2-6
やけに入り組んでいる屋敷の中を,ライムとスーズはまっすぐに地下室の方へと走った.
魔法具の一種である操り人形がサリナの居場所をつきとめたので,執事の男を追いかけるのをやめたのだ.
走る少年を,誰もとめようとはしない.
メイドも小間使いの男たちもむしろおびえたように逃げ惑い,おろおろとするばかりだ.
それどころか,
「金目のものを持って逃げようか,」
というささやきさえ聞こえる.
彼らの忠誠心の低さに,スーズは少しばかりあきれた.
するといきなり,どぉん! と屋敷が揺れる!
「うわ!?」
予期していなかった衝撃に青年は転倒する.
しかし少年の方は一段と足をはやくする.
「サリナ!」
その名前が,いつでも少年を走らせる.
魔力の暴走だ.
スーズはすぐさま起き上がり,彼の主人を追いかける.
とてつもない魔力が,誰の制御も受けずに奔流している!
「殿下,待ってください!」
いくら金の髪の少年が魔法を得意でも,収めることができるとは思えない.
「あまりにも危険です!」
普段,声を荒げることのない青年の叫びを聞かずに,少年はどんどんと地下へと続く階段を下りてゆく.
地下室への鉄の扉に手をかけた瞬間,少年は「あつっ!」と声を上げ飛びずさった.
「殿下!?」
熱せられた鉄に,部屋の中の惨状が思いやられる.
「やめてください!」
スーズは少年の肩をつかみ,とめようとする.
「行くぞ,」
少しのちゅうちょもない,少年はしゃく熱のドアノブを回した!
吹き荒れる嵐のような炎の乱舞.
スーズはすばやく呪文を唱え,少年の身をガードする.
少年は炎の中心へと向かって駆け出してゆく.
「サリナ!」
すると炎の中で,巨大な竜がゆったりと頭をもたげた.
ぱちぱちとはぜる炎,降り注ぐ火の粉.
熱気と冷気が並存する異常な空間,強風がいまだ未熟な少年の体を押し倒そうとする.
少年は静かな瞳を上げて,底知れぬ魔力を秘めた獣と向き合った.
戦場における最強の剣,……魔術大国シグニアの炎の守護竜.
「サリナ,……今,何を考えている?」
しゅうしゅうと湯気を立てながら,少年の足は凍りついてゆく.
少年の深緑の瞳に映るのは,いとしい少女の姿か,失われた母の姿か.
「……お前も行ってしまうのか,……俺のことは,」
イースト家の魔女のいわれのとおり,魔力を暴走させて狂った母親.
目の前で魔力にのみこまれてゆく母親を,少年は助けることができなかった.
けれど……,
「サリナ,……俺のことを見てくれ,」
それは母が少年に告げた言葉,狂った世界の中で唯一正気を取り戻すとき.
「俺を置いてゆくな! ……闇よ,とこしえの安らぎをわが手に,」
……ライゼリート,あなたのことを想うときにだけ,私は正気に戻れる.
「混沌をいつわりの夢の中に沈め,秩序を取り戻せ!」
ぱりぃ……ん.
少年の下半身を覆っていた氷が,ガラスのようにくだけ散る.
勢いよく燃えさかっていた炎が,一気に勢力を弱める.
熱さに顔をしかめながら青年が鎮火の呪文を唱えると,簡単に炎は消えてゆく.
少年は,地下室の中心で倒れている少女の姿を発見した.
「サリナ,しっかりしろ!」
少年は意識を失っている少女のほおをぺちぺちとたたいた.
「ん……,」
少女がかすかに身じろぎする.
少年は安堵のあまり,へなへなとへたりこんだ.
「……心配させるな.」
そう,いつもいつも身が切られるような思いがする.
少女が,母と同じになってしまいそうで…….
「……ライム,」
少女の淡い緑の瞳が開かれる.
「顔を見せて,」
……あなたの顔をよく見せて,ライゼリート.
「よかったぁ,生きている.」
そのまま少女は,少年の首に抱きついてわぁわぁと泣きはじめる.
「サリナ……,」
少年はとまどった表情のままで,少女の体をおずおずと抱きしめ返した…….
抱き合う少年少女を眺めて,スーズはほぉと安堵のため息を吐く.
炎の収まった地下室は,壁はすすこけて真っ黒であるにも関わらず,いまだ氷塊を残していた.
そして氷の中に閉じこめられた屋敷の主人と思わしき女貴族.
視線を横にやれば燃えつきた木の人形があり,少女がどのような勘違いをしたのかが容易に想像できた.
「あのぉ,」
階段のところから声をかけられて,青年は振り向く.
「あの,わしらはそのぉ,……命令されて仕方なく,」
屋敷の使用人たちが,おそらく主人の罪に加担していたであろう使用人たちが,そこには立っていた.
「アンジェ様がこんなだいそれたことをやっていらっしゃったとは,私どもはまったく気づきませんで,」
青年は苦笑した.
彼の潔癖な主人なら,激怒するところだろうが,
「分かっていますよ,あなた方もこのような主人を持って災難でしたね.」
スーズは,よくも悪くも大人だった.
青年のせりふに,使用人たちの顔がほっとほころぶ.
彼らもきっと罪の追及をまぬがれえないだろうが,今はこう言って置くに限る.
「軍の方には私からも,あなた方はけっして悪くないと伝えておきます,……ここから一番近い王国軍の駐屯地はどこですか?」
シグニア王国の警察機構は,軍隊の一部にある.
また現国王の統治になってからは,公正で誠実な罪の裁きをすると評判であった.
一人の中年の男が場所を答えると,スーズはすぐに呼びに行くように頼んだ.
そして,
「それからマイナーデ学院の方へ,このことを伝えに行ってくれませんか?」
「学院長であるコウスイ・イースト様を頼りましょう.」
王国一の良心として有名なコウスイの名に,使用人たちは色めきたつ.
コウスイならば,けっして彼らを悪く扱わないだろう.
うまくすれば,次の雇用の面倒までみてくれるのかもしれない.
現金な使用人たちは,すぐにスーズに言われたように事件の事後処理にあたった.
あわただしく動き始める彼らをしり目に,青年は氷づけの魔女と被害者である少女たちを観察する.
「……生きているな,」
唐突に,ライムが話しかけてきた.
少年は血がひふにこびりつき,やけどのため顔は真っ赤で,まさに全身傷だらけの状態である.
そして少女は,少年の腕の中で泣き疲れて眠っていた.
「えぇ,……かろうじて,といったところでしょうが.」
少年の傷に応急処置の手当てをするべく,青年は近寄ってひざを折った.
加害者である魔女はともかく,被害者の少女たちが生きているのはうれしいことだ.
「殿下,お手柄ですね.」
青年がほほえむと,少年は照れたようにそっぽむく.
「俺は何もしていない,」
魔女を倒したのはサリナであり,ライムは幻獣による屋敷の崩壊をとめたのみである.
しかしこの場合,お手柄は少年の方であろう.
少女を大事そうに抱く少年の様子をほほえましく感じて,青年は,
「……まさに満身創痍ですね.」
「別にいい.」
予想どおりの答えを返す少年に,思わず笑ってしまった…….




