5.前王国の城跡/3
「資料によれば、宮廷魔法使いのエリアはこのあたりのはずよ。古いけど、前に調査隊が使った出入り口が……」
積み上がった瓦礫の山を見回してエルネスティはもう一度地図を確認した。
「これかな?」
目ざとくノークが見つけて指し示す先に、ぽっかりと暗い穴が口を開けていた。どうやら崩落はしていなかったようだ。穴の中には、本来なら屋内にあったはずの階段が下へと続いている。
「それだわ」
念のため、入り口付近の脆くなった壁に補強のための魔法をかけてから、ゆっくりと階段を下っていった。
入り口は不死者……“食屍鬼”と呼ばれる不死者の巣となっていたようだが、数は少なかった。生き物が近寄らないせいだろう、飢えて弱っていたためか、さほどの危険もなく掃討を終えられた。
「不死者って、なんで生まれるんだろう」
「……はっきりとはわかってないけど、もととなった者が亡くなったときの思念と魔力が関係してるって言われてるわ。だから、この場所みたいに、たくさんのひとが突然死に見舞われた場所ほど、不死者は生まれやすいというわね」
ボロボロになって原型を留めてない布切れを身に纏う食屍鬼は、おそらくもともとこのあたりに暮らしていた人間だったのだろう。唸り声を上げて襲いかかり、そして返り討ちにあって塵へと還る食屍鬼を見つめるノークに、エルネスティも少し肩を落とす。
「──奥には不死者の気配も薄いし、進もう」
ツェルの言葉に振り返り、ノークは頷くと、「じゃ、行くよ」と再び先頭に立って歩き始めた。
「中のほうは、あの嫌な感じは薄いんだね」
そんなことを言いながらも、ノークは足を進めながらあちこち目を走らせては気になるところをこつこつ叩いたりと、忙しなく動き回る。
「たしかに、そうだな」
「……王城の中だから、ここで亡くなったひとは外より少ないってことかな」
ツェルも注意深く周りを観察しながら同意する。
「……みんなわかるのね。私、気配はなんとなく感じるんだけど、強弱まではさっぱりなのよ。だから感知が使えないのね」
はあ、と溜息を吐いてエルネスティが眉尻を下げた。
「お前が使えなくても、魔法使いはひとりじゃないんだから問題ないだろう」
「ならいいんだけど」
地図を覗き込みながらオルトに言われて、もう一度溜息を吐く。
「俺は探知が得意なほうだから、お前は気にしなくていい」
「そうね、そっちは頼りにしてるわ」
地図を確認し終わったところで、また奥へと歩きはじめ……。
「師団にあった地図に載ってるのは、ここまでよ」
階段を下りた先、通路のどん詰まりにあった部屋を見渡すが、ここも調査済の場所だ。これまで同様、何も目ぼしいものはなかった。
「この奥はないのかしら」
「何かはありそうなんだけどな」
「うーん……」
地図を覗きながらあれこれというオルトとエルネスティの手元を、ノークも唸りながら覗き込む。
「ちょっと戻ってみていい? そうだな、このあたりまで」
「何か気になるものでもあったの?」
「気のせいかなと思ったんだけど、念のためちゃんと確認しといたほうがいいかなって」
エルネスティから地図を受け取ると、ノークはもう一度、慎重に元来た道を戻った。
「このあたりかな……」
そうして着いたのは、通路の途中にあった中途半端な大きさの部屋だ。
「この前の“神殿”と同じやつが作った隠しなら、同じような発想で隠すんじゃないかなと思ったんだ」
ノークはぶつぶつと呟きながら、壁をぺたぺたと調べている。素人目には他と何の変わりもない壁にしか見えないのに、ノークには違って見えるのだろうか。
しばらく待つと、「ああ、ここか」と言って以前見たさまざまな工具を取り出し、石組の隙間を探り始めた。
「よく見つけられるわね……」
「腕はかなりいいからな」
「ほんと、そうだね」
エルネスティの感心したような呟きに、オルトとツェルも同意する。どう見ても他と変わらないのに、どうしてそこが怪しいとわかるのか。
「オルト、来て」
不意にノークに呼ばれ、示されたところを覗くと魔法使いの印のような紋……双頭の蛇の紋が刻まれていた。
「魔力を帯びてるな……なるほど、タイルの裏に魔力遮断がかけられてたのか」
指先にぴりぴりするような、微かな魔力を感じて、何故これに気づかなかったのかと外れたタイルを裏返し、オルトは呟いた。
「これは、オレに外せるものじゃないよ」
ノークに頷き、オルトはいくつかの探知魔法を唱えてからしばし考え、カリンを呼んだ。
