16-5
「私なんか誘拐しても何の役にも立ちませんよ! 魔法なんてほとんど,うわっ!?」
かすかに揺れた馬車に,少女はバランスを崩してよろめく.
「と,とにかく,私は魔法が不得意です!」
どすんとしりもちをついた後で,少女は叫んだ.
羞恥のために,真っ赤に染まった顔で.
「そんなにいばって言うことじゃないだろ?」
少女のコミカルな様子に,少年は妙に和んでしまう.
この少女は,なんというかかわいらしい.
しゃべればしゃべるほどに,やはりライゼリートの恋人なのだと確信できる.
「アデル! この人が大魔術師というのならともかく,普通の女の子じゃない!」
すると姉が,少年と少女の間に入ってくる.
「連れ帰っても,何の役にも立たないわよ!」
「そう,そのとおりです!」
姉の言葉に,人質の少女は息を巻いて同意した.
「なにか変よ,アデル!」
エイダは必死な顔をして,アデルに詰め寄る.
「うまく言えないけれど,どこかがおかしいの!」
「どこかって,どこが?」
だが少年には,姉の言いたいことがよく理解できない.
「だから,いろいろと……,」
姉が言いごもると,しりもちから復帰したらしいサリナが,
「うん! おかしい! だから私を帰して!」
と,まるで友人のように姉を後押しした.
「そうよ.この人を帰して,早くシグニア王国から出ましょうよ!」
賛同者を得たことで,姉は元気を取り戻す.
「私は足手まといにしかなりませんから,今すぐ馬車から降ろしてください!」
どのような相乗効果なのか,サリナの声もどんどんと大きくなる.
「早く逃げなくちゃ駄目なのでしょ! ならこの人はここで捨てた方がいいわよ!」
「思いきり邪魔者ですから! ここで降ろしてください!」
人質の少女と意気投合しているとしか思えない姉に,少年は頭を抱えた.
「エイダ……,黙っていてくれ.」
左右からきゃいきゃいとかんだかい声で責められて,少年はげんなりとする.
だいたい姉はなぜ,ライゼリート王子の婚約者と仲よくできるのだ?
恋敵ではないのか? それともアデルの話を聞いていなかったのだろうか.
「彼女は,ライゼリート王子の婚約者だよ.」
するとよほど息が合っているのか,少女たちは同時に否定する.
「ちがいます!」
「そうは思えないわ!」
「なら僕の一目ぼれだ.彼女を連れ帰って妃にする.」
少年が適当に口にした言葉に,少女たちは一瞬の空白の後で「えええええ!?」と声を合わせた.
「ほ,本気なの!? アデル!」
「困ります! 私には好きな人がいるんです!」
薄茶色の髪の少女は,エイダを頼るように彼女の背に隠れる.
「ごめんなさい! その人以外とは一緒になりたくないんです!」
盾にされた姉は,どうしようとアデルの方を見やる.
人質の少女を守るべきか,差し出すべきか.
少年は,おもむろに座席から立ち上がった.
そして,姉の背後に隠れる少女を引きずり出す.
ごめんなさいなどと言って,少女は自分の意思が尊重されると思っているのだろうか.
「や,やだ!」
少女の抵抗をものともせずに,少年は少女の体を抱きしめた.
とたんに,めまいがするような幸福感がわき起こる.
「離して! ……助けて,」
けれど,それは少女のせいではない.
「ライム,助けて!」
その名が,アデルを狂わせる!
瞬間,目に見えない衝撃波が少年を襲った!
どぉんと背中から落ちる,息が詰まるほどの衝撃.
しかしそれだけでは衝撃は吸収しきれずに,アデルはごろごろと砂の地面を転がる.
砂が口に入る,むせ返る.
何とか止まって体を起こせば,くらりとめまいがした.
道の向こうに,馬車が二台去ってゆく.
あれはアデルが乗っていた馬車だ,もう一台には部下たちが乗りこんでいる.
