第三十七話 急に動けば舌を噛む
「──うぐぉおおお! 働け! 雑魚の俺が唯一誇れる予知夢の力よぉおおおお!!」
こめかみを抑え、叫ぶ少年。無駄に力む彼を小脇に抱えたまま、あらかた壊し終わった建物を眼下に、アドレンは煙草を吹かす。
今現在、彼らは敵の動きを待っている最中であった。というのも、これ以上の破壊を続ければ首都が崩壊しかねない事態になるからだ。
アドレンの傍ら、滅茶苦茶スッキリした顔のオルラッドは、その肩にポチを乗せたまま視線を空へ。いい仕事をしたと言いたげに、周りの空気を輝かせ、そして花を咲かせる。
「いや、驚いたな。まさかこんなにも破壊行動がスッキリするものだったとは……こういうのも悪くない」
「おい、誰かこの正義の皮かぶった悪役をなんとかしてくれ」
誰に言うでもなくボヤくアドレン。若干オルラッドから離れる彼から、ジルはそっと視線を逸らす。
一応言っておくが、オルラッドが悪しき行動に目覚めた原因は、ほぼアドレンにあるといってもいい。彼があそこまで煽らなければ、オルラッドとてこうなりはしなかったはずだ。多分。
俺は知らない。関わらない。
ジルは死んだ目で頭部の獣耳を折り曲げる。
「──ん?」
少年はふと、顔を上げた。
彼の翡翠の瞳は、破壊された街から、まだ比較的損傷の少ない住宅街(らしき場所)の方へと向けられている。
なんだろう、この感じは。
あそこに何かあるのか……?
「……にーに」
ジルはアドレンの名を呼び、反応を示した彼に指示を出す。
「あそこまで行ってくんない?」
「敵か?」
「いや、それは、わかんないけど……」
詳細は不明だが、しかし何かがあることは確かである。
勘というには、些か確信がありすぎる気がすると、悩ましげなジル。そんな彼の様子にクツクツと喉を鳴らしたアドレンは、吸っていた煙草を握りつぶし、飛び上がった。突然のその行動に、ジルは情けなくも舌を噛む。
「赤毛! お前さんはそこで待機してろ! ただし呼んだらすぐ来い!」
「わかった。五秒で行こう」
なんて会話だ。
全身を襲う浮遊感に奇妙な悲鳴をあげながら、ジルは必死の形相でアドレンの衣服を掴んだ。体勢が体勢のため、恐怖が七割も増している。
二度とこんな抱え方をしないでくれと、アドレンには後できつく……いや、涙と共に全力で頼むことにしよう。
密かに心に誓ったジル。そんな彼に、オルラッドの肩に乗るポチは、ひどく哀れみのこもった視線を向けていた。
建物の屋根と壁、それらを使用してのジャンプ移動。自分でやるなら幾分か楽しいそれは、抱えられてやられたらたまったもんじゃないと、ジルは学んだ。
胃が浮くような感覚に青ざめながら、地に足をついた少年。軽く目を回しかけている彼は、一度息を吐き出し、降り立ったそこを見回す。
オルラッドの無慈悲な攻撃が放たれていないその場所は、アドレンの放った物質が幾つか突き刺さっているだけで、大きな損傷は見受けられなかった。いや、それだけでもわりと大きいかもしれないのだが、あれに比べればまだ全然マシだろう。
巨大ハリケーンのせいで崩壊した街の一部を思い出し、ジルはため息を一つ。損害賠償請求されたらどうする気だと思いながら、片足を前にだした。
「──んぶっ!!?」
あげたそれが地につく前に、彼は顔面に衝突してきた『何か』のせいで、後頭部を地面にぶつけることとなる。
聞くだけで痛くなるような鈍い音をあげ衝突した地面と頭部。泣き叫びたくなるような痛みに声にならない声をあげ、少年は地面を転がる。
「いって! なんなんだよもう!」
涙目で打ち付けた後頭部を擦り、ジルは顔に張り付いていたものを引き剥がした。鷲掴みにしたそれを己の目の前へ持ってきた彼は、数秒停止。それから、驚愕に満ちた悲鳴と共に手にしたそれを投げ捨てる。
冷えた地面に落下したもの。それは、真っ白な骨だった。
