アイシテルの基準
『──ねぇ、柊はどれくらい?』
『んー……まだ、そういうのはわからないかな』
『そっか……いつになったらわかりそう?』
『いつだろ? 人生の二倍くらいかかるかもなぁ』
『じゃあ、待つね! 八年後に答え聞くね! 約束!』
そう、彼女が笑った。
そして、八年という歳月の間に、俺はその微笑みを忘れていた。
◇ ◇ ◇
ピヒピ……
「ふぁぁ……」
目覚ましを止めて、とりあえず大きなあくびをする。
のびをしつつ起き上がり、ベッドから降りて一階に向かう。
朝御飯を食べて、歯を磨き、約二週間ぶりに制服に袖を通した。
かばんを持ち、荷物の不備がないか調べる。
玄関に向かい、扉を開けた。
「あ、おはよ、柊一」
「おはよう、結芽」
「課題ちゃんと終わってる?」
「当たり前だろ」
二人で、まだ雪の積もる道を歩く。
結芽は、その長い黒髪を巻き込むようにして濃い青のマフラーを巻いている。
「冬休みも終わったねー。もうすぐ一年生終わっちゃうよ」
「早いよな」
結芽はそこで、意味ありげな視線を向けてくる。
まあ、その視線が言いたいことはわかっているのだ。
今度の、一月二十日。
結芽の誕生日だ。
幼馴染みの縁というか、古くからの積み重ねというか。
お互いの誕生日には、必ずプレゼントを送っている。
ちなみに、夏にあった俺の誕生日の時は、「高校生にもなったんだし!」とかなり豪勢に祝ってもらった。
後にある以上、俺が求められるハードルは高いと言える。
今年のプレゼントは何にしようか……
二週間前になってもそれが決まっていないのはどうかと思いつつ、まだ悩んでいる。
十字路を曲がり、大通に沿って歩く。
その間も、冬休み中の思い出で話を弾ませている。
「おっすお二人さん。今日も仲良く夫婦登校?」
「夫婦じゃねぇ。ってかこのやり取り今年もするのかよ」
「あはは、柊の言う通りだよ。それより、佑樹君は部活大丈夫なの?」
「あー、それは大丈夫。朝練は明後日からだ」
「精進しろよー? 自称期待の新人」
「古い自称を持ち出してくるなよ……」
こいつが藤見佑樹。
サッカー部に所属している、こちらも幼馴染みだ。
まあ、結芽や俺みたいな帰宅部でないせいでこうやって一緒に学校に向かうのは久しぶりなのだが。
それからもしばらく雑談を続け、なんどか雪に足をとられつつも学校に到着した。
三人揃ってB組だ、クラスまでそのまま歩いく。
他二人が普通に話す中、俺だけは「誕生日プレゼント、どうするかな……」と考えていた。
◇ ◇ ◇
一日の授業が終わり、放課後。
結芽が先生に呼ばれていなくなったのを見た俺は佑樹に話しかける。
話題はもちろん、今朝結芽の笑みを見てから今の今まで考えが纏まらなかったプレゼントについてだ。
「で……単刀直入に質問するぞ。何がいいと思う?」
「毎年、好きなものあげてるんだろ。なら今年もそれでいいんじゃねぇの?」
「今までそれだったから、困ってるんだよ」
そうなのである。
たしか、六歳の時に始まったお互いへのプレゼントの習慣だが、それはあくまでお互いの好きなものを選んでいた。
当初、六歳の時はたしか好きだといっていた紫の花を沢山摘んで渡したんだったかな。
「好きなものっていっても、今年で十回目だぞ。さすがにネタが尽きたんだ」
「あー、俺たちもそんなになるのか……」
「浸るんじゃなくて考えてくれよ……」
ちくしょう、やはり他人事か。
まあ、このプレゼントイベントも俺と結芽の間の事であって佑樹は関係ないし仕方ないとも言える。
「はあ……とりあえず、今週末にでも店回ってみるか……」
「そうしろそうしろ」
土曜日は一日出歩く事になるかな……。
◇ ◇ ◇
「やばい……真面目にどうしよう」
一日スーパーからデパートまで回り尽くしてみたが、これといってめぼしい物がない。
完全に手詰まりになってしまっている。
この歳で花束もどうかと思うし、かといって数十万もするアクセサリは買えない。
結芽の好きなもの、という基準も使えなくなってしまってる以上、この状況はかなり危ない。
「クソ……どう選ぼうか悩んでるだけで終わるなんてな……」
