2-5
「ライゼリート,……殿下?」
夜遅くの訪問者に,執事の老人は本当に驚いたようだ.
品のいい少年に,その後ろに控える背の高い青年.
ふと,少年の見事な金髪に気づいて声を上げる.
「金の末王子!? ……あ,失礼,……ライゼリート殿下.」
「どうぞ,中でお待ちを,」
かろうじて礼儀を保ち,執事は二人を屋敷の中へと案内する.
「屋敷の主人に伝えてもらいたい,」
中へ入ると,少年はいきなり威圧的にしゃべりだした.
いまだ幼さの残る顔に,王子という身分にふさわしい威厳をたたえて.
「サリナを今すぐ返せ.」
怒りむき出しの少年に,執事の老人はうろたえだす.
「何のことでございましょうか?」
知らず,声が震えた.
「主人ともども破滅を迎えたくなかったら,さっさとさらった娘をこの場に連れて来い.」
少年の低い声に,老人は顔を真っ青にした.
「あ,あの娘様は……!?」
まさか自分の主人は街娘では飽き足らず,おそれ多くも王侯貴族に手を出したのだろうか.
「すぐにイースト家の魔女とやらに伝えろ,……サリナを,」
するとすぐさま,執事の老人は屋敷の奥へと走って逃げ出す.
老人とは思えないすばやさだ.
「追いかけるぞ!」
少年は,従者の青年とともに追いかけた.
「出してよぉ!」
がしゃがしゃと鉄格子をたたく.
少女は獣のように,小さなおりの中に閉じこめられていた.
しかも女の魔法によって,いつの間にかマイナーデ学院の制服を着せられている.
「うぅ,ライ……,」
弱音を吐きそうになる,少年の名を呼びそうになる.
女の多種多様な魔法に,少女はほんろうされっぱなしだった.
「まさかあなたがマイナーデ学院の生徒だとは,ねぇ,」
屋敷の地下室で,女は愉快そうにころころと笑う.
魔方陣の中心にすえられたおりの中で,少女は口を食いしばって女をにらみつけた.
「私,マイナーデ学院に入学したかったのよ.」
女は魔方陣の外枠のまわりを踊るように歩きだす.
いったい今からどのような魔法をかけられるのか.
少女は強がりをだんだんと保てなくなってきた.
「そんな不安そうな顔をしなくても大丈夫よ.」
女は少女を安心させるように笑んだ.
「あなたほどの魔力があれば,私の精神をあなたの体に受け入れることができるはず.」
そして女は少女の後ろの暗がりを,真っ赤な爪で飾られた指で指す.
「魔術が失敗したあの娘たちのようにならずにすむわ.」
振り向いて,暗がりにあるものを見た瞬間,サリナは悲鳴を上げた.
それは同じ年ごろの少女たちの死体,いや死体ではない,少女たちの体はろう人形のように凍結しており,まったく腐敗はしていない.
「ライム,……ライム,助けて!」
残っていた強がりもプライドも,簡単に吹き飛ぶ.
青白い少女たちの光を失った瞳が,泣き叫ぶサリナをただただ見つめている.
「ライム!」
その名は少女にとって何よりも頼りになる魔法の呪文,いつも必ず助けてくれる,
「サリナ!」
がんっと乱暴に鉄のドアが開いて,現れる金の髪の少年.
「ライム!」
少女は全身が安堵に包まれるのを感じた.
少年はちらっとおりの中に捕らわれている少女に一瞥を与えた後で,自分の敵と向き合う.
「坊や,まだやられ足りないの?」
女の真っ赤な唇が,愉悦の笑みを作る.
少年は返事をせずに,すぐに呪文をつむぎだした.
「光よ,暗闇を切りさき,」
少年の呪文詠唱とともに,女も魔法の言葉を口にする.
「天までこがす地獄の業火よ,」
「ライム……,」
少女は鉄でできたおりの中で少年の戦いを見守った.
ライムがあんな女に負けるはずがない.
自分はマイナーデ学院一の落ちこぼれだが,ライムは学院始まって以来の秀才だと,どの教官も口をそろえてほめるのだ.
しかし呪文を最後まで唱え終えないうちに,少年の体が炎に包まれる.
あまりにもあっけなく,苦痛の叫びさえなく.
「え……?」
少女はぼう然と,少年の燃え上がる光景を眺めた.
炎の呪文を放った女も,驚いて少年の姿を見つめる.
なぜ,いともたやすく……,いや,人間がこんなにも簡単に燃えるはずがない!
「……人形!?」
女は目を見張った,燃えているのは人間の体ではなく,木でできた魔法の操り人形だ.
術者である少年は,まったく別の場所に無事な姿でいるにちがいない.
女は自分がだまされたことに気づいた,この人形は単なる斥候だ!
と,同時に衝撃を感じ,左肩にしゃく熱の痛みが走る!
「な……,」
一瞬の出来事だった,地下室の壁にたたきつけられた女は,自分の肩に鉄棒が刺さっていることを知る.
「……うっ,」
叫びは言葉にはならず,女は真っ赤な血を吐き出す.
赤に染まる視界の中で,女は内側から破裂した鉄のおりと,ゆらりと立ち上がる少女の姿を認めた.
魔女…….
女はわれ知らずおびえた,心底恐ろしいと産まれて初めて感じたのかもしれない.
みずからの強大な魔力のために,心を失う……!
「ライム……,」
涙を流す少女の足もとから,炎が噴き出す.
生きるもののようにのた打ち回る炎は,あっという間に部屋中をなめつくす.
ふと女が熱さを感じて足もとを見れば,女の下半身は凍りついていた.
熱さを感じるほどの冷たい氷が,女の足を床に縛りつけている.
「う,ぐ……,」
炎と氷の共存,地下室中凍りついているのに,その中心にいる少女だけが燃え上がっている.
魔法による炎は煙を吐かず,女に窒息死という安易な結末を与えてはくれない.
ただ熱く,じわじわとなぶり殺される.
けれどそれより先に,足もとを凍らせる氷が女の体全体を包みだす.
竜の形をとる炎に,女は自分がけっして触れてはいけないものに触れてしまったのだと悟った.
幻獣……,
ぴきぴきと,ついに頭まで到達した氷の塊.
それは,シグニア王国の炎の守護竜.
女は瞳を見開いたままで,氷の彫像となった…….




