17時間差の恋
Side A
Ⅰ
夢を見た。
夢を見たのはいつぶりだろう。
どんな夢だったか、そんなのは思い出せないし思い出している暇はない。今朝は五時五十分には部屋を出なくては間に合わないはずなのに、時計はのんきにもうその時間を過ぎそうだ。
そんなことはわかってるけど急いでるから、と昨日買っておいたおにぎりを無視しようと思ったけど、できずにかばんに入れた。
少し家を出る時間が遅いだけで交通状況はいつもと違い、何もかもうまくいかないなぁなんて考えたりした。
あぁ、そうだ。今になって思い出した。彼のことだ。
最近はあまり考えることもなくなったが、夢に現れてさわやかな朝の邪魔をする。
何か 忘れ物をしている気分になったが、確認をしたところで本当に忘れ物があったら絶望するし、何よりももう取りに帰っている暇はない。
私は交通違反を犯さない程度に急いでもらった。
「おはようございます。遅れてしまいすみません。12番佐々木、出勤しました。」
そういいながら、私の目線と体は点呼場の左側にある、日報棚に向いていた。日報棚には今日のお客様のステッカーが挟まれたバインダーが押し込められている。
今日はたった三時間だけの仕事なのに、1120円のタクシー代は高すぎるように思えた。急いで待機室に向かい、今日だけの、たった3時間だけの仕事仲間に一通りあいさつをした。
「佐々木さん、またギリギリやね。ちゃんとアラーム設定してんの?」
今朝の夢を思い出した。
「一応……しています。すみません、以後気を付けます。」
そういってロッカー室に向かおうとしたとき、後ろから声をかけられた。
「今日も間に合わんかと思ってバスの準備、しといたから。あとは佐々木さんの名札とマイクとステッカーをセットするだけ。あと10分で出庫だから急いで。」
振り返るとピンクの箱の煙草に火をつけるところだった。ありがとうございますすみません、とだけ今にも消えるような声で答えた。
この仕事について、もう丸3年が経とうとしている。学生時代は朝にめっぽう弱く、母にたたき起こされても起きないほどだった。だけど今は自分で起きれている、進歩じゃないか。そう自分に言い聞かせて、今日も自分のプライドを守りながらバスへ向かった。
「今日も一日安全運転を心掛けてください。連日のニュースでバス業界に厳しい目を向けられています。」
確かに今の観光バス業界は、かなり厳しいものである。この仕事について1年目はあまりの忙しさか、それとも不慣れなためか、毎日が戦のような……そんな日々を過ごしていたが、今は違う。仕事に慣れてきたから、という理由では追いつかないほど私たちの仕事は減っていた。不況のため、観光バスを利用する人が減っているのも事実だが、今深刻な問題はバスガイド離れだ。修学旅行でバスを利用すると、一番に出迎えてくれる人だ。
そういう、私自身も中学の時に担当してもらったバスガイドさんに憧れて、この仕事に就いた。理想と現実があまりににも違いすぎて崩れ落ちそうだが、何とか食らいついている。
私が出勤してバスに乗るということは、そのバスにはバスガイドがいるということだから、そうではないバスに乗ることは無いのだが、やはり私がバスに乗っていると喜ばれることが多い。
歴史の勉強になったとか、紅一点だ!と男性ばかりの団体さんに言われたりと、バスガイドがいて損をした、居ないほうがよかったという声は聞いたことがない。まぁバスガイドである私を前にして、居ないほうがましだ!と言ってくる人の気がしれないけれど。だがバスガイド付きの仕事は減っているのは事実である。
だからたった3時間の仕事でも非常に有難く、むしろ送り込むだけでなく観光しますか?と提案したいくらいだ。
「では、いってらっしゃい。」
気が付けば点呼が終わって少し焦りながら行ってまいりますと、建前のあいさつを済ませた。
お願いします、とドライバーに言いながらバスに乗り込む。
ステップに立ち、左確認をする。