夕焼けの中、頭をかきむしる。
思わずため息が出るくらい落ち込んでいた。
自分はあそこまで祝ってもらいながら、相手にはなにも思い付かないなんて。
そう思うと、余計にため息が漏れた。
とにかく、今度こそ真面目に佑樹に相談しなければ。
スマホを開き、トークアプリを立ち上げ、佑樹にメッセージを送る。
『なあ、真面目にプレゼントどうしたらいいと思う?』
『ん? 今日探しにに行かなかったのか?』
『いや、行ったけどめぼしい物がなかった。超困ってる』
『いや、お前逆になんで見つからねぇんだよ……結芽が欲しいものなんてわかりきってるだろ』
……佑樹には、わかるのか。
気にしてない、はずなのに。なぜか心が苦しい。
今自分が顔を思いっきりしかめているのがわかる。
『ごめん、俺やっぱりさっぱりわからんわ』
『マジかよ』
『また相談させてくれ!』
『まあ……良いけど』
◇ ◇ ◇
「柊、帰れるよ」
「あ、ごめん。今日佑樹と話すことあるから先帰ってくれ」
「そっか。じゃあ、仕方ないね。明日は?」
「たぶん大丈夫だ」
散々悩んだ土曜から一転、今の俺はあまり悩んでいなかった。
佑樹は答えを知っているというし、あいつは切羽詰まるとちゃんと教えてくれるやつだからな。
水曜日になり、結芽の誕生日が五日後になっても俺はほとんど焦らないでいた。
いくら余裕でも、結芽に佑樹との相談を聞かれるわけにもいかない。
結芽だけでなく、クラスメイトの殆どが部活に行ったり帰宅した。
一人、クラスで佑樹の部活が終わるのを待つ。
まあ、正直暇なので窓から佑樹がボールを蹴るのを見ていた。
『そろそろ、下校の時間です。まだ、校内に残っている人は、早めに帰宅しましょう』
「……やばっ」
最終下校十五分前のアナウンス。
気がつくと寝ていた俺は、教室じゅうに鳴り響いた機械音声によって目を覚ました。
あせって窓の外を見ると、丁度サッカー部が終わったところらしい。
荷物を持って、一階に行く。
靴を履きかえ、俺たちの教室のすぐしたにある水のみ場に急いだ。
佑樹はいつも、練習が終わるとかならず水のみ場で水を飲む。
冬場でも構わず飲むのはよく理解できないが。
「おつかれー」
「ん? あぁ、柊か。疲れたぜ」
まだ一月だと言うのに、佑樹は頭から水を被っていた。
その水音のせいで俺が近づいたか見れないらしい。
「ちょいまち……んで、どうだった?」
「やっぱり、全くわからん。やっぱり、結芽の好きなものとか好物は今までのプレゼントで出したからあまり選びたくないしな」
佑樹が水流から顔を上げる。
頭を拭くタオルから覗く目は、心底信じられない、と言っていた。
……なんだよ、その目は。
「……なあ、本当に、わからないのか?」
「だから、そう言ってるだろ」
思わず語調がキツくなる。
それでも、佑樹の睨むような視線は揺るがない。
「少し考えれば、わかるだろ。結芽が、欲しいと思っているものがよ」
「しっかり考えても、わかんねぇんだよ。勿体ぶらずに教えてくれよ。なんか、今年は今までよりなんか期待してるっぽいし」
「そこまでわかってて、なんで気がつかねぇんだ」
まだ髪が濡れているのに、拭くのを止めてさえ俺を睨み付けてくる。
核心に触れない態度に、段々とストレスが募ってきた。
「わかんねぇ物は、わかんねぇよ。それともなんだ。結芽の欲しいものとやらを、お前が俺の代わりに渡してくれるのか?」
その言葉を聞いた瞬間、佑樹の目に憤怒が宿った。
何も言わず俺に歩みより、胸ぐらを掴み上げてくる。
「テメェ……ふざけた事言いやがって……渡せるなら、俺が渡せるなら、渡してるよ! とっくの昔にな!」
佑樹は、そう叫んだ。
「どうしてお前なのか、どうして結芽は同じ幼馴染みなのにお前だけにねだるのか、気にしたことあんのかよ!」
「知るわけねぇだろ。俺ならせびりやすいとでも思ってるんじゃ」
言い終わる前に視界が回転する。
何事かと、地面に倒れた体を起こして佑樹を見たときにようやく殴られたのだとわかった。
頬がいたい。
目眩がして、まともに佑樹の姿が見れない。
「……単純に、結芽の好きなものなら、俺でも渡せる。でも、違うんだよ。結芽が、本当に欲しいものはお前しか贈れないんだよ」
