇妙な色の目を獣族へと向け、そして細める。
「うっかり焼いちまう可能性がある。動物愛好家の俺的には、あんまそういうのやりたくねーんだよな」
「ど、動物愛好家なら、見逃すって方法を選択してくれやせん?」
「うちのボスに目ぇつけた時点でお前さんの負けだよ。諦めな」
指を鳴らし、その先に小さな炎を出現させた男は、煙草に火をつけそれを吹かす。白い煙が音もなく天へ昇っていくのを視界、獣族はもごもごと口を動かした。
なんだか逃げ切れる気がしないと、彼の野生の勘が告げている。
「……っ、〜! わかりやした! 話せることは話しましょう!」
「あら、いい子ね」
褒められた気がしない。
むすくれたように腕を組む獣族を前、少女は柔らかに微笑んでみせた。
「とりあえず宿まで戻りましょう。さすがに外は寒いわ」
コートを着ていようとも、寒いものは寒い。
真っ白な両手をすり合わせた彼女に、男二人は賛同。獣族を囲んだまま、彼らは宿に向かって歩き出す。その姿はさながら、凶悪犯を囲む警察のように見えなくもない。
「……捕われた宇宙人の気持ちが、なんとなくわかった気がするなぁ」
獣族は呟き、肩を落とす。
彼の紡いだ言葉は誰に拾われるでもなく、冷えた空気中に溶け込んでいった。