「大丈夫か!? サリナ!」
そして,すぐそばにいる,
「……ライム,」
アデルと同じく,砂にまみれている少年と少女.
アデルは黙って,二刀の腰の剣を抜いた.
金の髪の少年も,無言で立ち上がる.
背中に,愛しい恋人を守って.
本当はサリナだけを連れて転移したかったが,アデルがサリナを抱きしめていたために果たせなかった.
ライムは,心からの敵意を外国の少年に送る.
なんのために少女を誘拐しようとしたのか分からないが,たとえ何のためであろうと,許せるものではない.
「サリナ,援助を頼む.……光の魔法だ.」
視線はアデルから離さずに,ライムは両手を胸の前で軽く交差させる.
馬車から落ちたときにできた傷やあざは,興奮しているためか痛みを感じない.
「うん,分かった.」
少女のしっかりとした返事,それを合図にアデル王子が駆け出してくる!
「わが名はライゼリート・イースト.知性の光よ,われとともにあれ!」
早口の呪文により出現する魔術師の杖.
間一髪で白刃を受けとめて,少年の目の前で火花が散る!
交差する視線,けれど何も言葉は発しない.
歯を食いしばって,重い斬撃を力任せに杖で押しやる.
アデルはすばやく後ろに飛びずさる,ライムの方は多少バランスを崩した.
「光よ,古の勇者の栄光を称えよ,その名はケーリンゼン.」
後方で少女が唱える呪文は,最上級の光の魔法.
「彼の治む王国の栄華を知らしめよ,その名はシグニア.」
詠唱時間の長さも,最上級だ.
再び二刀の剣が,ライムに襲いかかる.
「われに,守護の輝きを!」
魔力を持った杖が,銀色に輝く.
がしゃんという音がして,アデルの片方の剣が折れる.
しかしその程度のことでは,アデルは引かない.
ライムも引かない,ぐっと足を踏みしめれば砂ぼこりが舞う.
呪文を唱える少女の足もとで光が踊り,魔方陣が形成されてゆく.
高位の魔術師は,魔方陣を描くのではなく従える.
自分を守る少年を信じきって,少女は無防備に魔力をつむぎ合わせる.
少女の呪文を聞きながら,少年二人はたがいの武器で打ち合う.
本当は戦うのではなく逃げるべきだ,とライムもアデルも分かっていた.
ともに,砂まみれで傷だらけの体で.
また,追っ手が来ることも予測できていた.
馬車はすぐに引き返してくるだろうし,マイナーデ学院からの追撃隊もすぐに到着するだろう.
だが,たがいにたがいを前にしては後には引けない.
そして戦いはじめてしまえば,もはや戦う理由はどうでもいい.
「出でよ,炎の牙!」
威力は小さいが,短い呪文で発動する炎の魔法.
「くっ……!」
苦しげな顔をするが,アデルの武芸の腕前はライムよりもずっと上だ.
少しずつ押されてきているのに,金の髪の少年は気づいていた.
「なぎ倒せ,戦いの風!」
風の圧力が,二人の少年の間に距離を作る.
それは,魔術師にとって有利な間合い.
「光よ,暗闇を切りさき,人の子ののぞみをつなげよ,」
長い呪文詠唱を始めたとたん,
「甘い!」
黒髪の少年による剣げきで,弾き飛ばされる白銀の杖.
続く第二激目には,確実な殺意がこもっている.
「サリナ!」
けれど分かっている,少女が必ず自分を守ることを.
視界が白に焼ける.
真っ白な世界の中で,黒髪の少年が飛ばされてゆく.
そして,あまりの威力にライムまで軽く飛ばされた.
魔術大国シグニアの名を呪文に持つ,光の最上級魔術.
天まで届く光の柱,その圧倒的な光量.
大陸全土に見せつける,魔術師の脅威.
魔術学院マイナーデの知識のすいは,一人の少女の中で昇華した.
光が収まり,少年が起き上がると,少女が「大丈夫!?」と言って駆け寄ってきた…….




