雨漏り
築25年トイレ風呂ありワンルームの賃貸マンション。
そこに私は引っ越してきた。
仕事の都合というヤツで期間は半年程度。
だから私はなるべく部屋に物を置かないように気をつけていた。
どうせ半年で引っ越すのだから。
引っ越してきて数ヶ月。
季節は初夏。
梅雨の時期になっていた。
ある日、私が部屋にいるとあのなんとも言えない雨のにおいが鼻に流れてきた。
ぽたぽたという音がし、そしてひたひたと滴り落ちる雨粒。
窓の外にはコンクリートの壁をよじ登るかたつむり。
空には陰鬱な色をした雲が浮かぶ。
壁が湿気を吸ってカビ臭いにおいを発していた。
それにしてもあまりにも臭い。
壁を凝視する。
下の方がたわんでいる。
湿気のせいだろうか?
徐々に目線を上の方へ持っていく。
すると天井との境目にシミを発見した。
そうっと壁に触れる。
微かに濡れている。
シミを触ったらもっと濡れているのだろう。
これは湿気で湿っているのではない。
どこからか水が流れているのだ。
「雨漏りだ」
私は自分以外誰もいない部屋で声に出してそうつぶやいた。
マンションの最上階だから上の階の漏水ということはないだろう。
だから私はそう確信した。
どこから雨が入ってきたのだろう?
天井だろうか?
それとも壁の中だろうか?
雨が降るひたひたという音がざあざあという強い音に変わる。
すると天井に水滴が現れる。
配管が壊れたのかもしれない。
雨水が天井に流れ込んで来ているのかもしれない。
そこまで確認すると私は大家でもある不動産屋に電話すべきか考えた。
面倒くさいので、できれば電話などしたくはない。
だが雨漏りがあることを知らせないと責任問題になり敷金が帰ってこなくなってしまう。
こんなことで敷金が返って来なくなっては困る。
それにできれば修繕もして欲しい。
仕方なく私は不動産屋に電話した。
電話に出たのは若い男。
「それは結露です!」
そう言い張る男。
私は何度も雨漏りであることを訴える。
電話口のいい加減な対応ではなく、実際に来て見てもらわなくては後々揉めることになるのは目に見えていたからだ。
しつこく喰らいつく私に辟易したような声で応対する男。
「そこまで言うなら仕方ありません。今から向かいます」
どうにか来ることを認めさせたのは30分も会話した後だった。
それから1時間ほど待っただろうか。
マンションに電話の男がやってきた。
「あらま。他の部屋に比べて間取りがずいぶん狭いんですね。
おっと、お仕事お仕事。
ああホントだ。これは漏水かもしれませんね。
結露の線は捨て切れませんけどね。
とりあえず被害はこの壁だけなので今は何もできません。梅雨ですし」
軽薄な笑み。つまり彼が言いたいのは『今は何もしません』ということ。
ああなるほど。
こちらもあと何ヶ月もここにいるわけではない。
不動産屋に自分が壊したわけではないということを伝えるだけでいいだろう。
少なくとも事後に報告しなかったと言われることはないだろう。
「わかりました」
そう私が言うと男はニヤッと笑った。
ああ敷金の件はわかってますよ。
そういう笑みだろう。
恐らく私に雨漏りした部屋で過ごせと言っていることには気がついていないのだろう。
気の利かない男だ。
雨は降り続ける。
湿った空気が私をさらにうんざりさせる。
結局、不動産屋の男は雨がやむまで居座り、さらに私を苛立たたせるのであった。
男が帰り私は再び一人になった。
辺りは暗くなり闇から雨の音が聞こえる。
ひた ひた ひた ひた と。
今日はもう寝よう。なんだか疲れた。
そう思った私は布団を敷き電気を消す。
闇の中で聞こえる雨音。
なぜか雨音に不安感を煽られる。
ぎい ぎい ぎい
私はその雨音の中に別の音が混じっているのに気がついた。
ぎい ぎい ぎい
足音?
ぎい ぎい ぎい
なぜ近くで聞こえる。
ぎい ぎい ぎい
私は目を開けた。
そこにあったのは顔。
子供だ。青白い顔。濁った目。ぼろぼろの頭髪。
子供はどこを向いているかわからない目で私を覗き込んでいた。
「おとうさん?」
子供は私に質問する。
体が動かない。
口の中が乾いて声も出ない。
「おとうさん……お部屋から出られないの。タスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテ」
子供の手が迫ってくる。
私は恐怖に震えながらどうにか体を動かそうとする。
だが体はピクリともしない。
子供の手が私の顔にたどり着いたそのときだった。
近くで携帯電話の着信音が聞こえた。
まぶたが開く。
子供の姿はなかった。
これは全て夢なのだろうか?
