3-2
出会ったばかりのころだ,少女は軽い気持ちで少年のほおにキスをした.
「おやすみなさい,ライム王子.いい夢を!」
すると少年は真っ赤になって,口づけされたほおを押さえた.
少女はきょとんとする,少女にとってキスは単なるベッドにつく前のあいさつだ,父や母と幾度となく交わした.
「……どうしたの?」
「僕,……キス,されたのは初めてだ.」
「へ!?」
少年のせりふに,少女は心から驚く.
「されたことがないの!? お母さんやお父さんにも?」
おはようのキスに,お休みのキス,少年に家族はいないのだろうか?
「変なの~.それとも王子様だから,ないの?」
少女はもの珍しそうに,少年の顔をじろじろと眺めた.
自分の言葉が,どれだけ少年の心を傷つけたのかを知らずに…….
暗い夜の中で,少女は目覚めた.
寒さにぶるっと震え,少女は寝袋を肩まであげる.
ごろんと体を横向きにすると,薄水色の髪の青年が気持ちよさそうに寝息を立てていた.
こっちじゃない.
少女は再びごろんと転がり,目当ての背中を見つける.
金の髪の少年は,少女に背を向けて寝袋に包まっていた.
あのときはごめんね…….
少女は少年の背中に,心の中で謝った.
この少年には聞いてはいけないこと,触れてはいけないことがたくさんあるのだ.
シグニア王国国王には,四人の子どもたちがいる.
子どもたちは皆,母親が異なる.
そして髪の色も異なることから,いつの間にかある呼び名がつけられていた.
すなわち,黒の第一王子ラルファード・イズーリ・トーン・シグニア,赤の第二王子イスファスカ・トーン・シグニア,銀の姫君イリーナ・ケッセン・トニア・シグニア,そして金の末王子ライゼリート・イースト・トーン・シグニアである.
彼らは一年間だけ,四人そろってマイナーデ学院に在籍していた.
長子である第一王子が最高学年に,末っ子である第三王子が第一学年にいたのだ.
しかし母親が異なることもあり,四人一緒に並んでいる光景など誰も見たことがない.
しかも彼らの前には王位継承という,欲深い大人たちが目の色を変える問題がぶら下がっているのだ.
それでもライムとイスカ,イスファスカ第二王子だけは仲がよかった.
その二人だけは兄弟のようだった,普通の兄弟のように,三年間同じ学舎で魔法を学んだ.
ライムは最初,初めて会った兄に対して人見知りをしていたのだが,イスカが廊下などでばったりと出会うたびに,
「今日もかわいいぞ,わが妹よ!」
などと言って,からかいながら抱きついてくるものだから,少年はすっかり困惑してしまい,しまいには,
「暑苦しいだよ,馬鹿兄貴!」
と反抗するようになり,異母兄の後姿を見つけるたびに,今度は自分から彼の背中をけりつけるようになってしまった.
すっかりと品の悪くなってしまった末っ子王子に,祖父である学院長は,
「イスカなんかに,ライムと仲よくしてやってくれなんて頼むのじゃなかったかなぁ.」
となかば本気でぼやき,サリナは繊細で壊れそうな雰囲気を失った少年に少しだけがっかりとしたものである.
ライムのいかにも上品そうな外見に似合わない,どこか乱暴でぶっきらぼうな言葉づかいはあきらかに兄のイスカの影響だとサリナは思う.
もちろん少年にそのようなことを言えば,大声で否定されるだろうが…….
あのころは楽しかったなぁ.
少女はあくびをかみ殺しながら,ライムの背中を見つめた.
イスカ先輩がいた,マイナーデ学院全体が今よりももっと活気があった.
するといきなり,眠っていたはずの少年が起き上がる.
少女はあわてて目を閉じて,寝たふりをした.
しかしふりをしてから気づく,寝たふりなどする必要はあるのだろうかと.
夜の静寂の中で,少年の落とすため息の音が聞こえた.
次に少年がもぞもぞと動く音,そして近づいてくる気配.
少女は寝顔を取り繕いながら,内心ものすごく動揺していた.
ほおに触れてくるさらりとした暖かさに,それが少年の手のひらであることに気づく.
少年の息づかいが聞こえてくるような気がする,少女は構えた.
……キスされる!?
まぶたをぎゅっと閉じて待っていると,
「サリナ?」
少年のふしぎそうな声に,少女はぱっちりと目を開いてしまった.
「やっぱり起きてる.」
そっとほほえむ少年に,少女は真っ赤になる.
いったい何を期待していたのだ,自分は!?
「話があるんだ.」
差し伸べられた手をとり,少女は立ち上がった.
二人手をつないで,暗いかんぼく地を歩く.
たけ高い草々が,背の低い木々をさらに低くみせる.
少年は魔法で左の手のひらに小さなあかりをともした.
だいだい色の柔らかな明かり,そして空から降ってくる星々の光.
私,今夜のことを一生忘れない.
手のひらから直接伝わってくるぬくもり,この手をいつまで握っていられるのか分からないけれど…….
「……俺は国王陛下の,……子どもではない.」
ぽぅっと空を見上げていた少女は,少年の重大な告白を聞き流した.
五歩以上進んでから,少女は「え!?」と聞き返す.
少年は草原の中に腰かけた.
「だから俺には,幻獣がいない.」
少女はとまどいながら,少年の隣に座った.
王子が国王の子どもではないなど,ありうるのだろうか.
少女はまじまじと少年の横顔を見つめた.
しかし少年がそのようなうそや冗談をいうわけがない.
「幻獣の儀式で,俺が陛下の子どもではないことがばれるだろう…….」
もしもばれたらどうなるのだろうか,少女の頭の中に断頭台に立つ少年の姿が浮かぶ.
「そんなの駄目!」
少女はがばっと立ち上がった.
すると少年が少女の手を引く.
色あせない常緑樹の瞳が,少女をしっかりと捕らえていた.
「サリナさえ協力してくれれば,ごまかすことはできる.」
少女はいまだこわばったままの瞳で,少年の言葉を聞いた.
「本当?」
少年がうなずくと,少女は安心したようにすとんと腰を下ろす.
「サリナ,幻獣の儀式が始まったら,俺の魔法に意識を同調させてくれ.」
少女は神妙な顔をして少年の顔を見つめる.
「何もしなくていい,ただ俺の魔法に合わせてくれるだけでいい.」
少年は必要以上に強く言った.
もしも少女が自主的に魔法を使い魔力が暴走でもしたら,ごまかしようがない.
少年にとって恐ろしいことは,自分が国王の子どもではないことがばれることではなく,少女の出生がばれることであった.
「王城の広間に,幻獣のにせものを出現させる.」
そして少年は少女に,少女の身のうちに潜む竜について教えるつもりはなかった.
幸せな家庭で育った平凡な少女,この少女をそれ以上にもそれ以下にもするつもりはない.
「分かった.」
少女はにこっとほほえんだ.
「それでライムが助かるのなら,……私,なんでもするよ.」
「あんまり,なんでもする,とか簡単に言うな.」
少年は顔を赤らめてそっぽ向く.
「……特に男の前では.」
いまいち,この少女は自分を男性扱いしているのかどうかが怪しい.
毎晩,隣でぐうぐうと眠られると,さすがに自信がなくなってくる.
「おやすみなさい,ライム.」
するといきなり,少女がほおにキスをよこしてきた.
少年がびっくりして顔を向けると,まるで母親のように優しくほほえむ.
「……いい夢を.」
少女の瞳に光るものを見つけて,少年は少女の体を抱きしめた…….




