5-1
「は,母上!?」
金の髪の少年の声は思わず裏返る.
「そうよ,ライゼリート!」
と言って,同じく金の髪の少女は少年に再び抱きつく.
このすっとんきょうなことを言う少女を,少年は誰にも見つからないように自室へと連れ帰ったのだ.
いや,小さな少女を小脇に抱え廊下を全速力で走ってきたのだから,むしろ持って帰ったと言った方が正しい.
「そんな,馬鹿な!?」
少女を自分から離し,少年は叫んだ.
「証拠を見せるわ.」
少女はスカートのポケットから,小さな香り袋を取り出す.
「二年半前に,あなたがくれた病気がよくなる香り袋よ.」
少年はまじまじと,その袋を見つめた.
これはサリナがライムにくれたものだ,母親の病気がよくなるようにと願って.
「誰にも見つからないように,隠していたの.」
サリナ手作りの品であり,同じものは二つとないはずだ.
「なぜ,そんな姿に……?」
いまだこの子どもが自分の母親であると信じられないが,少年はたずねた.
「王宮から,あの男から逃げるためよ.」
すると,少女は吐き出すようにして答える.
「……ライゼリート,あなたのそばにいたいの! お父様に会いたいの!」
少女の,少年と同じ深緑の瞳に,ぶわっと涙があふれる.
「あんな男に触れられるのは,もういやぁ!」
自分にひっついて,わぁわぁと泣き出す少女に少年は途方に暮れた.
「その,あの,お,母さん,……落ちついて,」
まさに幼い子どもさながらに泣きわめく母親を,少年はなんとかなだめようとした.
「まだまだ証拠はあるわよ,」
しゃっくりあげながら,少女はしゃべりつづける.
「昔,初めてテストで百点取ったって教えてくれたわ,」
予想していなかった昔話に,少年はぎょっとする.
「二年半前なんか,サリナが心配だからさっさとマイナーデ学院に戻りたいとか言っていたし,」
「か,母さん!?」
少年は真っ赤になる,確かそのようなことを言ったような言ってないような…….
「それとイスカ兄貴が国王になれば,きっと母上を助けてくれるって,」
少年は少女の口をぴたっと両手で閉ざした.
「……母さん.」
少年はうめいた,間違いない,母親だ,この少女は少年の母親なのだ.
「一緒に,逃げよう.」
涙でぬれるほおの少女に向かって,少年は言った…….
スーズとサリナが部屋に戻ってきたとき,部屋の中は無人だった.
「殿下?」
薄水色の髪の青年は首をかしげる.
彼らは明日の朝,王城をたつつもりであり,今日の午後は三人で王都を観光する予定だったのだが…….
「ライム,まさか先に行っちゃったの?」
少女はテーブルの上に残されている置手紙に気づいた.
そこには,事情があり,すぐに王都をたつことにしたこと,申し訳ないが荷物をまとめて城から出てほしいことが書いてあった.
待ち合わせの場所は城下街のとある大衆食堂,平民階級の人々が集う雑多な店である.
ライムというよりイスカのお気に入りの食堂で,彼らはおしのびでしばしばその店を利用していた.
「ライゼリートがこんなにも元気な子だとは知らなかったわ.」
ざわざわと騒がしいお昼どきの食堂で,リーリアはあきれたようにため息を吐いた.
少女の目の前では,息子ががつがつと若い食欲を満たしている.
「悪かったな,……腹が減ってたんだよ!」
しかも朝,スーズにお説教をされたせいで,少年はほとんど朝食を食べていない.
なのに,あれほど大きな魔法を成功させたのだ.
「母さんこそ,こんな性格だとは思わなかった.」
十七歳の少年が六歳程度の幼女を母親呼ばわりする,かなり奇異な光景だが,まわりにいるほかの客たちは自分たちの会話に夢中で気づかなかった.
少年は平民にしか見えない服装に身を包んでおり,けっしてお上品とはいえない食べっぷりである.
「……人生の酸いも甘いもあれだけ経験したら,そりゃ,開き直るわよ.」
少女はふいに大人びた,いや,実年齢にふさわしい表情になった.
国王にあれだけ望まれたにも関わらず,彼女は国王以外の男性の子どもを産んだのだ.
誰にも悟られずに…….
「ライム様……?」
後ろから呼びかけられて,美しい金の髪を隠した少年は振り向いた.
「スーズ,サリナ!」
ふしぎそうな顔をする青年と少女に対して,少年はすぐさまリーリアのことを紹介する.
「この子はリリー・クイント,事情はくわしく話せないが,この子をできるだけ早くにマイナーデ学院のじいさんのもとへ届けなければいけないんだ.」
少年は,母親と相談してでっち上げたうそをつく.
「は,初めまして,リリーです.」
リーリアは妙にぶりっ子した態度で偽名を名乗った.
少年があきれた視線を横目で母親に送る.
今,ここでうふふとぶりっ子笑いをしている少年の母親は,確か三十五歳のはずだ.
「クイント家は家督相続でもめていて,落ちつくまでこの子を預かってほしいと頼まれて,」
スーズの疑惑に満ちた顔に,少年はしどろもどろになってしまう.
「それで,……マイナーデ学院に帰るなら,ついでにこの子もと,」
この信頼できる従者をだますのは容易ではないのだ.
「誰に頼まれたのですか?」
実はあまりくわしくうその設定を考えてなかったため,少年はすぐさま返答ができない.
「あぁ,その,……なんだ,」
これからの相談よりも再会のおしゃべりばかりをしていた,というのが本音だ.
「……リリーの母親に,」
青年は,少年の隣に腰かける幼い少女の顔をじろじろと眺め回した.
軽くウエーブのかかった黒髪,大きな分厚い眼鏡をかけた少女だ.
レンズの奥の瞳は深緑で,まるで宝石のようというほめ言葉がよく似合う.
きめこまやかな肌にくっきりとした目鼻立ちをしており,将来はさぞかし美人になるだろうと簡単に想像できた.
そして何かをごまかそうとしている笑顔が,なぜか主君の少年とそっくりである.
「……分かりました.」
青年は軽く肩をすくめて,笑う.
少年が何をしようとしているのかよく分からないが,少年の望みをかなえるのがスーズの仕事であるはずだ.
「昼食を食べたら,すぐに王都を出ましょう.」
青年の言葉に少年と幼い少女は,二人同時にあからさまにほっとした顔をしてみせた.




