国の借金返済と通貨の循環
■はじめに
(2015年8月初旬現在)
近年、あの原発大国と言われているフランスが、原発を減らしています。つまりフランスは“縮”原発に入っているのですね(反発もあるようですが)。恐らく、その先にあるのは脱原発でしょう。少なくともヨーロッパでは原子力発電事業の終焉が、明確になっていると言っていいのかもしれません。それにはもちろん日本で起こった福島原発事故も大きく影響している訳ですが、その要因の一つには、原発の安全性に対するコスト増があります。
安全に原発を運用する為には、莫大な費用がかかるのですが、それだけの予算を出す事が難しいのです。それはとても一般企業で賄える規模の額ではなく、その為に原子力発電所の会社は経営危機に陥っています。だからフランスでは、国が原発の為に予算を割いています。
ここで、少し疑問が生じませんか?
原発事故を起こした当事国は日本です。ところが、その日本では、原子力発電所を運営する電力会社は、安全性へのコスト増から経営危機に陥ったりしていません。
一体、どうしてなのでしょう?
まぁ、話は簡単で、原発を安全に運用する為に、日本では充分にコストをかけてはいないのです。その中でも特に問題なのが、テロ対策で「世界で最もテロに対して脆弱な原発」なんて評されています。
もっとも、頻繁にテロ事件が起こっているフランスと、ほとんどテロ事件が起こっていない日本とでは状況は大きく異なっているでしょう。テロリスクの評価が、日本では自然と低くなってしまうのは、ある程度は仕方ないのかもしれません(ただし“平和ボケ”だという批判は甘んじて受け入れるべきだと思います)。
ですが、ここ最近で“テロリスクの低い日本”という状況は変わりつつあります。言うまでもなく『安保法制』があるからですね。この法案が通れば、自衛隊を海外に派遣できるようになります。そして、そうなれば、アメリカに協力して軍事活動に参加する事になるかもしれません。ならば、当然、アメリカなどと同様に日本のテロリスクは高くなります(アメリカは世界中に敵のいる国ですから)。
もちろん他の場所へのテロも心配ですが、その中でももっとも不安なのは、原子力発電所である点は言うまでもありません。
国が出した試算では、もし原発がテロリストに狙われたなら、最悪、1万8千人が急死するそうです。“急死”ですから、長期的な死者や罹病する人間の数はそれを遥かに上回るでしょう。しかも、原発の周囲86キロ圏は居住不能になるそうです。当然、容認できるものではありません。
自民党はどうして、このようなリスクを国民に押し付けようとしているのでしょう? 国民の命が奪われても構わないと思っているのでしょうか?
……などとは、流石に僕は思いません。
多くの国民の反対を押し切ってテロに対して脆弱なままで無理に原発を推進したのは自民党で、そして『安保法案』を無理に通したのも自民党ですから、もし原発テロなんて事態が起これば、当然、その責任を問われる事になります。普通に考えれば、よっぽどの事がない限り、自民党政権は終わりでしょう。
つまり、自民党にとってもテロリスクは充分に脅威なのです。最悪のケースとして原発テロを例に挙げましたが、その他のテロでも充分に脅威になるはずです。
「実は自民党ですら“トカゲのしっぽ”で、いなくなったところで構わないからだ」なんて陰謀論紛いの憶測はここでは考えないようにしますが、だから僕は日本の政治家や官僚にはリスク評価能力が欠けているのではないかと疑っているのです。
根拠はあります。
世界中で起こっているテロを観てみると、果たしてどれだけの効果があるのか疑問に思うようなものも数多くありますが、この『安保法制』への対応としてテロは、充分に効果的だと判断できます。
テロリストの立場になって考えてみてくださいね。
もしも、日本にアメリカへの協力を止めさせたかったら、日本で原発テロを起こせば良いんです。そうすれば、アメリカに協力している自民党政権は倒れ、他の政党がアメリカへの協力を終わりにしてしまう、その可能性がかなり高いはずです。
つまり、原発をテロの対象にすれば、テロリスト達はその目的を果たせてしまえるって事です。
この構図は非常に危険です。
原子力発電所に対するテロリスクを、かなり高めてしまうと考えて、まず間違いはないでしょう。
(もし、これを読んでいるあなたが、原子力発電所が近くにある地域に住んでいる人で仮に原発に賛成でも、だからテロ対策だけはするように強く訴えた方が良いです。自衛隊の警護ならば、今直ぐにでもできるはずですから)
