16-2
ベッドの中,息苦しさに目が覚める.
しかし重い体は言うことを聞かずに,再び眠りに落ちてしまう.
それを何度か繰り返すうちに,金の髪の少年は自分の手を握る者の存在に気づいた.
もの心がつく前までは,それは母の手だったように思える.
この学院に来てからは,優しく暖かな祖母の手.
そして,今は,
「サリナ.」
柔らかくて,小さな手.
「ライム?」
薄茶色の髪の少女は,驚いたようにまたたきをした.
「体,大丈夫?」
少女は,少年をいたわるようにたずねる.
そのまなざしは,祖母や母のように慈愛に満ちていた.
「あぁ…….」
まだふらふらとする頭を抱えて,少年は起き上がる.
部屋の中が薄暗い,もう時刻は夕方だ.
「駄目だよ,寝てなくちゃ.」
ベッドに押し戻そうとする少女の体を抱き寄せて,少年はなんとなく安心した気持ちになる.
「あの,……学院長様が,後は任せて安心して休んでいなさいって,」
軽く胸を押して,少女が離してほしいと意思表示をする.
「お水,飲む? 水差しをもらってこようか?」
「別にいい.」
少女を腕の中に閉じこめて,けれど少年はため息を吐いた.
自分で自分が情けない.
あんな簡単なワナに,はまってしまうとは.
しかも麻薬のせいとは言え,大切な少女を裏切ってしまうところだった.
「サリナ,ごめんな.」
そっとささやくと,少女はふしぎそうに少年の顔をのぞきこんでくる.
「何が?」
「……いや,何でもない.」
こつんと額と額をぶつけて,少年はくすっとほほえんだ.
少女があんな風に笑うはずがないのに.
少女はいつも瞳に暖かな光をたたえて,こぼれるように笑うのだ.
「しまった! 見失った!」
夕暮れの中庭で,男はいらだたしげに校舎の壁をたたく.
アデル王子を追いかけていた,ダグラス教官である.
「土の器よ,人の子の叡知よ,」
ダグラスのすぐ隣で,同僚のトゥールが失せ人探しの魔法の呪文を唱え始める.
アデル王子は,想像以上の武術の使い手だった.
戦い,わざと逃がし追いかけて,再び戦ってはまた逃がす.
そのようにして学院の外へ誘導するつもりだったのだが,なかなかうまくいかない.
殺せという命令ならば簡単に実行できただろうが,彼らは王子を逃がしたいのだ.
「ダグラス様! 王子は校舎の方にはいません!」
イースト家の使用人の男が,息を切らせながらやってくる.
アデル王子との追いかけっこに,イースト家の使用人たちも参加しているのだ.
「分かった,ありがとう.」
ダグラスはねぎらいの言葉をかけ,次は寄宿舎方面の捜索を頼む.
「見つけたら,すぐに笛を吹いて知らせてくれ!」
使用人たちでは,アデル王子の足どめにさえならない.
たった十六歳の少年とは思えない戦闘力,ほぼ単身でマイナーデ学院に乗りこんできただけはある.
「エイダ王女は学院の外に部下たちと隠れています,しかしアデル王子はまだ学院の中に……,」
召使たちの報告に,学院長のコウスイは立ち上がった.
「私も捜索に加わろう.」
孫の部屋で,のんびりと事態の推移を見守っている場合ではない.
万が一,図書室などに忍びこまれて魔術書や事典を盗まれたら一大事だ.
「私も戦います.」
もう一人の初老の男も立ち上がる.
マイナーデ学院の教官ラティンである.
「手伝います.」
すぐに部屋を出て行こうとする老人二人を,薄水色の髪の青年スーズが追いかける.
「お気をつけて……,」
ルッカが声をかけると青年だけが振り返り,にこりと優しい笑顔を見せた.
王子一人に,ここまで難儀するとは考えてもいなかった.
本来の策では,ライムが彼らを学院の外まで案内する予定だったのだが…….
「アデル,早く来て……,」
マイナーデ学院の外門の外,南から差し迫る森の縁に少女は従者たちとともに隠れていた.
学院の南には深い森が広がっており,その森の中に馬車と馬を隠している.
後は双子の弟さえ来れば,すぐに逃げられる.
少女は,どうしても違和感がぬぐい切れなかった.
弟はライゼリートの声を聞いたというが,ライゼリートは麻薬に侵されていたはずだ.
お茶を一口しか飲んでいなかったとしても,回復が早すぎないか.
それとも,ライゼリートも麻薬には慣れているのだろうか.
いや,そんなことよりも,魔法による国境越えなど正気のさたとは思えない.
「嫌な感じがするの.」
弟は確かに頭がいいが,その分,何が基本的なことを見落としてはいないだろうか?
「アデル……,」
闇が濃くなっていく森の中,少女の不安に答えてくれる者はいない.
いつもそばにいてくれる双子の弟はまだ,学院の中にいる.
そう,エイダには分かる.
アデルは今,男子寄宿舎の中だ.
闇にほのかに光る,少年の金の髪.
自分のひざの上で眠る少年の頭をなでながら,サリナはただ恋人の寝顔を見つめていた.
顔色もだいぶよくなったし,寝息が乱れることもなくなった.
この調子でいくと,明日の朝には全快しているだろう.
少年の額にそっとキスをすると,コンコンと静かにドアをノックする音がする.
誰だろう? 少女はなんら疑問に思うところなく立ち上がった.
きちんと布団を少年の体にかけてから,ドアの方へ向かう.
ドアを開くと,真っ青な顔をしたルッカと目が合った.
「え?」
「騒ぐな.」
少女は,ひゅうと息をのむ.
見知らぬ少年が,ルッカの首筋に真剣の刃を当てていた…….