会社を出発してから先輩が準備してくれたお湯の入ったポットを出しつつコーヒーをすすめる。
緊張を和らげさせる作戦である。先ほどの点呼を聞いている限り、今日のドライバーは新人研修上がりで、つまり今日がデビューということらしい。
眼だけをこちらにしてお願いしますと聞こえた。
何しろ私の入れるコーヒーはとてもおいしいと評判がいい。きちんとメーカーや豆にはこだわっている。その日の気分や天気、仕事内容によって変えているのだが、皆さんもご存じのとおり今日は時間がなかった。
今忘れ物を思い出した。
昨日の気分のコーヒーを淹れて、そっとカップスタンドに置いた。別に試しているわけではないが、少し多めに作ってある。
いただきますとやはり眼だけをこちらにして会釈する。
確かに今朝の点呼では、十分に注意し基本を大切にと言っていたがそこまで固くなる必要もないだろう。彼は何も言わずに口をつけたカップをスタンドに戻した。
今日の仕事は関西空港へ高校2年になる地元の学生さんをお送りする仕事で、私は軽く挨拶をすればドライバーの横にあるガイド席に座って到着を待てばすむ、いわゆる楽な仕事という分類である。
いつも通り営業スマイルには見えない、まるで背景にはお花が咲いているのかといわんばかりの笑顔を作り、おそらく海外4泊分かと思われる荷物をトランクに積み、花のような笑顔を咲かせながら挨拶をし、お客様は20分ほど前に淹れたコーヒーの香りに魅了されながらバスに乗り込む。正直言って笑顔を作りながらの荷物の積み込みはつらい。
バスは出発し、定型文を繰り広げる。
「京都府立○○高等学校の皆様、おはようございます。今朝は随分と冷え込みましたね。本日の京都市内の最高気温は10度だそうです。皆様は本日より南国へ向かわれるようで、とてもうらやましいです。こちらとは気候も違いますので、お体には十分にお気を付けて、素敵な旅をお過ごしいただきたいとと思います。本日ご縁ございまして、皆様と関西空港まで、短いお時間ではございますがご一緒させていただきます乗務員は、右手……上田運転士と、ガイドはわたくし佐々木萌子です。安全運転を務めさせていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします。」
一通り車内の諸注意を話し終えた後ガイド席をだして席に着き、お客様に見せつけるようにシートベルトを締める。
今日も噛まずに言えた。職業柄やはり噛むのはプライドが許さない。
「僕の名前、憶えてなかったんですか?」
ばれていないと思ったから、不意打ちで驚いた。
「確かに上田さんの名前をいうとき少し、間が空きました。それは間違えないように確認をするためです。決して覚えていないわけではありません。それにうちの会社の人は、新人探りを趣味とした人が多いです。あなたの名前を知らない人はいないのではないでしょうか。」
少し言い過ぎたかもしれないと右を見ると、私が淹れたもう湯気の出ていないコーヒーのカップに手をかけている。
「コーヒーおいしいです。甘いコーヒーを想像していましたが、実際に飲むと酸味というより、苦みが強い。佐々木さんみたいですね。」
恥ずかしくなった。今までの人たちはただおいしいとだけだった。
この人ならきっと話も合うし、意気投合できるのではないかと淡い期待を抱いていたら車線変更が突然すぎて、私の体は左においていかれそうだった。
ただの気まぐれなのかもしれない。そう思って目線を前に、無意識の猫背正した。
*
五年前―――
今でもはっきりと覚えているのは、彼のサングラスは茶色いレンズで明るい髪色にとても合っていたということ。
少し前の時代ならインターネットで出会う人は、得体の知れなさから危険だと注意する人が多いだろうが、最近はインターネットで知り合った人同士で結婚も珍しくないようなので、私たちの関係もどうかおとぎ話を読むかのような気持ちで見てほしい。