「そんなもの、あるわけ……」
「あるから言ってるんだ」
ようやく揺らぎの治まった目には、怒り、そして何よりの嫉妬で歪む佑樹の顔があった。
「俺が渇望して止まない物を、お前が持っているんだ。なんで、それに気がつかねぇんだよ。どれだけ、結芽がお前に向ける笑顔を俺に向けて欲しいと思っているか、わかってんのか。この鈍感ヤロー」
涙混じりの声で、佑樹が言う。
ここまで言われてわからないほど鈍くはない。
「佑樹……お前……」
「あぁ、そうだよ。俺は、結芽が好きなんだ」
困惑して固まる俺を見て、佑樹は無理矢理笑った。
「鈍感なお前は、たぶんまだ結芽が何がほしいかわかってないんだろ」
「……」
「無言は肯定だぞ。……まあいい。本当に結芽の事を考えているなら……はやく、八年前を思い出せ。それしか俺は言えない」
「八年前……?」
佑樹は部室の方に向けて歩きだした。
俺はそれを眺めることしかできていない。
「早く思い出してやれ。じゃねぇと……俺が、結芽を奪うぞ」
「っ!?」
それ以上何も言う気がない、と態度で表すかのようにさっさと歩き去っていった。
『俺が、結芽を奪うぞ』
そう言われて、反射的に俺の口から出そうになった言葉は、わからなかった。
◇ ◇ ◇
八年前。
俺は、どこまで覚えているだろうか。
正直なことを言うと、殆どを忘れている。
小学生だった俺は、結芽、佑樹と遊んでいた。
そこで、何かがあったのだろう。
結芽が何かを欲しいと言ったのかもしれない。
俺が何かをあげるとやくそくしたのかもしれない。
なにかがあった気はしても、それが何か思い出せない。
雲を手に取ろうとしても指からすり抜けてしまうように。
雲が手に当たる感触だけ感じる。
それが何か、は思い出せなかった。
進歩したのは、何もないよりは、と土日に再度回り手に入れたプレゼントが机の引き出しにあることくらいだろうか。
◇ ◇ ◇
目覚ましを止めて起き上がる。
今日は月曜日……結芽の、誕生日だ。
歯を磨き、ご飯を食べるために一階に降りて固まった。
「おはよ、柊。外寒かったし入れてもらっちゃった」
「あ、ああ、それは良いけど……随分と早いな」
なぜか結芽がリビングのソファーにいる。
いつもならこんなに早くには来ないはずだ。
「早起きしちゃったからね。ご飯も食べ終わってるし、柊の部屋で休んでていい?」
「わかった。先に着替えて荷物だけ持ってくるから、少しだけ待ってくれ」
俺がご飯を食べ終わり次第行くつもりなのだろう。
なら、もう一度部屋に戻るなんて面倒なことをしなくていいように先に着替えとかを済ます。
これも長年の流れの一つだ。
「「行ってきます」」
二人で声を合わせて、少しお互いに笑い、家を出る。
あの水曜日から、佑樹とはまともに話せていない。
結芽を含めた三人でいるときだけ、普通のふりをしている。
佑樹は殆ど普通なのに俺は盛大にキョドっているせいで何度か結芽に笑われた。
毎年サプライズ風にしていたから、焦ったり催促するような雰囲気は結芽から感じない。
それに甘えるようにして、ズルズルと一日が過ぎ、気がつくと下校になっていた。
さすがに、渡したい。
だが、あろうことか、引き出しに忘れてきてしまったのだ。
「結芽」
「ん?なに?」
「帰ったらすぐにそっちの家行っていいか? 渡したいものあるからさ」
「んー……じゃあ、公園でもいい? 今日早めだし、夕日が綺麗そうなんだよね」
「わかった」
公園は俺の家からも結芽の家からも結芽近い。
見晴らしがいいため皆に気に入られている。
ただでさえ待たせているのだ。
俺は走って家に向かった。
◇ ◇ ◇
「おかえりなさい。早かったわね」
「まあ、学校自体が早めに終わったからな」
挨拶を手短に済まし、自室に向かう。
扉を開けて、荷物をおき、引き出しからプレゼントを取り出そうとして……机の上に出した覚えのない紙があることに気がついた。
「なんだ、これ……」
少ししわくちゃになった紙。
だが、その紙には、どこか見覚えがあった。
大きさ的には、ノートを丸々一ページ破いた形だろうか。
