第二十話 少年の思考
──今のって……。
頭上より舞い降りてくる、今は亡き怪鳥たちの大きな羽。漆黒に染まるそれが目の前で燃え上がったのを視界、少年は静かに冷や汗を流す。
気持ち悪い程にうるさい心臓が、警告音のようにも聞こえた。
──いや、いやいやいや、おかしいだろ。だって、だってあれは……。
見間違うはずもない紫色の炎。
ジル・デラニアスという弱き存在が、前世で死ぬ直前目にしたものである。その炎がなぜか、今しがたミーリャが放ったものに、ひどく酷似していた。
それが偶然かどうかはわからない。だが、偶然にしてはおかしすぎる。似すぎている。
あの世界にファンタジー要素なんて存在しない。しなかったはずだ。だとしたらなんで、今の炎と、あの時見た炎が似てんだよ。おかしいだろ。おかしすぎるだろ。
ぐるぐると回る思考が、まさかと一つの考えを弾き出す。
──……この世界にいる誰かが、あの世界に訪れた……?
そうしてたまたま、通りかかったジルは殺された。そういうことではなかろうか。
あまりにも非現実的な考えだとは思うが、そうとしか考えられない。寧ろ、それが正しい答えであるかのように、自分の中でパズルのピースが噛み合わさったかのような音が鳴る。
「……うそだろ」
冷や汗が頬を流れた。同時に紡ぎだした声は、情けなくも震えている。それもまあ仕方の無いことだろう。
ジルは混乱に混乱を重ねながら、不思議そうな顔で声をかけてきたオルラッドとミーリャに笑みを返した。「大丈夫」の一言でなんとか自分を保ちつつ、先へ進むべく止めていた足の動きを再開させる。
もし、もし仮にだ。この考えが正しかったとしよう。そうなると、俺を殺したのはミーリャと同じ呪術師である可能性が極めて高い。
この思考は当然だ。
ミーリャの職業は呪術師。そして彼女の使用する術は呪術。
あの炎が呪術の類いであることはまず間違いないはず。だとすると当然、前世の自分を殺した人物も……。
そこまで考えたジルは、こっそりと己の背後を振り返った。そして、眠たげな表情で欠伸をこぼしているミーリャを、バレないように一瞥する。
「……まさか、な」
有り得ないと首を降り、顔を前へ。聞きたいことも考えたいことも後回しにしようと、彼は一度、ショート寸前の脳を停止させる。
故に彼は気づかない。
「……ふふっ」
己の背後で、まだ幼き少女が歪に微笑んでいたことに……。
さて、気を取り直してNBM作戦に集中しよう。といっても作戦内容は未だ皆無であるが。
ジルは軽く息を吐き、それから目の前に現れた巨大な壁を見上げる。ゴツゴツとした岩肌の目立つ壁だ。これならばなんとか登れそうな気がする。
一人そんなことを考えながら、己の傍らへと顔を向ける。
「うーん。遠回りすれば道らしき道はあるようだが、最短ルートはここしかないな……」
ジルのリュックから取り出した巨大地図を器用に広げ、オルラッドが悩ましい、といいたげな表情で呟いた。彼としてはきちんとした道を進みたいようだ。しかし今の自分たちには生憎と時間が無い。
軽く後頭部をかき、オルラッドは地図を丸めた。とりあえず何も無いか確かめてこようと、彼は片足を軽く引く。
「あ、ちょい待ち、オルラッド」
「ん?」
一番に壁のぼりを披露する気満々のオルラッドを慌てて静止し、ジルは彼の目の前へ。やけに誇らしげに己の胸元を叩いてみせる。
「俺が行く! こういうのは獣族の方が何かと都合良いし!」
「素直に、何もしてないから少しは役に立ちたい、と言えばいいものを……」
「ミーリャさん黙って」
折角かっこつけようと思ったのに台無しである。
ひょこひょこと頭部の獣耳を動かしながら、少年はジトリと腕を組む少女を睨んだ。
「あー、しかしジル。上にはもしかすると先程遭遇したような野生動物が蔓延っている可能性がある。ここは俺が適任のような気がするが……」
「その時はその時ですぐ降りてくるから! チラッと見るだけ! な! 頼む! 俺にもなんかさせて! そうでないと俺の主人公枠脅かされるから!!」
黒々とした嘆きのオーラをその背に背負い詰め寄るジルに、さすがのオルラッドもタジタジである。「しゅ、主人公?」と不思議そうな声を発しながら、彼は、己の腰元にぶら下がる勢いでしがみついてくるジルに、困ったような表情を向ける。