この程度の事は、少し考えれば誰でも思い付くはずです。ところが、何故かこれを政治家や官僚は無視してしまっているのです。これは、リスク評価能力が低いからだと判断するしかないでしょう。
だからこそ、災害に対する原発の脆弱性が、はるか昔から指摘されていたのに、それを無視し、政治家や官僚達は福島原発事故を引き起こしてしまったのではないかと思います。
他にも最近、厚生省で年金情報流出事件が起こりましたが、あの事件の手口は新しいものでも何でもなく、有り触れて知られた一般的なものでした。企業に勤めている人なら見たことのある人も多いと思いますが、注意喚起のビデオも作成されています。早い話が、充分に防げる類のものだったんです。リスク評価能力が低いからこそ起こった失態だと言えるでしょう。
(因みに、この事件の犯人は、国が関与しているかどうかは別として、中国が関わっている可能性が濃厚です。広義には、だから国際的なサイバー攻撃に分類できるはずです。テロに対して、日本は脆弱だとこれを観ても分かります)
また、政治家についての心配な事件も最近ありましたね(挙げていけば、切りがないのですが)。自民党の政治家達が集まって「マスコミに圧力をかける」と言ったあの事件です。その事自体も問題ですが、そんな事を言えば社会問題になると理解できていない点も大いに問題です。これもリスク評価能力(というよりも、それ以前の問題のような気もしますが)が欠落している証拠の一つでしょう。
もしかしたら、集団心理の所為で、正常な判断能力がなくなってしまっていたのかもしれませんが、それでも、というか、だからこそ非常にこれは恐い(宗教を観れば分かりますが、集団心理による陶酔は、問題行動を容易に引き起こします)。
■増税と国の無駄
さて。
冒頭で、どうしてこんな話を長々としたのかというとですね、このエッセイでは「国の無駄」についても語るつもりなので、無駄ではないコストのかけ方についての例も挙げて起きたかったからです(後は『安保法制』によって発生するテロリスクを心の底から恐れているからでもありますが)。もし仮に原発の運用を認めるのなら、テロ対策は絶対に必要なコストです。
あ、一応、断っておくと、僕は原発には反対しています。考えられる全てのメリットとデメリットと日本社会の状況を勘案して考え、反対という結論に至りました。これは“もし仮に原発を運用するなら”って話です。
こういったように明らかに必要なコストなら、莫大な予算であったとしても、納得するしかありません。
ですが、国が予算を割いている様々な事々に、本当にそれだけの必要性があるのでしょうか?
あるはずがない。
国は“無駄遣い”をやりまくっている。
ほとんどの人がそう思っているでしょう。
ところがそのほとんどの人が「国の無駄遣い」を快く思っていない状況下で、「国には削れるような無駄はない」と豪語している人がいたのです。
その人は「日本は既に小さな政府(国の支出が少ない)なので、これ以上無駄を減らすべきではない。増税によって税収を増やし、それで借金を返すべきだ」とそう主張していました。
(テレビで話していた内容を記憶に頼って書くので、一部、その人の主張を反映していない可能性はあります。注意してください)
僕はそれを聞いた瞬間、直ぐに二つの疑問が思い浮かびました。
まず一つは、
「この人が言っている“政府”とは果たして何を指しているのだろう?」
です。
何故か最近はあまり話題にならないようになりましたが、日本の国の予算には一般会計と特別会計があり、一般会計の規模が90兆円ほど(2015年度は96.3兆円)に対し、特別会計はその数倍の規模があると言われているのですが、実態は定かではありません。というか、正確には、定かだと言っている人もいるのですが、僕はそれを信用してはいません。400兆円以上(流石にこれはないと思いますが)といったものから、最低は100兆円と特別会計の規模について色々と述べられている内容を読んだので、どれを信用すれば良いのか分からないからです(今、検索をかけたら、2014年度で、一般会計と特別会計を合わせて237.4兆円と出て来ました)。
もし、この人が言っている“小さな政府”が一般会計だけならば、確かに小さな政府と言えると思います。ですが、特別会計も含めた場合、果たしてどうなのでしょうか? “小さな政府”と言えるのでしょうか?
