2 ホールドから嘔吐
狂気を簡単に伝わるように書く方法でうってつけがあると言っていた作家さんのセリフの書き方をやってみたが、自分でもおかしいとは思っています。
妹の安否を案じながら帰宅した僕は、玄関のドアをめいいっぱい引っ張り、アクション映画顔負けの飛び前転を披露して侵入に成功した訳だが、どうにも予想と反したことで、必死の覚悟をした侵入は妹のネタになったようである。
「普通に入ってくればいいじゃん。トイレ行くの怖がってる小学生じゃあるまいし…」
「はいすいませんね」
妹は破れた僕の服を見ながら、どっかのヤンキーと喧嘩でもしたの?と聞いてきたが、これはあざけているだけで本気の質問じゃない。僕が喧嘩をしないのを分かっている様子の妹は、ほかに理由があるのを察しつつ、聞かない。そういうところが友達多い所以か。
「郵便とどいてたみたいだから、とってきてよ」
「はいわかりました」
言われるがままに、玄関のすぐ脇に設置されているポストを目指して歩き出した。なに、素直に従ってるのではない。隙を伺ってるのだ。……………少なくともそういうことにしてくれ。
ポストの中には夕刊の新聞と一通の白封筒が入ってるだけで特に気にすることはない。
それにしても…
妹は無事だった。あいつの口ぶりからだと、危険にさらされる可能性を孕んでいたのが容易に推測できる。
しかし、何も音沙汰ない。いたって普通と断言する。
いつもと変わらない小生意気な妹の姿があるだけ。
さて、部屋に戻ろう。ポストに郵便物を取りに行くだけで時間をかけてしまうとまた妹のぼやきが始まる。
「どうもこんにちは、良い月ですね」
「…っ!?!?」
背後に…誰かいる…。ポストのなかの郵便物を取り、玄関まで戻る際、方向転換の為に庭先がほんの少しでも視界に移るのは人間的な行動パターンで必然なことである。まさかカニのように横歩きで戻る奴はいまい。
そう、俺は庭の状況を認識している。 『誰もいない』庭の事を。
「そんなに驚かれなくても、ああ別に命をもらっていこうなんて死神じゃありませんし今日はしませんよ」
今日は。という備考がつくだけで、背後からセリフを投げつけてきた人間がどういた人物なのかが本能のように、完全な理解とは違う…そう、頭ではなく感覚的にだが分かった。
ほんの少しの時間だったはずだ。方向転換の時に庭の方へ少し顔を向けた。その時は誰もいなかったのに、今は背後に誰かがいる。
「一瞬のうちにあなたの背後を取りました感想としては、いささか物足りないというか…うーん、まだ時間が足りなかったかなぁ…おかしいな」
何か腑に落ちないのか、黒いゴスロリ着た少女の小首をかしげている姿が、僕の目の可動域いっぱいに使ったて確認できた。
少し首を動かさないとこれちょっと辛い。
「あ、動いてはなりませんよ?目線だけは許しています。最低限の生態活動は保証しています。さて…」
しばらく声が消えたかと思いきや
「取引をシマショウ」
耳元に声が移った。両肩にふわり、と手が置かれるのを感じ取った瞬間。背筋は凍り付いて動かなくなった。見えない鎖につながれたように、がんじがらめになった様な生きた心地のしない状況はものの二分くらいで仕上がっていた。
「私は貴方が死ぬのは味気ないのです。それに加え、貴方を隠したがる人間は多い。なので私自ら動いたわけですが、やはり私の一存で決めてもきっと貴方は理解しないので…取引をします」
両肩に置かれた二つの手が肩から脇に回り、抱きしめるような形を取り始める。絶えず耳元で囁き続け、異質さを蓄え続ける。耳に当たる吐息が意識を乗っ取るように頭に溶け込んでいくのが分かる。
「では聞きます。貴方は強制的に他の者からその身に安楽死を受けるのを望むか、自ら命を握り、地獄を歩き生きるを臨むか……選べ、選べ」
苦痛ではなく、温めた浴室に浸かり始めたかのように、気楽で、安心に満ちる気分の自分が居る事に恐怖を覚えている。だが、それとは裏腹に体が動かせずにいる。
知らず知らずのうちに術中の真っただ中を彷徨い、戻れない場所まで来ている。取引なんてもんじゃない。
僕に選択の余地はない。彼女の提案を肯定し続けることを意思に刷り込まれているそんな気がする。
駄目だ…どうにかしないと、どう考えてもまずいことになる。
「さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、さあ、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく、はやく!!!!!!!!!!!!!!!!! 」
頭の中は文字の羅列に埋め尽くされる。気分が悪くなるにつれ諦め始めた。いくらの時間が経ったのか推測するのも難儀になった。誰か、誰か助けて…くれ…誰か…
「郵便物取りに行くのに時間かけすぎでしょ、どう考えても!」
「う、うおぉえぇぇぇぇぇえええええええええ……っ!!!!!ごほ…っぉお…」
「えちょ、何!?、ノロウイルス!?いきなり吐くの、汚い…じゃなかった、ちょっと大丈夫!?」
体の力はすべて抜け、こみ上げた吐き気にすべてを委ねた。すると家の前で盛大に吐くマーラインの様な男子高校生が誕生した。
少女は消え、ただ吐き気と救急搬送される事実が残った。