4 戦闘秒差
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久園 未来という名の少年は切迫した状況に身を置いていた。突如として目前に現れた人物は、2、3m以上は確実にある半裸の大男であり、蒸気機関車の様に白い鼻息を荒々しく吹き出しながら話しかけるという変態性に富んだ人物だった。
この人物に声をかけられ、まさかしなくてもその対象が自分であった事。
生きた心地はとてもでないがしなかった。そもそも久園にとって何が『生きて活きている』状態かと、はっきりとした定義付けが彼自身の中でなされているのかといえば違うが、ある程度、一般人並みには定義付けされてあった。
大雑把な彼の定義では『先が予測でき、理解の及ぶ範囲で事態が収まる事』が、生きた心地のする状態なのだ。
今の状況はそれとかけ離れている。
軽いパニックを起こしている。脈動し続ける筋肉を、まざまざと晴天の下で晒している大男は不審者と言うより腐辛者。
一方、久園の身体は硬直しきっていた。次の取るべき行動が全く思いつかない。
すると、
「ぜェ…ハァ…いやぁ…筋肉特急を野放しにするべきじゃ…はぁ…なかった。反省、反せぇっ…うぇえ……」
背後から酷く息を切らした様子が伺える喋り声が聞こえてきた。
*
今はまだ状況をよく飲み込めていないが、納得がいかない訳ではない。
つまり今がそうだ。
「済まないね。私の友人が君に迷惑をかけたみたいで。」
そう言って、フォーマルスーツに身を包み、短髪ブロンドヘアのいでたちで人の良さそうな雰囲気で僕に話しかけてくる。それが愛想笑いと同じ、他人と付き合う為の処世術かも知れないが。
「あの……どういう御用件ですか?」
何か言わなくては…… 、微かな抵抗でも起こすべきか?
「君さ、面倒事に巻き込まれて面倒臭いと思ってる人と同じ顔してるよ?」
ご名答。
まさにその通りだろう、実質面倒な事になっている。あんたの背後から、巨大で妙な視線が頭に降り注いでくる。それにさと、この女性は続けた。
「君次第で救えると思うよ」
「…?」
ほんの少し、少しの間を挟んで、
「君、妹いるでしょ…?」
「…っ!?」
その瞬間、全身に電流のような痺れが駆け巡り、悪寒が身を包み込んだその刹那、意識せずに身体が動いた。
的確にいえば僕は、後方に数メートルは有るかと思う跳躍をしていた。
「殺意をほんの少し混ぜて言葉にしたけど………いいじゃん。反応出来て」
因みに僕は、体力テストの立ち幅跳びが嫌いだ。苦手だからだ。つまり、今の僕は僕自身の大跳躍に驚いている。
「逃げんなって、まだ妹ちゃん。殺してないんだしさ~、もっと良い子にしないとアブナイでしょ」
「殺っ……なんだって?」
彼女の背後にいた筋肉大男が金髪彼女の肩を摘むと、むわぁと口を開けて、
「我は運動がしたい。」
「あ、じゃ任せた。正直さ、こんなデカイの側にいて交渉もクソも無いし、力を持ってご愛嬌といこう。…ね?私は彼の妹見てくるからさ、よろ」
すると跡形も無く塵も残さずと表現出来る程に、最初からその場に居なかったかと錯覚する程、姿形を消した。
「相、分かった、少年よ…踊ろう……踊ろうぞ!………………楽しいぞ!!」
「遠慮します…っ!!」
即答。
筋肉大男(名前が分からないので暫くはこのまま)は、クラウチングスタートの姿勢をとる。
クラウチングスタート。
陸上競技に置いて、400m以下の場合用いられる方法であり、スタンディングスタートに比べ足と重心の位置に差が生じ、加速する事ではスタンディングスタートより適している。
そう、目の前の筋肉大男、こちらに向かって加速して来る。100mも無いこの距離を。
「ゆくぞ…ッ!!ふお お お おぉぉぉぉぉおぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
爆弾でも埋まっていたのかと勘違いせざるおえない程の爆発音とともに、僕、久園未来は
吹っ飛んだ。差し詰め死んだ。
*
いてぇ
身体中に違和感を感じる。動かそうと試みる。すると遮る様に激痛が走った。駄目だ、意識が朦朧とする。
《くだらん、さっさと起きろ。痛みがどうとか、既に直っている癖に…》
(は?冗談言うなよ……!?)