仮に特別会計を含めて“小さな政府”と主張しているのだとしても、それにしたって減らせる無駄は充分にあると僕は思うのです。
(因みに、この放送の後で新国立競技場の総工費2520億という問題がクローズアップされるようになったので、この主張の説得力は随分となくなってしまいました)
例えば、生活保護受給者の医療費無料という優遇をやめ、負担できる分だけで良いので、負担してもらうようにするとか。厚生年金と共済年金の上限を15万円にするとか。公務員の年功序列を見直すとか。もちろん、公共事業の見直しや、予防を徹底させる事での介護医療費の削減などなど、いくらでも削減できそうな無駄は出て来ます。
この状態で「既に小さな政府だから無駄を減らそうとするべきではない」は流石にちょっとばかり言い過ぎでしょう(ただし、では無駄の削減だけで、国の借金が減らせるのかといえば、それも難しそうだと僕は思っていますが)。
二つめの疑問は、
「増税で借金を返すとして、その後のお金の使い道は、どうやって作るつもりなのだろう?」
です。
国が借金を返せば、その分の通貨は当然、金融機関に向かいます。すると、そこに余分な通貨が発生し、投資先が必要になります。もし、通貨が金融機関に死蔵されてしまえば、それで景気が悪くなってしまうので、それは絶対に必要なのですね。
(国の無駄遣い体質の原因の一つには、この死蔵された通貨をどう使うのかという問題があります)
ところが、日本の民間は増税によって通貨を吸い取られています。消費は鈍化するでしょうから、有望な投資先が見込めません。ならば、後は投資先は海外しかありません。それでも或いは金融機関は利益を上げられるかもしれませんが、果たしてその時、一般の国民の生活はどうなってしまうのでしょうか?
ほぼ確実に、貧困に進んでしまうはずです。
金融ビジネスで得られた利益というのは、分散し難い事が知られていますから、金融機関が利益を上げても、それは一般の国民には巡らないでしょう。つまり、一般の国民の収入が増える要因が見当たらないのです。
そして、そうして国民が貧困になれば、やはり不景気になります。そうなれば税収が下がってしまいます。すると、借金を返す為には「更なる増税が必要」と、なってしまうかもしれません。つまり、何も考えずに増税で借金を返してしまうと、悪循環に陥ってしまう危険性があるのです。
僕はその人の主張の一部…… 日本国民が増税アレルギーに陥っているという点だけは認めましたが、後は極めて浅慮だとそう結論付けました。
その人の主張には“通貨の循環”が、完全に考慮から漏れてしまっているのです(と言っても、テレビで語られた内容は、その人の主張の一部でしかないでしょうから、全てを聞けばちゃんと考慮されている可能性もあります)。
……なんて書くとですね、「ならばお前の対案を見せてみろ」とそう言う人が必ず出て来ます。いえ、出て来なくても多分、思う人はいると思うんです。
確かにその通りですね。
なら、一体、この国の膨らみ続ける借金をどうすれば良いのだろう?