私は今でこそ人前で、しかも出会って間もない人に勝負をかける仕事をしているが、学生時代は男の子には全く見向きもされないタイプだった。
きっと私の前髪の癖が強かったためだろうと勝手に解釈をしている。
いや、本当はそうではいことはわかっていた。
どう言葉を返せばいいのか全くわからなかったのだ。中学から高校に入学し、私よりも背が低かった男の子には気が付けば身長は抜かれ、声も気が付けば低くなっている。これは成長期であるこの年代ならとても普通のことだったのだが、それがなぜか怖かったのだ。中には髭を生やしている先輩もいた。私はそれを受け入れられなかったのだ。
それを意識してからは男の子と話をしなくても、私は生きていけると勘違いして生きてきた。授業で、席が隣の人と英語の発音練習の時、あとはプリントが回ってきたときにありがとう、という以外は完全にシャットアウトしていた。
でも年頃だったので誰かと話したい気持ちはあった。
今ならSNSが発達しているから、自分の気持ちを発散して誰かから反応が来るのを待っていればいい、でも当時はそういったツールがほとんどなかった。
私は学校で男の子と話をしなくなってしばらくして頃、学校が終わればすぐに帰宅しパソコンを立ち上げ、インターネットの世界に溺れるようになった。
溺れてもう戻ってこれなくなればいいとも思っていた。
当時、私のなかでチャットがブームだった。たくさんの人が一つの部屋に集まり、みんなで話をする。気が付けばブラインドタイプができるほどには、ハマっていた。
そのうちの一人がライブチャットをするから見に来て欲しいと言った。暇潰しに見てみようと思った。勇気を振り絞りURLを踏んだ。
そのライブチャットをしていたのが彼だった。
パソコンの画面の小さな窓にライブ画面があり、そのすぐ下にはコメントができるようになっている。
彼は私のコメントを読み上げ、笑った。その声は、とても優しくて、笑顔はほがらかで。
直接、面と向かってではないが久しぶりに男の子の声を、顔を真剣に見た。彼からは、私がこんなに真剣に彼の顔を見ているなんて、きっと想像もしないだろうから気が楽だった。
何よりこのツールに私もはまってしまい、今までの自分からは想像できないがライブチャットツールに登録をして、ライブチャットをするようになった。みんなが私のことを見ているんだと思うと、怯むこともあったけど彼が私のことを見ていると思うと少しうれしかったのも事実だった。
ライブチャットのブームも過ぎ去り、通話ツールに移行した。
学校が終わればすぐに帰宅し、パソコンを立ち上げ、彼とたくさんの話をした。私が学校では男の子には見向きもされないこと、中学から始めた陸上部での仲間関係がが思うようにいかないこと、勉強が得意でないこと、特別なことは何もない普通の学生の相談ばかりだった。
だけどあるとき異変に気付いた。彼の背景にある時計が私の時計とさしている時間が違う
聞いてみたらアメリカに住んでるらしい。
この人は私と違う時間を生きているんだ、そんな第一印象だった。
Ⅱ
「申し訳ございません。」
私はとりあえず頭を下げていはいるが、何が起きているのかわからなかった。
コース表には有名なお寺の山門から景色を一望した後、十三時からの湯豆腐コースの昼食が指示されており、私は間違いなくその五分前に食事処へ誘導した。だが予約の時間は十三時三十分だと食事処のスタッフは言う。
私の眼は腐ったのだろうか、それとも二時間前に尋ねた金閣寺のまぶしさに眼がやられたのか。私はもはやここまでかと半ば諦めかけていた。
すると制服のポケットに入れていたお気に入りのケースに身を包んだスマートフォンが鳴っている。
名前は登録されていなかった。
「もしもし」
焦ったような声色だった。
「あの、ガイドの佐々木さんでしょうか。営業の方から佐々木さんの電話番号を聞きました。突然の電話申し訳ありません。実は本日のお客様の昼食時間に誤りがありましてお電話しました。コース表には13時からとありますが、本当は十三時三十分からです。
