16-3
「騒ぐなよ,それからこっちへ来い.」
唐突すぎる出来事に,少女は何もできずに立ちつくす.
白く光る刃,震えるルッカの美しい瞳.
目だけを動かして部屋の様子を探ると,スーズもコウスイも誰もいない.
そして少女の背後のベッドでは,金の髪の少年が無防備に眠っている.
私が,守らなきゃ……!
少女はぐっと奥歯をかみしめて,暗い寝室から居間へと滑り出た.
すぐにドアを閉める,できるだけ音を立てないようにして.
「サリ……,ひっ!?」
言葉をつむごうとしたルッカの首筋に,黒髪の少年が刃を押し当てる.
「主人の命が惜しかったら,言うことを聞くんだ.」
侵入者の少年は,ルッカを貴族,サリナを解放奴隷とでも思っているらしい.
少女は,青い顔でうなずいた.
「何を,すればいいのですか?」
声が,震える.
少女は,しっかりとしろ,落ちつけと自分をしったする.
ルッカを助けなければならない,そして隣室で眠っているライムの存在に気づかれてはならない.
敵は,黒髪黒目の見知らぬ少年一人.
歳は少女と同いくらいで,背もあまり変わらない.
たまたま強盗が学院内に押し入ったとは考えにくい,彼は西ハンザ王国の王子アデル.
ライムやコウスイに,危ないからけっして近づくなと言われていた人物だ.
「転移魔法の魔方陣を描け,シグニア王国の者なら描けるだろう?」
少年の命令に,少女は少しとまどう.
転移魔法は高等魔術の一種だ,ある程度の学がなければ扱えない.
この少年は,シグニア王国の国民すべてが高等魔術を使えるとでも思っているのだろうか.
外国の者ならではの勘違いだが,少女にはそれを教えてやる義理はない.
「どこまで飛ぶのですか? きょ,距離によって紋様が異なるんです.」
少女はルッカを解放できないかと,じりじりと距離を詰めた.
「これ以上,近づくな.」
秀麗な顔をゆがませて,少年が少女をぎっとにらみつける.
「外門のそばまでだ.」
「ならば,魔方陣は必要ありません.」
勢いよく鳴る自分の心臓の音を聞きながら,少女は答えた.
「すぐに呪文を唱えますので,彼女を放してください.」
これだけそばにいられると,王子一人だけを転移させることはできない.
「それはできない.」
黒髪の少年は,きっぱりと断る.
「お前も一緒に飛ぶんだ,外門についたら解放する.」
「約束,してくださいますね……?」
少女は,上目づかいに少年をねめつけた.
「約束しよう,無益な殺生はするつもりはない.」
ルッカを人質に取られている以上,少年の言を信用するしかない.
少女は覚悟を決めて,二人のもとへ一歩,また一歩と近づいた.
今から誰の補助もなしで,確実に魔法を成功させなければならない.
「風,それはかの地に吹く,」
けれど大丈夫だと,少女は自分に言い聞かす.
「土,それはかの地に眠る,」
昔から体の奥底で荒れ狂っていた,力の存在が感じられない.
「水,それはかの地に流れる,」
その力は,炎をまとう巨大な竜のかたちをしていた.
少女に,尋常ならざる魔力を与えていた.
「炎,それはかの地に燃える.」
そしてそれゆえに,正常な魔法の使用を禁じていた.
初めて間近で見るシグニア王国の魔法に,少年は見とれた.
呪文を唱えているというよりも,詩をぎんじているように聞こえる.
少女の声は柔らかい響きを持っていて,聞き心地がいい.
「かの地を覆う闇,かの地を恵む光,」
少し伏せられた瞳は,淡い緑色.
何もかもを許し,包みこんでくれるような暖かな光をともしている.
「六の存在よ,わが命にこたえよ!」
光がスパークする,魔力が爆発する.
その瞬間,隣室から大きな物音が響き渡った!
「……ナ,何をして!?」
勢いよく開いたドアから,金の髪の少年が飛び出してくる.
真っ青な顔で,アデルを見つめ,
「アデル!」
前のめりに走ってくる,しかし次の瞬間には,少年の姿はかき消される.
アデルは,学院の外にいた.
大きな門のそば,森の木の陰が落ちかかる場所.
ともにいるのは,人質の女性と魔法を行使した少女のみ.
「アデル!」
森の中から,双子の姉がやって来た.
「よかった,はやく逃げましょう!」
「さぁ,ルッカさんを放して!」
姉に返事をするより前に,薄茶色の髪の少女が叫ぶ.
少女は,転移魔法の直前にライゼリートがやってきたことに気づいていないようだった.
「分かった.」
少年はそっと人質の首から剣を離し,さやへ収める.
これでもう,彼女たちには用はない.
ルッカは脱力したように,その場にぺたんと両手をついて倒れた.
「ルッカさん,」
サリナは,もつれる足で駆け寄る.
「サリナ様……,」
助かった……,サリナとルッカの二人は固く抱きしめあった.
しかしとたんにルッカの体は力を失って,少女の方へと倒れかかってくる.
「なっ!?」
少女は,非難の視線を上へ向ける.
視界に映るのは,剣のさやを振り下ろす少年.
そしてそのまま,あっけなく少女も意識を失った.
あっという間に女性二人を倒した少年は,慣れたしぐさで剣を腰に差しなおす.
当然のことだが,十分以上に手加減はしている.
力のない女性に不必要な暴力を振るうような悪癖は,少年にはない.
「エイダ,行こう,」
後ろに立つ姉に向かって,少年は言った.
「すぐにライゼリート王子が追ってくる,急いで……,」
そこまでしゃべってから,少年はあることに気づく.
真っ青な顔で,隣室から飛び出してきた金の髪の少年.
ついさっきまで人質にしていた女性が発した,少女の名前.
麻薬を盛られた少年が,息も絶え絶えに口にした女性の名前.
ひきょうだと思わないのか? 人質を取るなんて.
明るい金の髪,深い緑の瞳.
私にはすでに,……心に決めた女性が,いるので,
甘えたことを言う,幸せな王子の幸せの象徴.
平素な服に身を包んだ,どこにでもいるような少女.
少年は初めて,自分の感情が揺れるのを知った…….