もし仮に、節税で充分に借金を返すだけの予算を捻り出せたとしても、金融機関に通貨が余る点は同じですし(国民が通貨を奪われていないだけ、マシですが)。
実は僕には対案があります。
いえ、むしろ、対案があるからこそ、こうしてこんなものを書いているのですが。
(ここから先は、僕が何度も提案している方法の説明とほぼ同じですので、もう充分に理解しているという人は読む必要はないかもしれません)
■通貨循環モデルとその応用
まず、経済成長について非常に簡単に説明します。
何かの原因で、労働力が余っているとします。つまり、失業者がいるのですね。その失業者をそのまま放っておけば、それは不景気を引き起こします。
ですが、その失業者に何かしら“新しい生産物”を生産する仕事に就いてもらえれば、社会にその生産物が流通するようになります。
当然、その“新しい生産物”を生活者達が消費する必要が出て来ますが、そうすれば、その“新しい生産物”に対しての新たな“通貨の循環”が発生し、通貨の循環量が多くなります。
そして、“通貨の循環量が多くなる事”。それこそが経済成長です。
これは“何もなかった時代”から、経済成長と共に車、冷蔵庫、テレビ、電話、パソコン、携帯電話とどんどん生産物の種類が増えて来た歴史的過程を観ても明らかです。
因みに、それで生活者には“新しい生産物”についての支出が増えますが、同時に収入も増えるようになります。なので、支出が多くなるといってもそれほど気にする必要はありません。もっとも、当然の事ながら、個人個人によって状況は異なるでしょうが。
この“新しい生産物”は、別に何でも構いません。
例えば、何の役に立たないビルでも、船のない港でも、飛行機が降りたたない空港でも、過剰に有り過ぎの大学でも、400年がかりで造る、どんな意味があるのか分からないスーパー堤防でも。
これらは、言うまでもなく国が行った公共事業の数々です。ただし、増税によってではなく、借金に頼って行ったのですが(そして借金に頼り続ける事によっての、歪な形での通貨の循環が発生しています)。
これら公共事業でも“通貨の循環”が発生すれば、それは経済成長になります。
因みに税収増によって、この借金を埋められれば、結果的に長い時間をかけて、国民がそれら無駄な公共事業の数々を買ったのと同じ事になりますから、一応は真っ当に“通貨の循環”が発生している事になります。
ただ、当然の事ながら、大いに問題はある訳ですが。
その一つを挙げるのなら、それが資源の無駄遣いになってしまっている点でしょう。資源を有効に利用し、世の中の役に立つ生産物を造る方が良いのは言うまでもありません。
さて。
突然ですが、少しだけここで視点を変えます。
今の不景気は、生活者達がお金を使わないからこそ発生しているとよく言われますね。ならば、こうすれば確実に景気は回復するとは思いませんか?
まず、国が増税して、国民から通貨を徴収します。
そして、そうして得た通貨で、何か“新しい生産物”を生産します。
すると、その“新しい生産物”の分だけ、経済は成長する事になります。
はい。
実はこれは“均衡予算乗数の定理”と何だか難しいネーミングで呼ばれているものと同じ事を説明しています。
この話を更に続けると、
その通貨が民間に還元され、市場を回り、また税になって国に入り、そこでまた国が何か“新しい生産物”を生産すれば、“通貨の循環”が安定して発生し続ける事になり、経済成長が確定します。
例えば、公務員制度はこれと同じ原理ですね。税金で、警察やら消防やらを運営して、かつそこに“通貨の循環”が発生している(ちょっと高齢者の給与や年金が高過ぎるという難もありますが)。
さて。
問題はこの“新しい生産物”に何を当てるかです。
先にも述べましたが、それは別に何でも構わないのです。利用目的のないビルでも、車の通らない道路でも。一応は、それでも経済成長になります。ですが、これも先に述べた通り、役に立つ物の方が良いのは言うまでもありません。
ならば、その“新しい生産物”に太陽電池を当ててみるというのはどうでしょうか?