見た目的に人間の手、だろうか。指先から肘部分までの長さがあるそれに腰を抜かした少年は、這うようにアドレンの元へ。よじ登るように彼の背を這い上がり、震えながらその逞しい肩にぶら下がる。
「んあ? お前さん、『ハンドマン』か?」
獣耳を垂れるジルのことなど微塵も気にすることなく、アドレンは落ちた骨に向かい、そう問うた。その問いかけに反応したのか、骨が動く。
指先を地につけ、そのまま歩くように移動する骨は、まるで犬のよう。犬のごとき愛らしさは皆無なので、そこが難点なのだが……。
「いや、どこのホラー映画ですか!?」
叫ぶジルを宥めるようにその頭に片手を置き、アドレンはしゃがみ込む。そうしてひょいと骨を拾いあげた彼は、その目を静かに細めてみせた。
「『ハンドマン』。お前さん、もう片方はどこいった? つか鎌は? アランはどうした?」
迫るアドレンに狼狽える骨、こと『ハンドマン』。 口がないために言葉を発せぬ彼は、ただ指先を動かすことしかできない。
とにかく今、危険が迫っていると、『ハンドマン』は人差し指で自らが飛んできた方向を指さした。必死な動きに首を傾げるアドレンとジルは、互いに顔を見合わせ、思考に耽る。
「……行けってことか?」
「そうかもしんない……」
違うっ!!、と言いたげな動作を見せた『ハンドマン』はしかし、哀れなことにその心情を察してはもらえなかった。
アドレンの手の中で激しく揺れ動き、残像を生み出すハンドマン。先行く二人を止めようと必死な骨の様子など気にすることなく、彼らはさっさと進んでいく。哀れなりハンドマン……。
若干項垂れた様子の骨のことなど露知らず、比較的大きな通りに出た二人は足を止める。そこで周りをぐるりと見回した彼らは、思わずと言ったように顔を歪めた。
二人の男が見る方向。そこには真っ白なワンピースを身に纏う少女がいた。桃色の髪を小さく揺らす彼女は、手にした骨――見るからにハンドマンのもう片方の手──に、無言で掌サイズの石を叩きつけている。
怒っている。間違いなく、怒っている。
ただならぬ少女の怒りを察知し、二人は冷や汗を浮かべた。ハンドマンは一体、彼女に何をしたというのか……。
「……行けよ、小僧。お前のガールフレンドだろ?」
行きたくないしガールフレンドじゃありません。
心の中でそう言うも、とりあえず話しかけなければ話は進まない。アドレンは既にその気がないのか素知らぬ顔を貫いており、この場にはジルしか、彼女に話しかけることができる人物が残らない。にーに、絶対許すまじ。
力強い拳が顔面に叩き込まれることを予想しつつ、ジルは少女の元へ。ごくりと生唾を飲み込んでから、小さな彼女に声をかける。
「み、ミーリャさん? 一体どうしたんです?」
なぜか敬語で問うた少年を振り返ったミーリャは、瞬間的速度で顔面をガードする少年に舌打ちを一つ。怯えるジルを見やってから、無言で立ち上がり、腕を組んだ。
「胸糞悪いのね。実に、不愉快極まりないのよ」
言わなくても分かるほどに表情を歪めたミーリャは、そのまま逃げようとしたハンドマン(の片手)を踏みつけた。好機を逃したハンドマンはその場で暴れ回るも、踏まれているため逃げることは不可能。
さすがにこの状態の彼女にやめてやれ、などと言える勇者はおらず、ハンドマン(の片手)はさり気なく見棄てられた。
「えーっと、俺達がマヌケだから怒ってる?」
「ふんっ、お前たちのマヌケさなど既に分かりきってることなのね。それに、今回の件はミーリャたちにも問題がある。お互い様なのよ」
さり気なく気にすることは無い、とフォローを入れてから、彼女は「そうじゃなくて」と本題を口にする。
「今、ミーリャが腸煮えくり返りそうな程イライラしてる原因は別にあるのね。この、ハンドマンか、よくわからん物質のせいで、ミーリャは外に連れ出された。それが気に食わんのよ」
ぐりぐりと踏みつけられる骨を眼下、語る彼女にアドレンが反応。軽く息を吐き出した彼は、後ろ頭を掻きながら口を開いた。