僕は分かっていた手足が妙な方向に折れているだろう事を、目も見えない。潰れているのかもしれない。
そう思った。しかし、気づけば身体は徐々に動かせ、視界も他の感覚も戻ってきた。
「…うぅ」
身体を起こす。
《 逃げろと言ったのに、鈍い…あろう事か連れ去られるとは》
「連れ……なんだって?」
頭に響く幻聴は縁起でもない事を言った。(幻聴なので実在する訳はないから『言った』という表現が決して適当ではないのだろうけれど、その場に存在すると仮定して居ないととても僕にとって精神的不都合が起きそうだからだ。)
(暗いな)
建物の中だろうか?
「おおぉ…少年ェン!…君も気付いたか?」
「!?」
声がする方を見ざる負えなかった。そうそれは一度見聞きしただけで記憶に擦り込まれるインパクトの筋肉大男だった。
筋肉大男は身体を鎖で繋がれ、しっかりとした拘束具を使われてどうやら身動きができない様子だった。僕もまた鎖で繋がれている、拘束具まで使われはしなかったが。
それと、一つ疑問が湧いている。
この筋肉大男。『君も気付いたか?』と言った。それはもしかしなくても…
「あの……つかぬ事をお聞きしますが?」
「ふむ」
「見て分かる通り、まさか貴方が僕をこうして拘束してる訳ではないですよね?」
「うむ……いやまさか、邪魔が入るとは思わなかった。しかし、残念だ…」
邪魔が入る。邪魔…?
やがて筋肉大男は話し始めた。事の次第を。
*
「我が少年に向かい、瞬間速度が丁度100kmを超えかけていた時だ…少年の身体が軽く飛んで直ぐの事。我は自身の顔に違和感を感じた。今日の我は毎日のプロテインを飲み忘れていたからか…瞬間、右の頬を抉られていた事に痛覚がついて行かなかったらしい」
無念だ、落胆した様子が伺えるセリフを口にした。無念だじゃねえぞ。
つまりこういうことか、僕は下校の最中に襲撃され、その襲撃犯がいざ確保といった時に第三者の介入より僕を含め、この筋肉もこのザマといったとこか…
「うわぁ…」
「すまぬ…」
しばらくの沈黙を挟んで、筋肉は。
「まあ、脱出するとなれば容易だが少年が危険にさらされるであろう」と、しかしながら身体の身動きも取れずにいるのは不安になってくる。しかも、こんな奴が前にいるのだからなおさらだ。ここはまず。
「えと……、危険にさらすというと…具体的にはどういった風に?」
聞いた。
「そうだな、この拘束具を外すに当たって筋肉を使う。すると部品がはじけ飛び、我は解放の喜びに胸を躍らせながらこの空間を潰す。ただの鉄のようであるからな…そして脱出後、我が少年を連れ出してもいいが、生憎我の肉体は定員が我のみなのでな…少年は自分の身を自身でしか守る他なくなる。それは困るだろう?武力を持つは我のみ…まあこの任において鍵が少年でないなら、既に今頃はもう捨て置いて外で舞っているだろう」
確かにそうだ。この怪人でしか今の詳しい状況を把握できていない上に、僕自身逃げるか守るかとか、打つ手を選り好みする程の力も無い。さて、家に無事帰れるものだろうか…無論、難しいな。
《宿よ、この男に暴れさせろ。後は全て私に任せろ》
(よお、妄想の産物)
《妄想かどうか証明してやるから言う通りにしろ》
(馬鹿言うな、息するのと会話するので精一杯だ)