携帯電話が着信音を鳴らしながら光を発しているのが見えた。
鳴り続ける携帯電話を手に取り電話に出る。
「夜分遅くにすみません。昼間うかがった不動産会社のものですが……」
「ああ。工事の日取りでも決まりましたか?」
「いえ。間取りがあまりにも狭いのでおかしいと思いまして図面見たんですけど、やっぱりもっと広いはずなんですよ」
「はあ」
「ちょうど雨漏りしている壁。その奥にまだスペースが存在するんですよね」
ぽろ ぽろ ぽろ ぽろ
後ろで微かな音がした。
私は携帯電話を放り出し壁ににじり寄った。
ぽろ ぽろ ぽろ ぽろ
そんな音がしたような気がした。
壁は指で押しただけでどんどん崩れていく。
水を吸って脆くなっていたのだ。
ぱり ぱり ぱり ぱり
ありえないほど静かな音を立てながら壁が崩れていく。
崩れた壁から腐ったベニヤ板が見える。
私はなりふり構わずベニヤ板を手で壊しにかかる。
めり めり めり めり ぱり
湿ったベニヤは簡単に壊れた。
カビ臭い湿ったにおいが一気に噴出してくる。
中が見える程度の穴が空いた。
私は穴の中を覗き込む。
天井から滴る雨水。
雨漏りしてたのはここだったのだ。
ぎい ぎい ぎい ぎい
ロープが見えた。
人間くらいの大きさの人形のようなものがぶら下がっている。
それをネズミが齧っていた。
ネズミに揺られる人形はぎいぎいと音を立てていた。
人形の足元にはゴミ袋。
私はそれを凝視する。
「もしもし!もしもし!もしもし!」
携帯電話から声が聞こえた。
そしてまた雨が強くなっていく。
ざあ ざあ ざあ ざあ
雨の音に混じる音が近くで聞こえた。
……さん
おとう……さん
私はゴミ袋を凝視した。
ゴミ袋が動いたような気がする。
私は息を飲んだ。
口の中はカラカラになり自分の呼吸の音が耳を支配する。
おとうさん おとうさん おとうさん
子供の声がした。
突然ゴミ袋が揺れる。
揺れながら何かが袋から飛び出した。
出てきたのは手。それがゴミ袋を破く。
破けた袋。
そこから何かが手足を地面につけて腹ばいに這って出てきた。
表面を石膏で塗った等身大の人形。そう思えた。
おとうさん おとうさん おとうさん おとうさん
人形から声が漏れる。
なぜボクを捨てたの?なぜボクと一緒にいてくれなかったの?どうして逃げたの?
首を振りながらよたよたした歩みで近づいてくる。
私はお前の父親じゃない!
違う。違う。違う!
おとうさん
人形は壁の穴までたどり着きこちらを見ていた。
逃げ出したいが足が動かない。
穴から人形の手が伸びる。
鼻先をかすめる小さな手。
何度も何度も私を掴もうと手を伸ばしてくる。
おとうさん 助けて 助けて 助けて
必死な声を出す人形。
それを見て私はなぜかその手を握る。
心の中は恐怖で一杯だった。
だがなぜかそれが正しい選択のように思えのだ。
おとうさん おとうさん
強い強い雨の音が鳴っていた。
どこまでも強くどこまでも激しく。
雷鳴が轟く。
一瞬、雷の光に照らされた人形。
その顔は満足げに見えた。
おとうさん ありがとう
人形がそんな風に言っているように聞こえた。
すると人形がぼろぼろと崩れたはじめた。
握った手から石膏がはげていく。
その中から出てきたもの。
水分が抜けてしわだらけになった皮膚。
ネズミにかじられたのだろうか、あちこちから骨が見えている。
苦悶を浮かべた表情。
それはミイラ。
子供の死体だった。
目玉の無い穴で私を見つめている。
おとうさん おとうさん おとうさん
私はあの『おとうさん』という声が耳から離れなかった。
恐怖のあまり膝から崩れ落ち、腰を抜かしながら四つんばいで逃げている今でもだ。
ああ、あと少しで玄関だ。
あと少しで外に逃げられる。
そうだ。隣に逃げ込みさえすれば大丈夫だ。
私は震えながらもなんとか玄関のドアノブに手をかける。
震える手。冷たい感触。
ドアノブにかけた手が何者かに握られた。
膝が見えた。薄汚れた人形のような膝。
ああそうだ。人形は一つじゃなかった。
ロープで吊るされた人形。
それがあったじゃないか。
胸の奥から恐怖があふれ出る。
なぜか引きつるよな笑いが自分の意思とは関係なく込み上げる。
心の糸が切れたのだろうか?
涙を流しながら笑う。
震えながら私に差し出された手を取る。
恐怖で一杯の心で笑いながら握る。
おとうさん
あなた
雨の音が弱くなる。
どこか遠くでカエルの声が聞こえたような気がした。
いつまでも いつまでも いっしょだよ
(完)
ツッコミどころ満載のシチュエーション。
なんで気がつかねえんだよ!的な展開。
いやそこは普通に殴れよ!な主人公。
ベタにベタを重ねた現代怪談を目指して書きました。
あまりにもベタなので似たような話があったらごめんなさいです。