異世界で回復魔法の正しい使い方
仕事帰りにコンビニに寄って、6本パックの缶ビールとつまみを手にして玄関のドアを開けた瞬間。
俺は落ちた。
落下している。
最初の数分はもちろん混乱したが、一時間も過ぎた頃には叫び過ぎて喉も枯れるし、いい加減、俺は連勤続きで疲れ果てていた。
混乱する事にも疲れてしまった。
しかし落下し続けるのも慣れると暇である。
缶ビールを開けるとそのまま噴出してしまうので慌てて一息にすすり飲む。
本当ならば燻製たまごと交互にチビチビやりたかったが、やむを得ない。
これが末期の酒になるのかと残念な気持ちでいた所、ふいに目の前が真っ白になったかと思うと、何もない空間に俺はポツンと立っていた。
何も無い。
あまりに上下左右が真っ白で、平衡感覚すらあやしくなる。
ほろ酔いの頭で考えてもさっぱり意味がわからない。
とりあえず座ってから、末期の酒をゆっくりと飲む。
燻製たまごを一口。
缶ビールを一口。
燻製たまごを一口。
缶ビールを二口。
飲み終える頃には仕事の疲れも相まって眠気が体を襲う。
ビジネスバッグを枕に横になっているうちに、俺は眠りに落ちていた。
いい具合に眠って起きると、目の前に爺さんがいた。
美少女でも美女でもなかったので再度目を閉じると、爺さんに遠慮なく揺すり起こされた。
「お前の家に歪みが出来て、お前は落ちた。
時空を超えてしまったのでもう元の世界には戻れん。
近在する世界になら移してやれるが、どうしたい?」
「移らなかった場合は?」
「ここにずっとおることになろうな」
まいった。
これは詰んでる。
移る以外は選択肢がない。
「ところで、あなたは?」
「世界の管理人の様なものだ。
今回の事故は偶然に偶然が重なったもの。お前にはただの不幸だっただけだ。
が、まあ、わしが偶然にもお前に気が付いたのだけは、まだ幸運だったという、それだけだ」
「はぁ……」
あまりな話にただ頷くことを繰り返す。
爺さんに色々質問をした事で、俺の状況はより詳しくわかった。
この爺さんは別段、神というような存在ではなく、むしろ観測者に近いということ。
世界の内側で存在することは出来ず、ただ色々な世界を観測しているだけだということ。
ここから近在する世界は、どうやら魔法があるファンタジーな世界だということ。
「爺さん、そこで俺にも魔法は使えるのか?」
「無理」
少し希望を持ってした質問は、一瞬でへし折られた。
折角のファンタジーの世界なのに魔法使えないとか凹むわ。
あんまり凹んだから、残っていた缶ビールを開けて飲む。
「爺さんも飲む?」
「……いいのか?」
「まあ、残り4缶だから2缶ずつしかないけどな。
燻製たまごはもう無いから、チーカマでいいか?」
爺さん、なんかめっちゃ喜んでるわ。
おっさんと爺さんでの花のない飲み会だったが、途中から爺さん、愚痴り出した。
世界の内側に存在することが出来ない=食事も見てるだけ。
そらチーカマでも喜ぶわ。
いくら腹が減らない仕様だからといっても、他人の食事を見てるだけだっていうのは辛すぎる。
「お前、いい奴だな」
酔った勢いで同情して泣いてたら、爺さんがこっちを見てしみじみ呟いた。
「ま、お前になら、いいか」
一つだけ、魔法を使えるようにしてくれるらしい。
俺は即答した。
「じゃ、回復魔法で!」
回復魔法があったら、例え飲み過ぎで「飲むんじゃなかった」なんて時にも、飲む前の状態に戻れる。
そしたらまた飲めるじゃないか。
俺は酒が好きだけど、2缶も飲むとしんどくなる。
これはいい。
それに異世界で怪我病気中毒怖いし、腕が切られても元に戻せるならと思って爺さんに回復魔法を頼む。
結論から言おう。
俺の回復魔法SUGEEEEでした。
転移した近くの街に行く前に、俺は回復魔法を何度か試した。
爺さんと飲んだ酒の酔いはあっという間になくなった。
本当にあたまがすっきりした。
連続勤務の疲れもなくなった。
もう少し回復魔法を試そうと、他にどこか怪我でもなかったかと思ったが、どこにも怪我はしていない。
俺は頭を抱えた。
………
……
…
街まで着いた俺は門番に入街料を求められた。
もちろん俺に現地通貨の手持ちはない。
険しい顔をした門番に詰所まで連行された。
詰所で兵隊達に囲まれ、門番よりも偉そうな男に、どこから来て何の目的かをきつく問い詰められた。
「すみませんが、今は手持ちが全くないのです。
ですが、スラムの住人になる気はありません。
俺の魔法で稼ごうと思っています」
「ふんっ、そんな貧弱な体で冒険者にでもなろうってのか」
「いえ、そうではなく……あの、回復魔法をかけてもいいでしょうか?」
「俺にか?俺はどこも怪我なんてしてないぞ」
「いえ、怪我ではなく……」
「ふんっ、まあいい。やってみろ。おかしな真似をしたら、兵隊共が黙っとらんからな」
手をかざし、そっと回復魔法を念じる。
「ん、何も起きんではないか」
周囲にいた兵隊達からどよめきが起こる。
「お、俺が入街料を払ってやるから俺にもその魔法をかけてくれっ!!」
「どうした、キース。こいつの魔法じゃ何も起こらんぞ」
「た、隊長!頭!頭さわって!」
どうやら偉そうな男は隊長だったらしい。
隊長と呼ばれた男は頭にさわり、目を見開いた。
「ま、まさか………」
俺は詰所で、入街料どころじゃなく、一か月は楽に暮らせる資金を手に入れた。
そこからは口コミが客を呼び、小さな店を構えるようになるまではあっという間だった。
果ては貴族に囲われるやともいう話も出たが、俺を占有されることを恐れた他の貴族達に守られて事なきを得た。
あの時、街に入る前に俺は頭を抱えた。
サラリーマンを続けるうちにストレスからか抜け毛が増え元気がなくなった頭髪に。
思わず、「20代、いや10代の頃に戻れたら」と呟きながら回復魔法を発動した。
もちろん、肌も綺麗に、視力はかつての1.5に戻る事ができた。
しかし、ここでは俺は頭髪だけにしか回復魔法を使わない。
女性の美に対する執念が想像できたからだ。
もしも若返る事すら可能だと知られたら……。
爺さんにはいつも感謝を忘れない。
この世界の回復魔法と俺の回復魔法はそもそも概念が違ったからだ。
俺の思った回復魔法は、『元の健康な状態に戻す』もの。
この世界の回復魔法は、『細胞の活性化を早めて自己治癒する』もの。
細胞にはテロメアがある。
何度も繰り返し再生する事によって擦り切れ、完全な再生ができなくなっていく。
つまり、この世界の回復魔法の場合には、回復魔法をかけた場所は早く老化が訪れる。
反して、俺の回復魔法は元の状態に戻すので、傷付いた遺伝情報が傷付く前の状態に戻る。
一見、俺の回復魔法の方が良さそうにも思えるが、もし全身に回復魔法をかけると折角鍛えた体も鍛える前に戻ってしまう。
が、まあ頭髪だけなら何も問題はない。
特に兜で蒸れることの多いこの世界。
俺はいつしか髪の守り人と呼ばれるようになった。