頭に響く脳内のバグに、意識を保つ為の一つの方法と思い悪態を付く僕はこれからの事を考えていた。このまま海外にでも売り飛ばされるのかもしれない、いや男だから可能性は低いか?そうでないのならバラされて臓器売買の市場に並ぶ日も遠くないだろうな。ああ、体中に広がる倦怠感はまるで『血』のようだ。それは澄み渡ることを知らず、ひたすらと紅く、触れたものを飲み込みどこまでも蝕む。その触覚を逆撫でる他の何にも似つかない乾いた感覚は、ただただ独特で異質なものだ。一度溶け出せば染みつきへばり付いて放そうとしない。
僕は混濁し始めてきた意識をそっと手放し始めた。
その時である。
「うん、かゆい。痒いぞ!背中が掻けと申して騒がしい。『鍵』程度ならば……やはり適当な理由をつけて………」
何か言っているのかが分かるが、理解はできない。
「我は飽きたので悪いが脱出するぞ!!フンゥゥゥウウウン!!!!!!」
目の前で破裂音が鳴り止まない。視界がはっきりとしないので音がどの様に発せられているのか分からないが…
「ではな!さあ、我を阻む壁よ鉄くずとなれェイィィィイイイイイ!!!!!」
一体何をすればこのような破壊的爆音が出せるのか皆目見当がつかないが、その音はすぐ止み、筋肉大男の姿は消えてなくなった。代わりに大男が開けたであろう大穴には、暗雲から差し込む光明の様に外の光があふれ出していた。
《あちらの方から出て行ったか。促す手間が省けたな、では私たちもここから出るぞ………どうした?力が抜けているぞ。死にたいのか?》
(うるさい、出ようにもこれが邪魔で無理だ)
手を振るわせてみせる。あわせて部屋に響く金属音。鎖同士がぶつかり合う。
《なに力を貸してやる。案ずるな、腕に、拳に、力を込めろ。気力も筋力もすべて余すことなく絞れ》
このときなんだか知らないが、素直に応じていた。両手は肘から下、雨垂れが壁を伝う様に、指先に至る隅々まで黒く染まり始め、染まり尽くした箇所からより黒い墨汁の様な液体が溢れ、隅々まで包む。光も通さない程の黒い水は、指先一本一本を丁寧に広がり、水は鎧の様な形状に変わる。液体の質感から固体の質感へ、肌に張り付いた感覚は、もともとはこういうモノだったような感触へ、身体の重さは、綿の様に軽く、そしてより洗練される。
《出来た。立て、立つだけでいい。おまえをつなぐことが出来るのは私だけだ…好きに動けば成るようになる》
言われた通りに腰を上げ、鎖に繋がれた肢体は解放へと向かう。
「妙に…スッキリしたな」
《良かったな》
なんなんだろうこれ……… 、手についた黒い鎧を見つめながら外に出た。だが不思議と思うだけでパニックにならなかったのは、また何故なのか……
外に出てみて驚いたのは、大きい道路のど真ん中で発火した黒いトラックの、黒い荷台から僕が出てきたという状況に驚いた。
「どこかの部屋じゃなかったのか…にしても何処だここ」
《宿、この燃えている塊の前にも同じ塊があるぞ》
(ほんとだ)
横倒しになったトラックがそのまま放置してあった。運転手が何か残してはいないかと中を探ったが、きれいに何もない。つまらん。
そうだ、こういうときは携帯電話で誰かに助けを求め……
『充電してください。』
(……………)
だがあきらめない。こんな時は電柱に住所が書いてあるはず。そうして確かめること5分、ここは銘軸橋市。僕の住むところだとわかった。ここからなら走って戻れば、夜になる頃にはつくな。
《誰かは分からないが、こちらを見ている奴がいるぞ…宿》
(は?)
その時、横倒しになったトラックが風船のように弾けた。
「…っ!?」
ハリウッドさながらの爆発シーンは…明らかに日常と切り離された存在によって起こったものと直ぐ判別がついた。それはいびつに声を発する…
「∵譚・陦ィ」
あれは………夢じゃなかったのか…?