……もしかしてもう着いてますか?」
えぇ、十三時の五分前に。そういってやろうかと思った。
会話の一瞬の間、いろんな嫌味を考えた。だがこれが今の私の口からこぼれる一番の優しい言葉だ。
「そうでしたか。スタッフの方に何度お尋ねしましてもわたくしの望んでいるお答えが返ってこないものですから、大変驚いておりました。そういうことでしたらお食事処に売店がありますので、何とか時間稼ぎをさせていただき、十三時三十分にご案内させていただきます。お電話いただきありがとうございました。また何かございましたら、お早めに、お電話いただけますでしょうか。失礼いたします。」
返事を挟ませる暇を与えず電話を切り、踵を返し後十五分しかないお土産購入タイムをお客様に告げ、会社の営業に連絡を入れた。
要するに私のミスではなかったことをただ言いたかっただけの電話であった。事務的な連絡を終え、無事に十三時三十分にお客様の団体名のお呼びがかかり、食事場所に誘導した。
私が軽くおいしいですよ、とバス車内で宣伝も兼ねて話をしていたお土産屋さんの紙袋のこすれる音がする。
これがあるから、やめれない。
テーブルに並ぶたくさんの天ぷらに忘れかけていた空腹を思い出させられた。
*
彼はできる限りの時間を私にくれた。遠く七時間後を生きている彼は夢をくれた。
見た目にも自信のない私をかわいいと言ってくれた。私の欲しいものは全部彼の中にあるのかもしれない、そんなことを考え始めた。
当時はインターネットの世界に抵抗を感じる人が多かったのも事実で、誰にもこのことは話していなかった。どうやって彼と出会ったか、どうやって彼が私の心を掴んだのか。
だが出会って3か月で、しかもインターネットで出会い、まだ会ったことがない人に恋をしていると判断するのはやはり早計に過ぎる。
だから彼とのこの時間、この思いは全部私と彼だけのものだった。
だけどそんな幸せな時間も終止符を打たれかねない出来事が起きた。
彼にガールフレンドができた。
私にはない自信と、夢と、希望、そして何より彼と同じ時間を時計に刻んでる。
それから通話ツールで話すことは減った。その代り携帯メールで彼女の愚痴を聞くことが増えた。彼女は自分の信じるものに懸命で僕の誘いを断るのだ、と私に話す。
私はまだまだ勉強不足で宗教観に疎いため、どの話も理解に苦しんだ。だから私が今知っている知識の三分の一は彼から聞いた 、それも彼の偏見の入った知識と言っても過言ではない。
どこでどう役に立つかはわからないし、きっと一生使うことのない言葉も教わった。
だけど彼の思想、それが私の血となり、肉になり―――
そう思うだけで胸が苦しくなった。
私が知っている彼は、私の話を聞くより自分の話をすることが好きで、前髪の分け目が右側であること、そして口癖は「どうでもいいけどね」だということ。
彼はいったいどんなにおいがするのだろう。
彼は好きな人をどんな目で見つめるのだろう。その目は海を挟んで私に向けられる日が来るのだろうか。
なぜ私ではなくて彼女なの?そう思い始めた。
Ⅲ
その日の午前中は九州から来た修学旅行生を各お寺に誘導し、最後は京都駅に送り届けた。二年前なら、この後せわしなくバス車内の清掃をし、また別の地方からくる修学旅行生を関西へようこそ、とまたお得意の笑顔でお迎えし、奈良や大阪に行ったっておかしくない春の暖かな日だった。
今日はこの後日本へ来た海外のお客様を京都駅へとお送りする仕事だったはずだ。
時間にルーズなお客様らしい。もちろん聞いた話であって、本当かどうかはわからない。
私は寝坊はするが、時間に遅れることは無い。今まで生きてきて21年間、プライベートで約束した時間に遅れたことがない。これが私の唯一の自慢だった。
お客様が来る気配が全くなかったので、簡単に車内清掃をした後少し寝ることにした。この仕事をしていると、どうしても不規則な生活になってしまう。