「おい、カリン。こっちに来て、あれを出せ」
カリンに“神殿”で見つけたメダリオンを出させると、壁の紋章に押し当て、軽く魔力を流す。
──途端に、横の壁がすうっとずれて新たな通路が現れた。
「随分念入りに隠してあるんだな」
ツェルが半ば呆れたように息を吐いた。
「よっぽど見つけて欲しくないものがあるんだろうな」
通路の奥から漂ってくる、これまで感じていた気配とはどことなく違った空気に、オルトも顔を顰めた。その横で、カリンが何かに怯えるようにぶるりと震える。
「オルト……嫌な気配がする。この先に、よくないものがある」
「何がだ?」
これまでたいした反応を示したことのなかったカリンが、目を瞠りぐっと唇を引き結ぶようすに、オルトは驚き訝しんだ。
「わからないけれど、これは、だめな気配だ」
「……どうする、オルト」
ノークがちらりとカリンに目をやり、それから、ここで引き返すのかと問うようにオルトに視線を戻す。
「──慎重に進んで、危険があればいったん戻るというのでどうだろう」
少し考えて、オルトは進むことに決めた。ここまで来て、今更引き返すという選択は無しだろう。
「なら、少し待って。気休めかもしれないけど、対魔法の防御を掛けるわ」
エルネスティが全員に防御魔法を掛けるのを待って、隠し通路へと踏み込む。
カリンのようすは気がかりだが、だからと言ってここから引き返すのは、やはり無い選択だった。
通路に入ってすぐに、いきなり襟首が強く引っぱられ、エルネスティはバランスを崩してしまう。そのまま後ろに倒れ込んだところをオルトに抱きとめられ、「ちょっと、いき……」なり、何をするのと振り向こうとしたエルネスティの目の前を、もやもやとした輪郭のはっきりしない腕が過った。
その腕の纏うぞっとするほどの冷気に、思わずひゅっと息を呑む。
オルトに背中を預けて寄りかかったままごくりと喉を鳴らすと、さっきまでエルネスティの立っていた場所に、壁の中からぼんやりとした半透明の人影がゆっくりと姿を現すところだった。
「……死霊?」
「いや、悪霊だ」
確かに掠めただけなのに、あの腕が過った瞬間、恐怖が掻き立てられ気力が持っていかれるように感じられた。これはオルトの言う通り、悪霊なのだろう。
「立てるか?」
「大丈夫、驚いただけよ」
微かに震える膝にぐっと力を入れて慎重に立ち上がる。目の前を過っただけなのに、こんなに怖いと思うなんて。
ツェルは既に剣への魔力付与を終え、悪霊に斬りかかっていた。
「壁に沿って魔力遮断の魔法を掛けるわ」
「カリン、付与する」
「了解した」
「お前、魔力弾は使えるか」
魔法を唱えながらエルネスティが頷くと、オルトは「なら、頼む」と魔法の詠唱を始めた。
この手の不死者との戦いでいちばん怖いのは、壁の中から新手が現れることだ。だが、壁さえ抜けられなくすれば、普通の魔物と同じように処理できる。もちろん、触られただけでごっそりと気力と生気を持っていかれるため、油断はできないのだが。
結局、さらに現れた新手は2体だったが、来る方向は限られていたため、十分対処は可能だった。そうは言っても完全に無傷というわけにはいかず、腕を掠められたノークとツェルは、ずいぶん消耗してしまったのだが。
「……さすが悪霊、キツイね」
「まったくだ。いつもの半分も戦ってないのに、足ががくがくだよ」
ふたりが座り込み、荒くなった息を整える横で、オルトは「今日は休んだほうがいいかもな」と言った。
「本当なら、もうちょっと進んでから……と言いたいとこだけど、さすがに賛成」
片手を上げたノークにツェルも頷く。
「もう少し頑張れると言いたいけど、正直なところまたあいつらが現れたら、対処仕切れるかわからない」
「そうね、少し戻ったところに部屋がひとつあったから、そこで休みましょう」
明日はもっとしっかり不死者対策をしたほうがよさそうだ。少なくとも、ツェルとノークには……たしか、ああいう不死者に有効な防御は、と考えながら、エルネスティはくるりと踵を返して歩き始める。……と、いきなり床のわずかなでっぱりに躓き、壁へと倒れこんだ。
「え?」
確かにしっかりとした壁に見えたのに、エルネスティが手をついたはずがなんの手応えもなくすり抜けて、ぽかんとする。
そのまま、「どういうこと?」という言葉を残して、エルネスティは身体ごと壁の向こうへと転がり込んでしまった。