忘れもしない昆虫のような風貌、踏みつぶし嘲笑う声。間違いない。
《奴は今回も殺そうとしているな》
「繧ク縺ァ縺吶」
《だが、逃げるのはどうも“足りない”。宿よ、避けて拳を当てろきっと楽しいぞ》
*
無視、逃げる。異論は認めない。
《もう遅いッ!!その鎧、身に着けたが最後、今日一日は私の私情を拒めないぞ!何を狼狽えている前を見ろ!避けろ!》
「縺ェ薙・繝ァァ」
目の前の怪物はいつの間にか視界から消え、気づいたときには大腕を振り上げ目の間に立ちはだかっていた。
「!?」
向かう拳は風を切り裂き久園の腕を目掛けて、抉る様に打ち込まれた。それを間一髪のところで避ける。頬が多少触れ、切り傷の様に痛ましく血が滴る。それも構わず久園は懐に潜り込み、すかさず奴の強靭な肉体を殴りつけた。しかし、軽く受け流され反撃は水泡に帰す。
怪物は大きく後ろに跳躍し、距離を取った。明らかに警戒を強めたのが伺える。
この時は何故、自分が俊敏な動きを戸惑いもなく円滑に行えたのか、という事に疑問で仕方ないが、考える暇も与えまいとする化物の猛攻を、なんとか凌ぎきるだけで精一杯で、答えは出なかった。
《このままではまずいな、宿は思ったより体力が無かった》
(ほっとけっ!!)
《では奴の動きが目で追えるのか?恐らく、宿の消耗を狙って一息で殺すつもりだ》
確かに僕はこいつの動きについて行けなくなっている。
《そこで思ったが、こうしよう》
(…?)
僕は自分の幻聴が立てた策に乗った。
*
「繧ク縺∵譚………」
《今話した通りでやる。頼むぞ私もお前の中で死にたくはない!》
(簡単に言いやがって………)
今頃になって、張り詰めた緊張感が己の内側から発せられている事に気づいた。
「戦うのは僕だぞッ…!!!!!!」
「∵譚ワ縺吶ェ!!」
うわぁ!!キメエ!!
この時、久園の視界に映る怪物、大きく口開けて黒板に爪を立てて引っ搔いた時の音と、まるっきりそっくりな怪音を叫び立てていた。
そして、怪物はまたも攻撃を開始した。
西洋甲冑の腕だけ身につけましたという様な格好で、何故か部分的に守られているその腕で、器用になんとか凌ぎ切れる僕を褒めて欲しい。主に妹!
そういえば妹……狙われてなかったか?忘れてた。(なんで僕らがこうして命の危機に晒されているのか解りかねるが。)
《宿よ》
「………………」
久園未来はこの時、力尽きた。水無月の風に吹かれ、乾いたアスファルトの上に膝を落とした。
肩の力は抜け落ち、屍のようにうな垂れる。
怪物は弾丸の如く飛び出し、獰猛にこちらを殺しに来る。この好機を逃してなるかと食らいつく様に、情けなき野生の殺意は研ぎ澄まされた太刀の如く命の瞬きを照り返す。一度鞘から抜かれた本能は納める事は出来ない。人型の昆虫は止めを刺しに強襲した。
『かかったなあ……テメエ…!!!!!』
己の中で響く声と、まるで合わせた様に言葉が出た。
その瞬間内側から、身体中の不純物を洗い流す様に駆け巡る、やがて中心にあったその感覚は熱く流れ血の流れに逆らい右腕に集まる。
右手の甲で鎧を突き裂き暴発する。
燃える様に熱く溢れ出た紅き光の粒子は、黒い鎧に映える。少年は知らない、それは破壊に兼ね、無力を愛せる力。火の中で生き続ける様な諸刃の剣であっても。
「さあ喰らえ…ッ…遠慮なくブチ壊れろぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!!!」
敢え無く、拒む事も無く、本能に飲まれすぎた虫は素直に拳の餌食となった。
内側から紅き粒子に身を砕かれ、自身も同じ物として形を変え混ざり、散り散りになって消えた。
少年は下を向いていた。
紅き粒子は暗くなった夜道を街灯の明かりを飲み込んで、六月の夜空に少し早めの天の河を引いた。儚く繊細にしかし、消えようとせず瞬く様は、少年の消耗を癒した。