太陽電池の技術は既に充分に上がっています。それは充分に社会的利益になるレベルにまで達している。既に何度も説明していますが、“通貨の循環”が発生すれば、支出が増えるのと同時に収入も増える事になるので、それは生活者の負担にはなりません(国内でほとんどの労働力を賄う前提ですが)。
いえ、それどころか、資源エネルギーの輸入で海外へ流出していた通貨が、国内で回るようになるので、収入はそれ以上に増えるかもしれません(太陽電池の原材料の輸入で、海外に逃げてしまう通貨もありますが、差し引きすれば、収入の方が多くなるはずです)。
更に言うと、これから日本は労働力不足が深刻になっていきますが、太陽電池などの再生可能エネルギーの多くには、維持費が極めて安価という優れた特性があるので、今のうちに生産しておけば、それに備える事が可能になります。当然、労働力不足に陥れば物価が上昇するので、太陽電池の利益率は上昇します(太陽電池等の再生可能エネルギーのコスト計算には、何故か物価変動が考慮されてない場合が多いので、注意してください)。
これを観れば分かる通り、今まで国が行って来た数々の無駄な公共事業に比べれば、“太陽電池の製造と設置”の方がよっぽど良いのは明らかです。
(もし、今まで国が行った無駄な公共事業の予算の全てを、再生可能エネルギーに回していたら、今頃、大幅にエネルギー問題は改善していたことでしょう)
また、今までのこの話を「新たな“通貨の循環”を増やす」という視点で考えると、更に注目すべき手段がある事が分かります。
“通貨の循環”が増えるのだから、その増える分の通貨ならば、実は通貨供給が可能なのです。通貨の需要が増えるのに合わせて、通貨を供給するので、不健康な物価上昇は起こらないのですね。
だから、“太陽電池の製造と設置”に関わる最初の一回分に関しては、通貨の増刷によっての支払いが可能なのです(二回目以降は、確りと徴収しなくてはなりませんが)。
今、日銀が量的緩和政策によって、大量に資金を金融市場に流し込んでいますが、これはそれよりも遥かに安全な手段だろうと思われます。
■これで財政は健全化に向かう
上記の方法を実行すれば、ほぼ確実に経済成長を起こせます(失敗する可能性もない訳ではありませんが、今のところ、僕には致命的な欠陥は思い浮かびません)。
そうなれば、当然、税収が増えるので、国の財政状態は良くなります。また、景気が良くなるので、これに際して、国の公共事業を減らす事などが可能です(と言うよりも、これをやらなくては、民間の資源需要増に応える事ができませんので、絶対に必要です)。
つまり、この方法を執れば、景気回復とそれに関わる歳入の増加、そして歳出の削減とを同時に行えてしまえるのですね。
“太陽電池の製造と設置”という確かに成長する分野があるので、当然、投資先も確保でき、死蔵する通貨は発生し難くなります。
今のところ、僕は財政健全化のプランで、これ以上のものを思い描けません。
もちろん、政治家や官僚が税金を掠め取ったりすれば失敗するかもしれませんが、それはまた別問題でしょう。他のどんな方法でも、その問題点は関わってきます。
■労働人口の減少という大問題
ただし、上記の方法を執るに当たって、一つ重大な問題点があります。
それは「労働人口の減少」です。
上記の方法は、労働力が余っている状況でなければ執る事はできないからですね。そして現在、どんどん労働力は減り続けています。つまり、時間がない。だから急がなければいけません。
そして、この「労働人口の減少」は、他の様々な問題にも関わってきます。もちろん、年金や医療などの社会保障もそうですが、国家破綻すらも引き起こす可能性があります。
仕組みは単純です。
「労働人口の減少」は、物価上昇を引き起こします。しかも、それは生産性が減る事によって起こるスタグフレーションです。早い話が、給料は上がらないのに、物価だけが上昇する不景気です。
この場合、税収はそれほど上がりません(何しろ、不景気ですから)。そして、物価上昇によって、国の支出も増え、国民の貯蓄は減ってしまいます。