「あー、なるほどな。まあ、あいつらしいっちゃあいつらしいやり方だが……」
それでも自分を優先してもらいたかったものだと、兄は複雑な心境に陥る。
「……まあ、とにかく、今はあいつだ。どこにいるか教えてくれ。迎えに行く」
「案内するのよ」
「おー」
気だるげに答えたアドレン。その目の奥に、確かな怒りの感情が浮かんでいることに、気づいた者は、果たしていたのかどうか……。
三人がそんな会話をしている頃、一人残されたオルラッドは違和感を感じていた。
先程から、妙な気配がする。禍々しく、絡みつくような、だがどこか助けを求めるような、そんな気配。弱っているようで、けれどそうでないそれは、存外近くに存在しているようだ。オルラッドが見下ろす街中を、ゆっくりと移動している。
「このまま行けばジルたちと出会しそうだな。さて、どうするか……」
気配からして敵である可能性は十分にある。となると、早々に片しておいた方が得策だろう。
腰元の鞘に手を添え、彼は考える。
「──ヒヒッ、思考する意味などどこにある。既に答えはでているだろうに……」
突如としてオルラッドの鼓膜を震わせたのは、しわがれた男の声。楽しげに笑うその声にさして驚くこともなく、彼は背後を振り返った。
まず視界に写ったのは、黒。目の前に存在する者が身に纏う、漆黒に染められた長いローブの色だった。
声からして男だろうか。深々と、目深までフードを被った謎の人物に、オルラッドはそっと眉を寄せる。
「ヒッヒッ、行くがいいさ、忘却されし彼方の者よ。そうして己が欲望のままにその鋭き刃を振るうがいい。肉を裂き、骨を砕き、泣き叫び助けを乞う声すら無視して、殺して、殺して、殺して殺してころしてコロシテ──ヒヒヒヒッ!」
まともな人間、とは到底思えない動きと共に、男は紡ぐ。
その声に、言葉に、狂ったような笑いに、オルラッドは不愉快だと言いたげに瞳を細めた。
「殺すことこそ至高の悦び。切り取った肉の、その断面より噴き出す赤き魔水を見て、あなたは何を思う? 嬉しいのでは? 楽しいのでは? 心の臓を震わす程の快感が、体を貫くほどの快楽が、あなたを襲うのでは? では? では? ヒヒッ、ヒヒヒッ!」
両の手を擦り合わせ、笑う、わらう、ワラウ。
見ているだけで苛立つその動きに無言で剣を引き抜けば、男は驚いたような動作を一つ。自分を、オルラッドを、その手に握られた凶器を指差し、首を傾げる。
「殺す、殺すのですか? 私を、あなたが? ヒヒッ」
「……去れ。俺はそこまで気が長くない」
「気が、長く、ないっ! ヒヒャッ!」
何がそこまでおかしかったのか……。
腹を抱え、男は笑い転げた。だがすぐに立ち上がる。無駄に俊敏なその動きに、さすがのオルラッドも一歩引いた。
「ええ、ええ、知っているとも、知っていますとも! ヒヒヒッ! 短気故にあなたは怒った! 今まで尽くし、尽くした、そんな己を、意図も容易く忘れ去り捨て去った輩共に、天罰よくだりたまへと存在するかもわからぬ神なんぞに祈ったのだ! ヒヒッ!」
狂い狂った感情のままに叫ぶ男。彼の言葉は尚も続き、止まらない。
「しかし、しかししかししかぁああし! あなたのその脆弱なる魂はそれを認めはしなかった! 故に! 愚か者共に仇なすことを躊躇した! よって! あなたは別の方法で自分を救うことにした! 己が『悪』と定める者を! 殺す! 殺す! 殺す! その、時こそっ! あなたは、あなたは、あなたはぁああッ!!」
異常なまでに背を反らせた男は、急に動きを止めた。かと思えば、突如その姿勢を元に戻し、静かな声でこう告げる。
「結果としてあなたは──他者を傷つけることで悦びを感じる、哀れなる狂人と成り果てたのだ」
気づいた時には、オルラッドの目の前に鮮血が舞っていた。その血は男のもので、しかし、そんな男を傷つけたのはオルラッドではない。
ローブの男は自ら、己の体を傷つけたのだ。
