1-6
炎に包まれた少女を見た瞬間,ライムは心臓が凍るかと思った.
それは幻獣の力,シグニア王国の守護竜.
兄や姉の力を間近に見ていたから,少年にはすぐに分かった.
「サリナは俺の姉弟なのか?」
少年の真剣な表情に,老人は思わずふっとほほえんだ.
「ライム,落ちつきなさい.」
少年の腕を軽くたたいてやる.
「サリナは確かに国王陛下の子どもだが,君の姉ではありえない.」
少年は,はっとしたように深緑の瞳を見開く.
自分の勘違いに思い至ったのだ.
今まで一度たりとも忘れたことはなかったのに,少年はすっかりと失念していた.
そう,少年は,……少年の父親は国王ではない.
「サリナは……,」
少年はとまどったように,視線をさまよわす.
「おそらく,陛下がたわむれで手をおつけになった女性の子だろう.」
老人はきっぱりと少年に告げた.
現国王リフィールは,平気で一夜かぎりのともを女性にさせる.
優秀な一国の指導者であるとともに,一人の不誠実な男でもあった.
「大丈夫だ,ライム.このことは私しか気づいていない.」
シグニア王国国王の子どもたちは正式には四人,しかしサリナも含めてまだまだ庶子がいるのかもしれない.
少年はほっと安堵のため息をもらした.
国王の娘だと知られたならば,少女は簡単に権力争いの渦に巻きこまれるだろう.
それに少女に対して,お前の両親は本当の両親ではないと告げることなど嫌だった.
少女は自分の平凡な家庭や生い立ちに対して,まったく疑いを抱いていないのだ.
「ライム,サリナとともに王都へ行かないか?」
老人のせりふに少年は目をむいた.
「何を言っているんだ!?」
サリナが国王の娘であるならば,できうるかぎり王都は避けるべきであるのに.
「決まっているだろう,君の成人の儀式に参加してもらうんだ.」
「じじい!」
一瞬で意図を解して,少年は老人の胸ぐらをつかんだ.
「サリナを利用する気か!?」
激しく怒る少年に対して,老人は冷静な目を向ける.
「幻獣がいないはずのサリナ,そして幻獣がいるはずの君,……となると取るべき手はひとつだけだろう.」
……国王の子どもではないはずのサリナ,そして国王の子どもであるはずのライム.
老人はそっと少年の手を外した.
「ライム,どれだけ隠していても,サリナのことはいつか露見するだろう.」
少女には幻獣がついているのだ,確かな王族の証が.
そして少女にはそれを制御する力が,隠し切る能力がない.
「ならば先手を打つべきだ,サリナについている竜は,ライム,君のものだと……,」
シグニア王国の王族,王の子どもたちは,幻獣と呼ばれる竜に守護されている.
竜は王位をつぐ可能性のあるものだけを,つまり王自身の子どもたちを守護しているのだ.
そしてこの竜は,当人が結婚し子どもを得ると同時に消える.
その代わりに,産まれた子どもには必ず竜の守護がつく.
さらに厳密に言うならば,妻である女性が妊娠した瞬間から竜は消える…….
「君は私のかわいい孫だし,サリナもかわいいこの学院の生徒だ,」
つまり老人は少年に,サリナと結婚して子どもを産んでもらえと言っているのだ.
「君たち二人を守るのに,これほどの良策はないだろう.」
老人はこともなげに,にっこりとほほえむ.
「ふ,ふざけるな……,」
怒りで顔を真っ赤にさせながら,少年はかろうじてうなった.
「俺はそんな風にサリナを利用するのは,絶対に嫌だからな!」
どなりたてて,金の髪の少年は部屋から出て行く.
後に残された老人はため息を吐くばかり.
本当は十七歳になるまでに二人にはそのような関係になってほしかったのだが,そこまでうまく物事は運ばないらしい.
学院の廊下を歩きながら,少年は怒りのあまりめまいを起こしそうだった.
今すぐ一人で,王都へとたってやる.
王都で幻獣の儀式を受けるということ,それは少年と少年の母にとって身の破滅を意味する.
姦通の罪を隠し,国王をたばかっていたのだ.
けっして縛り首だけではすむまい,また罪は少年の母の親類縁者まで及ぶだろう.
寄宿舎へ戻り,自分の部屋のドアをあけた瞬間,少年は本気でめまいを起こした.
部屋の中では,薄茶色の髪の少女が一人で立っていたからだ.
「王子,私も王都へと連れて行って.」
少女は少年のもとへ駆け寄ってきてからしゃべった.
無垢な淡い緑の瞳が,一途に少年を見つめる.
「誰から,何を聞いたんだ?」
少年は少女をきっとにらみつけた.
「え? あの,……スーズさんから,」
少年の怒りに少女はとまどう.
「成人の儀式に私の魔力のサポートが必要だって,」
「その,私なんかで役に立てるなら,私,なんでもするよ.」
少女は上目づかいに少年を探る.
少年がなぜ怒っているのか分からないが,少年の助けになるのならば何でもやりたい.
「いつも王子には助けてもらっているから…….」
好きだから,そばにいたいから.
少年は不機嫌そうに少女の顔を見すえた.
「なら,今すぐ服を脱げ.」
「え?」
少女は耳を疑った.
しかし少年はまじめな表情のままだ.
観察するように,冷めた目つきで少女を眺めている.
「い,いいよ,……王子が望むなら,」
震える指で,少女はするりと首もとの赤いリボンをほどく.
そしてブラウスのボタンに手をかけたとたん,
「馬鹿! 言うことを聞くなよ!」
と,少年にどなられた.
少年の大声に,少女はびくんと震える.
「お前,俺が言ったら何でも言うことを聞くのか!?」
「そ,そんなわけじゃ,」
涙目になりながら,少女は反論する.
少年の激昂が恐ろしい,本当に怒っているのだ.
「女だろ!? もっと自分を大事にしろよ!」
「ご,ごめん……,」
こらえきれず,少女の瞳からぼろっと涙がこぼれる.
「……出ていけ,」
少年は視線を外して,うめいた.
「さっさと出て行け!」
立ちすくむ少女の肩をつかんで,強引に部屋から追い出す.
少女を廊下に追いやると,しめ出すようにドアを勢いよく閉める.
ふと少年は,足もとに少女のリボンが落ちていることに気づいた.
「くそっ……,」
自分の子どもさ加減,馬鹿さ加減が嫌になる.
ドアの向こう側からは,少女の泣き出す声が聞こえてくる.
少年はその場でうずくまった…….