国は国民の貯蓄から借金をしていますから、当然、借金し難くなります。借金できなければ、国は財政を成立させる事ができません。国家破綻状態に至ります。
或いは、その状態に入っても年金資産などに手を出せば、なんとか国家財政のやりくりが可能かもしれませんが、そうなれば年金制度は完全に破綻してしまうかもしれませんし、一時的な回避策に過ぎないでしょう。仮に国家破綻を回避できたとしても、社会が大きく混乱する事だけは確かです。一体、どれだけの死者が出る事になるか……。
僕は「労働人口の減少」が国家破綻を招くと考えてから、同じ考えに至った人が他にいないかと探していたのですが、つい最近になって発見しました。
『人口蒸発「5000万人国家」日本の衝撃 一般財団法人イニシアティブ 新潮社』という本の中で、別方面から考えて同じ結論に至っていたのです。
「労働人口の減少」は、日本経済を疲弊させ、国家破綻を招くというのです。
■「労働人口の減少」解決策
先に挙げた本の中では「労働人口の減少」への対応策についても述べられていました。それについても僕と同じ意見もある事を期待して読んだのですが、コンパクトシティや女性の利用、高齢者の活用など、納得のいくものもあるにはあったのですが、僕の提案と同じものは見つけられませんでした。
そこで、僕の方からも「労働人口の減少」、問題解決方法の提案をしたいと思います。
僕は、注目すべきポイントは「労働力の節約」ではないかと考えました。
つまり、経済社会における生産物の流通…… 生産物の生産から始まり、それが流通して最終的に消費者に辿り着くまでの過程で、労働力を節約できないか? と考えたのです。
そして、恐らく、「労働力の節約」は今まで以上にネットを上手く活用すれば可能だろうと結論付けました。
・予約注文体制による生産量の適確化
まず、「生産」に的を絞ると、ここでは“過剰生産”という労働資源の無駄遣いがある事が分かります。
平たく言ってしまえば、「売れない商品を生産してしまう事」です。
これを改善する為には、予約注文制を世の中に徹底すれば良いのです。予め売れる事が分かっていれば、過剰生産を防ぐ事が可能になるでしょう。
もちろん、そうすれば廃棄に関わる労働力も減らす事ができます。
これはトヨタのカンバン方式として、既に知られている方法です(当然、問題点もあるので注意が必要ですが)し、ネットスーパーなども同様の方法に分類できるでしょう。ですが、まだまだ発展できる余地はあります。
・中間流通業者の削減
極端な話をしてしまえば、「生産者→消費者」と直に製品を届けてしまえば卸売業や小売業などを省け、労働力を節約できます。
そしてネットを活用すれば、この中間の流通企業を大幅に減らす事が可能なのです。
これも、ダウンロード販売できるゲームや音楽、或いは“eマーケットプレイス”など既に始まっていますが、もちろん、まだまだ促せる余地はあります。
以上の二点をまとめて考えると、
「小売業者が半分は倉庫のような形で街に残り、通常はネットから商品を注文し、小売業者にそれを受け取りに行く(普通に買う事もできるがその場合は割高になってしまう)」
という消費生活スタイルを執れば、労働力をかなり節約できるのではないかと考えられます(多少不便かもしれませんが、そこは慣れでしょう)。
これで充分に節約できるかどうかは分かりませんが、労働力の割合を観ると、流通小売業が大きいので、希望はあると僕は考えています。
■終わりに
“国の借金”という問題は、非常に大きくしかも様々な利権構造が絡む為に厄介な問題ですが、それでも飽くまで人間社会上で起きている問題です。
決して、物理的な限界がある訳ではありません。
つまり、社会の仕組みを理解し、工夫していけば必ずどこかに解決方法はあるのです。
少なくとも、僕は絶望せず、これからも解決する為の方法を提案し続けるつもりでいます。
因みに、長期間停止していた原発を再稼働すると、トラブルが発生する場合が多いそうです。
何もなければ良いのですがね。