手に取り、拡げる。
『ゆめと、しゅうのお約束!』
題名にはそう書かれている。
小さい頃の、結芽の字だ。
その一文が、ゆっくりと、雲を握ろうとする手に力を込めていく。
『私は、たくさんのスキがあると思います。お母さんへのスキ、お父さんへのスキ、猫へのスキ、カレーライスへのスキとか、たくさん、たくさん』
小学生らしい、たどたどしい文章だ。
『でも、それぞれ呼び方は違うと思うのです』
丸っこい字が、雲を明瞭にしていく。
『猫へのスキは、カワイイのスキ。
カレーライスは、おいしいのスキ。
友達は、大切のスキ。
お母さん、お父さんへのスキは、大好きのスキ。』
『でも、お母さんやお父さんへの大好きと同じくらいなのに、違う呼び方のスキがあります』
思い出した。
俺は、この次の文を、知っている。
『しゅうへのスキは、アイシテルのスキ』
『どのスキも、アイシテルだと思います。でも、同じのはずのアイシテルが、しゅうにだけはちがう気がします』
『だから、しゅうに、どれくらい? って聞いたらわからないって言われました』
段々と、佑樹と話した時の最後の感情が強まる。
その感情の名前は、もうわかるはず。
『でも、あと二倍生きたらわかるかも、って言われました!だから、忘れないようにここに書いておいて、八年後の十六才になったときにしゅうにもう一回聞きます!』
紙に書いてあるのはここまでだった。
忘れないための、メモ書き。
だからここまでなのだろう。
くしゃくしゃになっていたその紙のしたに、もう一枚紙がある。
その紙は、真新しく折り目すら入っていない。
その紙には、今の結芽の字で、あのときの質問と同じことが書いてあった。
記憶の結芽の声と重なる。
『「ねぇ、柊はどれくらい?」』
引き出しに手を入れ、ひっつかむようにプレゼントの小箱を持って家を飛び出していた。
ごめん、佑樹。
やっと、結芽の欲しいものわかった。
◇ ◇ ◇
「──結芽!」
「あ、柊おかえり」
そう言いながら、結芽はベンチから立ち上がる。
あのメモ、あの紙は確実に結芽が置いたものだ。
もう、俺がそれを読んだのもわかっているだろう。
結芽の目は、期待と不安に揺れている。
その目を見て、俺はどう切り出したら良いのかわからなくなってしまった
「ねぇ、柊」
「……ん?」
「そろそろ答え、聞きたい、かな」
結芽の足は震えていた。
俺も似たようなものだろう。
「俺は、結芽の事が、好きだ。愛してる」
結芽がゆっくりと近づいてくる。
「どのくらい?」
小首を傾けながら、聞いてきた。
残りの距離は、一メートル位だろうか。
結芽はその距離を詰められずにいた。
「んなもん……最上級に決まってるだろ」
だから、俺から詰める。
一歩を踏み出し、結芽を抱き締めた。
「好きだ、結芽」
「知ってる……八年前から、知ってるよ……」
「相当鈍感だったみたいだな、俺は」
「自分の気持ちにまで鈍感なんて、酷いよ」
俺の胸に顔を埋めて、結芽は目から雫を落とした。
そのまま、結芽はたっぷり十分ほど泣いていた。
俺は結芽を撫でながら、この八年間の間に結芽のしてきたアプローチを思い出していた。
友達の誘いを断ってまで俺と帰っていた結芽の気持ちに、気がつかないなんてな。
「ねぇ、柊」
「ん?」
「八年分の誠意、見せてよ?」
まだ涙の跡を残したまま結芽が言ってきた。
その、小さな肩に手をのせ、ゆっくりと顔を近づける。
そっと、目を閉じて──
──唇に結芽の指が触れた。
いつのまにか、結芽の人差し指が、静かにさせるように俺の唇に添えられていた。
結芽が耳元に口を寄せてくる。
「そんな一回で、誠意にはならないからね? これから、たっぷり時間をかけて返してもらうから」
固まる俺を見て、クスリと微笑んだ結芽が俺の頬に手を添える。 そして、柔らかい感触に唇が震えた。
結芽は、そっと離れて公園の出口に歩き始めた。
振り向き、テンパってなにも考えられない姿を見てくる。
「帰ろ、柊」
「……おう、そうだな」
いつも通りの言葉。
それに、今は救われる。
昨日までは幼馴染み。
今日からは、夕日が繋がる影を作り出しているだろう。