「よ、よくわからないが、そこまで言うならここは譲ろう。なにかあったらすぐに降りてくるように」
「なんか保護者みたい! でもありがとう! やっとこさ俺の出番が来たぞ! うひょおおおい!」
今まで活躍しなかった分、華麗にこの壁を登って安全を確かめて来てやろうではないか。
キラキラと周りの空気を輝かせ意気込んでから、ジルは軽く後退。そのまま地面を蹴り、助走をつけて勢いよく目の前に立ちはだかる巨大な壁を駆け上がっていく。
ジルの壁のぼりは、予想に反して非常に素晴らしいものであった。速度を落とすことなく、確実に安全であろう岩肌を蹴り上げひたすら突き進む。その姿はさすが獣族の血を引く者、といったところだろうか。一切の迷いも見せぬ少年の姿に、待機する二人は思わず感嘆の声をこぼす。彼らにとっても、これは予想外だったようだ。
「……正直言うと、ミーリャはジルが一メートルも登れないと思っていたのね」
「俺は三メートルくらいで降りてくるかなと……」
二人してひどい言いようである。
一方、そんなことを言われているなど露知らず、ジルは特に難もなく辿り着けた岩壁の上にてやり遂げた顔で額を拭っていた。清々しいばかりの笑みを浮かべ「やってやったぜ」と得意気な彼は、すぐに気持ちを切り替え辺りを見回す。
彼がここまで来た目的はあくまで下調べ。安全かどうかを見極め、下に残る二人に伝えるのが役目である。
「……と、言ってもなぁ」
呟き、ジルは片耳を折り曲げた。
岩壁の上は、下と比べて緑の量が極端に少なかった。ほぼ灰色の景色しかないそこには、野生動物どころか虫一匹すら存在しない。安全といえば安全であろうが怪しさは満載である。
「この先にあるのが病の街って名前の見知らぬ街だし、なんかそういう病原菌を含んだ空気でも充満してんのかな? でないとこんなならないような……つかこれ病の街に入ること事態危険だよなぁ」
確かに、こんな地に二ルディーが赴いているという事実は、かなり大変なことに当てはまるだろう。ジルはオルラッドの言葉を思い返しながら頷いた。そして、そのまま徐々に顔色を変えていく。
──足元に、何かの感触があった。
生暖かく、鼓動すら感じられそうなそれは、恐らくだが人間の手。
おかしいな。さっきまで特に人間らしきものは見なかったのだが……。
悲しくなるほどに明るい、元気に見せかけたから笑いを一つ。徐々に萎んでいくその声に合わせるように、ジルはゆっくりと己の足下へ視線を向ける。
そして、顔から血の気を引かせ、目尻に涙を浮かべながら、彼は甲高い声を張り上げた。
「──いやぁああああぁあああっ!!!」
山道全体に木霊する程のその悲鳴を耳に、ミーリャとオルラッドが「いつものジルだ」と呟いたのは、彼が知ることのない事実である。
「──いやはや、助かりました。危うく死んでしまうかというところで……」
そう言って泥のついたメガネを拭うのは、言わずもがな二ルディーその人である。なぜか地面の色と同じ灰色にその体全体を染めている彼女は、綺麗にしたメガネを掛け直して体についた汚れを叩き落としていく。が、当然ながら叩いただけで汚れは落ちない。
「灰色の人形物体かよ……」
トラウマになりそうな程の恐怖を植え付けられたジルは、そんなことを呟きながらオルラッドの背後からため息をこぼした。
ジルがあの甲高い悲鳴をあげた直後、オルラッドとミーリャが岩壁の上までやって来るのにそう時間はかからなかった。何事かと飛んできた彼らが見たのは、地面に尻餅をつき震えるジルと、その足首を引っ掴み地面と同化する人物──二ルディーであった。なぜ地面と同色なのか、それを聞けば野生動物にやられたとのことで……。
「初めて見る動物で油断していました。まさかこのような仕打ちを受けるとは思ってもおらず……誰か水系の魔法使えませんかね?」
「風ならなんとか……」
オルラッドが苦笑しつつ答えれば、二ルディーは「お願いします」と両手を広げた。汚れを落としてくれということだろう。彼女の頼みたい事柄を察したオルラッドが、小さな呪文を紡ぎながら片手を前へ。呪文が終わったと同時、二ルディーの体に付着していた汚れを落とすべく術を発動する。
