14-1
「ときの流れは留まらず,」
素足を川の浅瀬につけて,
「光る滴,人の子の手に落ちず,」
きらきらと光る水面に,目を細める.
川原には,金の髪の少年が少しだけ心配そうな顔でいる.
真昼の太陽に照らされた姿は,少女にとっては光をはじく水面よりもまぶしい.
「その清さ,冷たさ,わが身にならず,」
魔法の呪文を正しく口にすれば,
「陽の恵みとたわむれる自由のみ,その方にあり!」
簡単に奇跡は起こる!
「うわぁ,きれい……!」
太陽の光の下で,川の水が勢いよく真上に吹き上がった.
吹き上がった水は八方に大きな弧を描きつつ落下し,しずくが宝石のように輝く.
水しぶきの向こうには,七色の虹.
初めて高等魔術を一人で成功させた少女を祝福するように.
「ライム,私……,」
魔法を完成させたのだという興奮が冷めない.
川の中から,少年のいる河原へ駆けようとすると,
「初めて,……きゃぁ!?」
ずるっと足を滑らせて,少女は勢いよく,しりもちをついた.
「サリナ! 大丈夫か?」
ライムが,あわてて少女のもとまでやってくる.
「いたぁい……,せっかく魔法がうまくいったのに.」
服どころか,下着までびしょぬれである.
腰をさすりつつ顔を上げると,少女はいきなり少年に抱き上げられた.
「けがは?」
少年のまじめな問いかけに,少女は顔を真っ赤にする.
「ない……!」
ふっと大人っぽくほほえまれると,顔がますます赤くなるような気がする.
すとんと少女を降ろすと,少年は何気ないしぐさで手を差し伸べる.
差し出された手をきゅっとつかんで,少女は妙に感動した.
「ライムって,やっぱり王子様なんだね.」
「はぁ?」
少年は軽く顔をしかめる.
少年は王子という身分を持っていたが,にせものの王子であった.
にせものの王子だった少年が本物の王女だった少女に「王子様なんだね.」と言われるとは,なんとも珍妙な話だ.
川岸までたどり着くと,少年はさりげなく少女の手を離す.
「サリナ,そろそろ魔法の練習はやめとけよ.」
休憩中の旅馬車へと歩きながら,距離感を恋人のものから姉弟のものに変える.
「学院が今,どんな状態か分からないが,用心した方がいい.」
二人は姉弟のふりをしなくてはならないのだ.
少女からの返事がないので,少年はいぶかしんで振り返る.
「西ハンザ王国のやつらの目的は,俺たちの魔法の知識だ.」
「ん,分かった.」
少女は,にこっとほほえんで見せた.
少女の少し無理をしている笑顔に,少年は口を開きかける.
しかし,
「サリナ様ー!」
馬車の方から駆けてくる足音に,少年は少女との間に心持ち距離をとった.
サリナの付き人のルッカである.
「まぁ,ぬれているじゃないですか!?」
ルッカは,びしょぬれの少女に驚く.
「すぐに替えのお召しものを用意しますね.」
「え!? いいですよ,自分でしま……,」
サリナの困惑した言葉を最後まで聞かずに,ルッカは走って馬車の方へと戻った.
終始,少女の隣に立つ少年のことは無視である.
サリナに忠誠を誓っているというよりは,溺愛しているようなルッカは,なぜかライムのことを嫌っていた.
表立っては何も言わないのだが,基本的に少年のことはまったく気にかけない.
今も,よくも私の主人を水に濡らしたな,と怒っているのかもしれなかった.
ルッカが背を向けたのを確認した後で,少年は少女にそっとささやいた.
「サリナ,俺のことをあきらめるなよ.」
肩を強く抱き寄せて,唇が触れるほどに耳もと近くで.
そしてすぐに少女を手放して,離れる.
姉弟のふりがつらいのは,少年だって同じだ.
少女はほおを赤くして,そして照れくさそうにほほえんだ.
「ライムも私のことをあきらめないでね.」
新国王の戴冠式の後,サリナとライムはすぐにマイナーデ学院への帰途についた.
同行するのは,リーリアとスーズとルッカの三人だけである.
これでは少人数にもほどがある,王族という一級の貴人の旅にしては.
ルッカが「もしも盗賊などに襲われたら……?」と懸念を示すと,「ライム殿下以上の魔術師は,この国にはいませんよ.」とさりげなくスーズが主君自慢をした.
もちろん御者などおらずに,簡素な旅馬車をスーズとライムが交代で運転する.
王族のくせに御者役を務めるライムは,かなり奇異な存在である.
そしてこちらに座る方が酔わないと言って,御者台に腰かけるサリナも相当に妙な王族であろう.
新国王就任以来,シグニア王国ではどんどんと身分制度が崩壊しているように感じられた.
「おかえり,サリナ.今日は魔法が失敗したのかい?」
停車した馬車まで戻ると,馬に水をやりながら薄水色の髪の青年が笑いかけてくる.
旅の合間を見つけては,少女はいつも少年に魔法の勉強を付き合ってもらっているのだ.
「いえ,成功したんですけど……,」
最近の少女の魔法はなぜだか絶好調であり,唱える呪文すべてがうまくいく.
「その後で,川の中でこけてしまって,」
と少女は,言いづらそうに言葉をにごした.
スーズはくすくすとおかしそうに笑う.
「どうりでライム殿下がぬれていないと思ったよ.」
青年の返答に,少女は耳まで赤くなる心地だ.
もしも少女が魔法に失敗していたのならば,少年が体を張って少女を助けていただろう.
金の髪の少年は彼らの会話には加わらずに,のんびりとお茶を飲んでいる母親のところへと行く.
金の髪,深い緑の瞳.
二人並ぶと,まるで絵画の中の世界のようだ.
成熟した美しさを持つリーリアと,最近特に男らしくなってきたライム.
少年は子どもっぽさをどこかに置いてきて,一人で勝手に大人になってしまった.
人目をひく,きれいな顔だちのままで.
昨日立ち寄った街では,若い娘たちが少年の姿を見てはきゃぁきゃぁと騒いでいた.
その手のことには鈍い少年はまったく気づいていないようだったが,少女は一人で,もやもやとしていた.
できることならば大声で主張したい,この少年は自分の恋人なのだと.
「サリナ様!」
「きゃ!?」
ぼんやりと恋人を見つめているといきなり,少女は背中から声をかけられた.
「どうぞ着替えてください,かぜをひきますよ.」
にっこりと,どこか迫力のある笑顔を作るルッカである.
「ありがとうございます,ルッカさん.」
いまだ心臓をどきどきとさせながら,サリナは着替えを受け取った.
「馬車の中で着替えましょう.」
少々強引に手をとられて,少女はルッカに連れられてゆく.
少女の後ろ姿を,少年がじっと見つめていた…….