私はまだ社員寮に住んでいるため門限もあるが、いや、きっと門限がなくたって帰宅すれば、すぐにお風呂に入り暇さえあればすぐに寝る。
以前どこかの記事で読んだ気がするのだが、寝だめはできないらしい。だがこの時期は程よく暖かく、うとうとしてしまう。
私の場合は年中無休でどこでも寝ることができる。こんなほぼ垂直の背もたれであっても寝ることができる。決して寝心地のいいところではないが、暖かな春の日差しが私のすべてを許してくれるようにぽかぽかと包み込む。
気が付けば陽が随分と傾いていた。時計を見ると思っていた時間をとうの二時間過ぎていた。やはり噂は本当だったらしい。
軽く化粧を直していると、穏やかそうな男性がこちらを見て微笑んでいた。
「お待たせしまシタ~。あと少しでみんな来るカラ荷物よろしくネ。」
少し不安な雰囲気もあるが、日本語が通じる人が一人でもいてくれると心強い。
あれだけ彼に仕込まれてたのにな……と少しさみしくなる。
荷物はあまりにも重すぎたため持ち上げながらの笑顔は諦め、受け取る時だけ笑顔を作った。
バス車内ではとても楽しそうに盛り上がっていた。日本のお客様にはない盛り上がりだなぁと思っていたら、後ろから声をかけられている気がして振り返った。予感は的中だった。
いかがされましたか?と例の笑顔。
「実はみんなが日本の歌を聴きたいって言ってるんだよネ~何か持ち歌ない?」
私はアイドルか何かか!?とすぐそこまで出かけていた。
私は歌わないガイドなのだ。歌わなくたって話はもたせることはできるし、それに本当はあがり症だ。
突然のお客様の要望に固まりつつ、少し練習時間をください、とだけ告げてステップに戻る。ドライバーに助けを求めるためだ。だがダメだった。
「なんでもええんちゃう?」の一点張りだ。
私は悩みに悩みぬいた上で京都の通り道の歌を歌った。この歌はきっと京都のバスガイドなら、一番に練習する歌である。
こんなの絶対歌い終えた後、お葬式のような雰囲気になるに違いないと思っていたのだが、思ったよりウケた。たぶんドライバーの言うとおり、日本語だったらなんでもよかったのだろう。
元来私は歌わないガイドだと言い張ってきたが、少しすっきりしたような気持ちになった。
バスの中も盛況のうちに京都駅に到着した。
少し歌っただけなのにお客様に大変喜ばれ、故郷の国旗の入った小さなマグや、手作りであろうがまぐち、メッセージの入ったポストカードをいただいた。さらには私とドライバーとお客様の三ショットの写真も撮ってもらったりと、大変嬉しかった。
また一つ私はガイドとして、人として成長したのではないかと思った。
私はもう彼がいなくたって、生きていける。自信と希望を手に入れた。
あと何が必要なのだろう。
*
知らぬうちに彼は彼女と別れていた。
どうやら彼女のお父さんに付き合っていることがばれてしまい、彼女の大切なものを失ってしまうと恐れたのだろう、と彼は言う。
やはりここでも思想の違いである。私は彼と連絡をほとんど取らなくなっていた間、彼女の思想について調べたが、やはり言葉では理解できるが心は理解できていない。
きっと私は何にも縛られないのが好きなのだろう。この国に生まれてよかったと十七歳にして実感した。
彼が彼女と別れてからは、また前のように連絡を取るようになった。
私も彼にできる限りの時間を費やした。
やがて私は受験生になった。私は大学進学を熱望した。
私には夢があったのだ。きっと皆さんはお気づきだと思うが、私は彼と同じ時間を時計で刻みたかった。彼と同じ日付、時間、気候、すべてを共有したかった。
だが現実に目をやるとかなり厳しいものがあった。
そこで私は断腸の思いで就職を志願した。
求人票を見てもどれもピンとこなかった。住んでいるところが工業団地なだけあって、どれも工場だ。悪夢を見ているようだった。