布越しに、自らの胸元に両の手を突き刺し、そのまま躊躇することなく肉を引き裂いた男。左右に広げるように開かれたそこから覗くのは、グロテスクな断面、ではなく、飲み込まれそうな程に深い闇。
裂けた皮膚から滴る赤がその闇に呑まれていくのを視界、オルラッドは後退する。
──逃げろ。
誰かがそう、言っている気がした。これはあまりにも危険だと。
だが、同時にそれを許さないと言うように、別の誰かが告げる。
──逃げるな、と……。
「祝福と、祝福を。甘美なる『死』を与えよう! 狂い人を救うべく、狂人へ、狂人に、我が心血を与え奉らんッ!!」
大きく両腕を広げた男の体から飛び出したのは、無数の鎖。勢いをつけて向かい来るそれを剣で弾き、オルラッドは横に飛ぶ。体を捻り、しゃがみ、跳び、そうして鎖を避けていく彼の様子に、ローブの男はその頭を震わせた。
悲しんでいるのか、喜んでいるのか、それとも……。
「ヒヒヒッ! ヒヒヒヒヒッ! 愚か愚か愚か愚か愚かぁああ!」
張り上げられた声には、複数の感情が入り混じっていた。頭を抱えたまま、尚もその体から鎖を放出する男を見て、本体を先にどうにかしようと心に決めたオルラッドは、剣を握る手に力を込める。
冷や汗が頬を伝う。アドレンと対峙した時には感じなかった、妙な感覚。纒わり付くそれを振り払わんと、彼は一度舌を打った。
「なぜ祝福を拒む? 拒む? 拒む!? 『死』こそ救い! 『死』こそ解放! 『死』だけがあなたをそのどん底から救い上げてくれる! なのに、なのになのになのにぃいいいっ!!!」
叫んだ男の動きが止まった。共に停止した鎖に軽く目をやったオルラッドの頬に、氷のように冷たい手が触れる。
それは、彼に恐怖を与えた。『死』という名の、恐怖を。
底冷えするような寒さに動くことすら出来ぬオルラッド。その整った顔を覗き込むように、ローブの男は彼に顔を寄せる。
「──ギュェエエエッ!!」
突如響いた奇妙な声に、男は跳躍。飛び込むように突進してきたポチを避けると、心底不思議そうに首を傾げた。傾げすぎて顔の位置がかなりおかしなことになっているが、今はそんなことを指摘する程の余裕はない。
いきなりのポチの登場になんとか意識を戻したオルラッドは、剣を構え、駆け出す。襲い来る鎖を確実に交わしながら男の前に飛び出した彼は、そのまま、剣先を沈めるように男の顔を貫いた。
「──ヒヒッ」
聞こえたのは、痛みにより発される悲鳴ではなく、小さな笑い声。
一度、力を無くしたように垂れた男の手は、すぐに動作し己の顔を貫く剣をわし掴む。皮膚が切れることなど気にすることなく、強く刃を握りしめ、そのままゆっくりと、押し返すように己が頭を前に出した。
引き抜こうにも引き抜けない、押し返そうにも押し返せない。地についた靴裏が地面に擦れるのを感じ、オルラッドは歯噛みした。
「あなたは、祝福を、受け入れて、故に私は、最高に、最大な、『死』を、与えるのだッ!!!」
握りつぶすように剣の刃を破壊した男は、そのまま体内から新たな鎖を出現させ、オルラッド、そしてポチを拘束。二人……いや、一人と一匹を持ち上げ、体を反転。力任せに振りかぶり、彼らを地上目掛けて投げ飛ばす。
「ヒヒヒッ! ──おっと、いかんいかん」
凄まじい轟音と砂埃をあげ、建物を破壊し吹き飛ぶ彼らを眺めた後、男は参ったと言いたげに頭を搔いた。そうして鎖を仕舞った彼は、開いた体を、どこからとも無く取り出した裁縫道具を用いて縫い始める。
「奴ならまだしも、収納できなかった輩は相手にできん。ヒヒッ。飛ばす所を間違えた時点で私の負け、か。ヒヒヒヒッ」
縫い付けた箇所を軽く叩き、裁縫道具を片付けた。そうして男は踵を返す。
「フルーレティなんぞに敗北するべからず。お前たちに祝福を与えるのは、この私なのだから。ヒヒャヒャッ!」
それだけを残し、彼は消えた。溶けるように、跡形もなく。その姿を見ていたものは、残念ながら、誰もいない。