綺麗さっぱり、とまではいかないものの、汚れは9割程吹き飛んでいた。残り一割は頑固な汚れとして未だ二ルディーの身に纏うスーツに付着しているが、これならばまあ問題はないだろう。
礼とともに頭を下げた二ルディーは、すぐさま「それでは失礼します」と踵を返す。そんな彼女の足を素早く払い転けさせたミーリャは、腕を組みながら鋭い視線で地面に倒れた彼女を見下した。
「お前、まだミーリャたちを煩わせるつもりかしら?」
「お、おう、神よ……」
地面に顔を打ち付けた状態のまま、二ルディーは低く突き刺さる声に怯えた。
「二ルディー、早く帰ろう。ベナンさんならすぐ起きると思うし、なによりここは二ルディーには危険だろ」
「黙りなさい雑魚よ。ちゃっかり二ルディー呼びとは隅に置けぬいやらしい輩めが。さんをつけなさい、さんを。そうして私を敬うのです」
「だが断る。というか話を逸らすな」
ジルの言葉に何も返せなかったのだろう。二ルディーはグッと押し黙った。
「もう一度言うけど、ベナンさんならきっとすぐに起きると思う。だからこんな見るからに怪しくて危険な場所から一刻も早く……」
「その確証がどこにあるというんですか!」
突然の怒号。獣耳を立たせ固まったジルを、二ルディーはキッと睨みつける。その目尻に涙が溜まっているのは、きっと見間違いではないだろう。
「ベナンの傷はとても大きなものです。幾ら治癒術を施そうとも、私のような底辺魔術師の力では外傷は治せても内部の傷までは癒せない。このままではこの先、ベナンは目覚めない可能性がとても大きい。だから私は──」
「ホワイトエッグを求めたと?」
「……それさえ手に入れば、力のない私でも治癒能力を高めることが出来ますので」
三人は自然と顔を見合わせた。二ルディーの覚悟は相当のもののようだ。これは連れ帰るのに苦労すること間違いなしである。
NBM作戦が長引いていく、そんな予感を感じながら、ジルは静かに頬をかいた。突き刺さる他者の視線に、知らず知らずにため息をこぼす。
「……ホワイトエッグさえ手に入ればすぐ戻るんだな?」
「もちろん」
「……オルラッド、ミーリャ」
二ルディーの返答を聞いてから、二人に顔を向ける。彼らは名を呼ばれただけでジルの言いたいことを汲み取ったらしく、やれやれと言いたげに肩を竦めていた。
NBM作戦の内容にホワイトエッグ入手の文字を一つ加えながら、オルラッドを先頭に山道を抜けた一行。緑なき灰色の世界に徐々に家らしきシルエットが浮かんでいくのを見て、漸くかと彼らは思った。
病の街。山道を抜けて少し歩いた先に存在するその街は、その名の通り病に侵された街のようであった。
一度街の中へと足を踏み入れれば、聞こえるのは咳き込む音。地面には幾人もの死体がゴミのように存在しており、ジルの顔が知らず知らずの内に険しくなっていく。
「……予想はまあ、してたけども」
予想以上の凄惨さである。
「この街に長居するのは体に良くないな。ジル、ここは手分けした方が得策ではなかろうか」
「だな。じゃあ三十分後にここに集合で良いんでない?」
「時間までに戻ってこない奴がいた場合は捨て置くのね」
「探してあげてミーリャさん!」
いつもどおり冷たいミーリャに叫んだのを合図に、四人はそれぞれ別々の方向へ。
二ルディーがちゃっかりオルラッドのあとを追ったのは見なかったことにしようと思う。
ジルは街の西側へと向かっていた。横目に、地面に倒れ伏した人々を見ながら、黙々と歩みを進める。
ホワイトエッグの情報を少しでも手に入れるために、話の出来そうな人を探して回るが、しかし、なかなかそういった人物は見つからない。
出会う者皆が皆、息絶えたように地に伏せ動くことがなく、無名の病の恐ろしさに、ジルは人知れず身震いした。
街中を散策し始めて十分程。ジルの足下にある道に変化があった。今まで灰色に染まっていた地面に、黒々とした点がいくつも現れ出したのだ。それは先へ進む事に数を増しているようで、顔を上げたジルの視線の先には、漆黒の大地がうっすらと立ち込める紫煙に包まれ、広がっている。
──あれ、これって……。
どこかで見たことがあるような気がする。しかしどこだったか思い出せない。
その場で佇み考え込む少年。その背後で、今、ひどく憤慨したような声があがった。