確かにどの求人票を見ても工場は収入がそこそこいいが、ずっと同じ作業を繰り返したり生産効率を上げるための考察など、私には気の遠くなるようなことばかりだ。
それは直感だった。これしかないと思った。
給料は……いいとは言えない。
だけどこれなら私もできるかもしれない。初めて自分のやりたいことが見つかった。
Ⅳ
異変に気が付いたのはガイド四年目の秋のシーズン終盤だった。
秋のシーズンとは言いながらもかなり仕事の量が減っていて、その日は待機だった。
待機とは、誰かが仕事中に怪我をしたり、または遅刻などの理由により、代わりや応援が必要な場合にすぐ出動できるようにする仕事で、本を読んだり、仕事に関する勉強をしたりと、本当に人それぞれだった。
その日のメンバーが私にとっては、仲のいいメンバーだったので、勉強もしつつ近況の報告であったり、話に花を咲かせていた。
そんな時だった。
耳鳴りがする。決まって右耳だけで低い音だ。
驚いて他人に気付かれないほど、少しだけ体がのけ反った。しばらくすれば治まるだろうと思って違和感を抱えながら話した。
時が経てど収まる気配はないし、むしろ右耳は聞こえが悪くなってきた。
「きく」という漢字には種類がある。「聞く」と「聴く」をあげようと思う。
あまり言葉一つに対して意識して考えることは無いかもしれないが、この「きく」という漢字の違いについて知ってほしい。
「聞く」は、自然と意識をしなくても耳に届くこと。
「聴く」は、注意して耳を傾けること。
同じ言葉でも漢字が違えば意味が少し変わる。私は先輩や同期の言葉の波に置いていかれないように、懸命に聴いた。
だが普通に生活をする分には支障がない。時と場合によって聞こえのいい時もある。それに何よりも、最寄りの病院の耳鼻咽喉科は午前で終了しており、待機が終わるのは午後二時である。
私は耳の聞こえが悪いことを忘れたかのように、帰宅してから陽が随分と傾く時刻まで夢の世界に想いを馳せた。
夢の中は唯一、今ある自分の状況から逃げ出せるように思っている。
私の夢はいったい何なのだろう。
私はこの仕事について、夢と現実の違い、夢を諦める悔しさ。夢に関していろんなことを感じ、経験した。
私の本当の夢がかなうときはいつ来るのだろう。
来ることのない日を夢見て、私は眠る。覚めなくたっていい、そう思った。
*
「受験っていうのは個人戦やなくて、クラスのみんなで戦う団体戦なんや。勉強をする雰囲気を作んのもみんなやし、意識を高めんのも全体で高めんと崩れてしまう。だからどうか、試験に成功したからと言ってその空気を壊さんといてほしい。まだみんな戦ってる。さっきもゆうたようにに個人戦ではない。みんなで戦ってくれ。」
担任である、現代文の教師は言った。それは私に向けての言葉だった。
私のクラスは文系特進クラスだった。途中で進学から就職に進路変更をした私が、このクラスでトップバッターを切って試験を受ける。トップバッターを切るからとはいえ、一番にゴールテープをきれるとも限らないのだが改めてくぎを刺しておいたのだろう。
試験の内容は資料によると私の嫌いな英語に私の嫌いな社会、古典などを含む基礎知識に関するテスト、そして面接だ。
面接は得意だった。全部で五回の機会を与えられたのだが、二回目を先日行ったときは先生から評判がよかった。
私は知らない間に彼と話をしていくうち、私には海外に住む友達がいるのだと何とも言えない喜びから、自信に繋がっていたらしい。
なによりも私は元来まじめでスカートを折って短くしたこともないし、髪の毛も染めていなければ、ピアスなんてとんでもない。そのため第一印象はいいはずだ。
以前毎月恒例の頭髪検査の際に、私の耳たぶにあるほくろを見て、先生からピアスの跡か、と言われたことは心外だった。
だけど本当は憧れていた。耳にきらりと光るダイヤのような光。膝が見えるほどのミニスカート。太陽に透かすと思わず目をつむりたくなるような髪。
すべてが私にはないものだった。
私にはないものを彼女たちにはあったのだろうか、と思わず考えてしまう。
夏の暑さが残る九月中旬。その街は盆地という地形により、ジメジメとした生ぬるい風が、私の季節外れな冬服のセーラー襟をゆるく煽る。
中にシャツを着てきてよかった。そうでないと裏地が汗でぺたりと張り付いて、不快な思いで挑まねばならない。
思っていたよりも倍率が高いらしく一気に自信を失った。だけどどうせ落ちるなら、楽しもうと思った。
いつも以上にハキハキと、つい先ほど出会ったばかりの人たちに返事をする。はたして私の言葉はきちんと彼らに伝わっていたのだろうか。
声は目には見えないけれど、文字に起こしてしまうと不思議なことに、少し違った意味にとられることがある。
私はもう何の話をしたか覚えていない。つい十分ほど前のことなのだが。それほど私は真剣だったのだ。
「ほんならうち大阪から来たし反対方面やなぁ。またうちら会えると思う?」
短いポニーテールが揺れて反対を向く。
「絶対会えるよ。絶対、来年の三月に会える。だから私はあなたたちのアドレスは聞かない!」
「うちも!絶対会おな。約束!」
そう言って会社の入り口にある、安全祈願と書かれたタスキをかけただるまに、先ほど出会ったばかりの戦友二人と一緒に手を合わせた。
「みんな一緒に入社できますように!」
ばいばいまた会おうね。
そういった彼女たちが乗った電車は、私が乗る電車の反対へと向かった。それが彼女たちの永遠の別れになった。
合格通知が来たのは、その一か月後だった。
Ⅴ
シーズンもあと二日で終わるだろうといううわさを聞いた、その次の日の朝。私は変わらず待機という仕事だった。
気怠い手つきで目覚まし時計に手をかける。いつものように細めたほとんど見えていない眼でフェイスタオルを探る。小分けに包まれたお気に入りの洗顔料を手に取り、ドアへ向かった。
ここまではいつも通りだった。
ドアノブに手をかけ、まわしたとき、あの時の倍くらいのきつい耳鳴りがした。とっさのことで驚いて耳鳴りのする、右耳をかばった。下を向いた頭を前に向けて歩こうとした。
あれ?どっちが前だっけ―――
まるで世界が回転したのかな、と思うほどのめまいがした。立っていられず、おそらく私の右側にあるであろう頼りない壁を掴むように寄りかかった。
しゃがんだとき、誰かの声が聞こえたような気がする。誰の声かわからない。誰かが私を呼んでいる?
後日聞いたのだがあの時いろんな人が私に声をかけてくれたらしいが、どの声も私の鼓膜には届いていなかったようだ。
寮母さんが私の腕をつかんでベッドまで運んでくれたらしい。覚えていないのだが私は寮母さんに、今の症状と、現実がつらいこと、そして会社を辞めたいことを言ったらしい。
辞めたいのは本心だった。この仕事は正直、きつい。他人から見ればいろんなところに行けて、おいしいもの食べれてうらやましく見えるらしい。
実際はそのレベルになるまでの下積みが長く、毎日目がまわるほどに言葉を頭の中に押し込み、付け焼刃の知識をさも前から知ってました、と言わんばかりに話さねばならない。
毎日必死で、本当に必死で、おいていかれないようにするので精一杯だった。
言葉にならない声で泣いたこともある。ガイド失格だ今すぐ辞めてしまえ、と言われたこともある。
そんな時に、支えてくれた人は。
一人の顔しか思いつかない。その時に付き合っていた彼ではない。いつも夢の中で会ってくれた人。夢の中で私にだけその笑顔、言葉、肌のぬくもりをくれた人。どんなにおいがするかさえもわからない人だ。
なぜあの時この道に進むと決めてしまったのだろう。あの時諦めなければこんなことには……
寮母さんにひとしきり話した後、お気に入りのケースに包まれたスマートフォンを手に取り、彼に文字を打った。
私、気づいてたと思うけど
カイトくんのこと好き
大好き
今すぐ会いたい
今どこにいるの?
日本に帰ってるの?
声が聴きたい
気が付いたら送信ボタンを指で弾いていた。
今の時間は何時ですか?私は返事が来たことも確認せずに、また夢の世界に落ちた。
*
彼は自分のことのように喜んでくれた。
「まさかもえもえが合格するなんてね~。びっくりだよ本当。馬鹿にしてるわけじゃないよ?」
いつまで経ってもこの話をしてくる。私はあと一週間でこの住み慣れた町を出て、時の流れが速いらしい都会に行く。彼が言うには都会の人はみんな冷たいらしい。
荷物はもう千年の古都へタイムスリップしている。
つまり、そういうことだ。私はこのパソコンを家に置いていく。もう、彼とこうして画面を通して面と向かって話すことはもうなくなる。
お互いそのことは今まで言わずに避けていたような気がする。ただ彼は高校の卒業を祝ってくれた。心の底から私の人生のスタートを祝ってくれたように見えた。それだけで私の胸の奥はじんわりと、あたたかいもので満たされていた。
だけどこのままではいられない。
「うちな、パソコン置いていく。もうこうやって顔を見て話すことができんくなる。もううちら会えへん。」
遠く海を隔てて冷たい空気が向こうにも流れた。
私は彼と出会って以来、随分と変わった。勇気を出して陸上部の顧問の先生には退部届を叩き付け、男の子と話せないと悩んでいたが、高校三年生になると男の子の友達ができたし、普通に話せるようになっていた。人前に立つことはあれほど怖かったのに、自ら人前に立つ仕事を選んだ。かなり成長したように思えたし、私はもう十八歳だ。一人で、憧れの街で頑張れると意気込んでいた。
だけど彼から返ってきたのは、予想外の言葉だった。
「でも、もえもえはさみしがり屋さんだからな~。そうやってまた強がる。僕はずっともえもえが、さみしい気持ちを背負って話していること、気が付いていたよ。」
きっと私の表情が固まったことは、画面越しに伝わっただろう。顔にでも書いているのかな、とパソコン画面の黒いところに自分を映して確かめる。
「僕ね。大学卒業したら、日本で働く。日本に帰ってエリートとして働く。いい仕事に就くよ。だからそれまで日本で待っててね。たとえ僕ともえもえが音信不通になったとしても探すよ。」
突然の言葉に驚いた。
最初はただの憧れだった。夢は夢のままで終わるのかと思った。
どんな人を見ても、どんなに魅力的な人が現れても、きっと私には彼しか輝いて見えない。
私はこれから知らないところに行く。
どんなことがあっても私は負けない。彼を頼らない。そう誓った。
Side B
久しぶりのこの空気、とても懐かしい。寝ぼけ眼で、ずっと曲がったままだった背中をぐっと伸ばす。
日本の空港は醤油のにおいがするというが、これはいったい何の匂いなのだろう。とはいえども先月帰ってきたばかりだが、何度もこの考えにのまれる。
今回の日取りは両親には言っていない。あの日の約束を覚えていてくれるなら君が待っているはず。
随分と待たされた荷物を受け取り、日本の時刻に合わせた腕時計を覗き、出口へ向かう。
目線を左から右へと流れるように移す。
僕の目には黒髪で、背伸びをしたヒールを履いた子がいる。白い紙には名前が記されていた。きっと前の仕事で空港での迎えの時、こういう風に出迎えているのを見たことがあるのだろう。相変わらず形から入るタイプのようだ。六年前に英語の勉強をするんだと豪語し、英語の教材本を見せびらかす、あの時を思い出し少し笑った。
彼女も僕の存在に気付いたようだ。
「初めまして。」
他人行儀な挨拶をする。
四年前、最後に見た変わらない笑顔で僕に言う。
お帰りなさい。待ってたよ。
私は今までいろんな恋をしてきましたが、私が好きな人は私のことを好きになってくれませんでした。恋愛とはとても難しいもので、好きになったからと言って相手の心がわかるようになるわけではなく、むしろわからなくなる一方です。
学生時代を思い出すと、毎日を懸命に生きていました。ですが勉強を頑張っていたわけではありません。今になって勉強の大切さを思い知らされています。
この話の中で萌子は、夢を諦めて憧れの都会へと道をすすめます。これが正しかったのかどうかはわかりません。歴史上の人物がもしあの時死ななければという仮説が空しさを誘うように、過去に戻ってやり直せたらこうだったかもしれない、という想像もとても寂しさを誘うものです。
実際萌子は作中で、大学進学を諦めて後悔していましたがしたが、最後はどうでしょう。
形は違えど夢はかなったのではないでしょうか。
今人生の岐路に立たされ、途方もない日々を送っている方がいるかもしれませんが、自分の選んだ道を信じて歩んでみてください。きっと間違いでなかったと、自分をほめてあげれる日が来るはずです。