未来へ宛てたMP3
真夏の日差しが突き刺さる天気に、カーテンどころか雨戸も閉め切った部屋。中は灼熱地獄と化しているはずだが、ぼうっ、と冷房を効かせていた。肌寒くなるほどに冷えている。
部屋の光源は四角く縁どられた青白い光のみ。周囲の机や本、キーボードにのせた太い手指が見える。それを辿ると、男の顔があった。ヒゲ面で生気を感じ取れない死に顔。眼の光も青白く染まっていた。
素早いタイピングを駆使し、ゲームをしているようだ。それを数時間、一言も喋らずに黙々とやり続けていた。
不意に聞こえる背後からの物音。部屋のドアをガチャガチャとひねる音。しかし鍵がかかっており、侵入を許さない。音が収まると、足音が離れていく。それが聞こえなくなるまで、タイピング音は鳴らなかった。
ごくわずかにため息をつくのが聞こえた。まるで潜入捜査をして声を潜めるよう。
再びタイピング音がした、と思いきや、すぐに止んだ。どうやらフリーズしたらしい。パソコンを強制終了させようと電源ボタンを長押しするが、全く反応しなかった。今度はプラグを抜く。……しかし、これも駄目だった。ノートパソコンではないので、これで切れないのはおかしい。……そう考えた直後、画面に文字が浮かんできた。そこにはこう書いてあった。
[映像データ]
カーソルは動かせるようだが、そちらに合わせようという動きはなかった。もしかしたら新手のウィルスかもしれない……そう考えても不思議ではない。
男は悩んだ。業者を呼ぶか自分でなんとかするか、だろう。男もそれなりに詳しいので、自分でできないこともない。ただ、万が一のことを考えて業者を呼んだ方がいいに決まっている。
ところが、男が悩んでいることはそうではなかった。……この映像データを見てみようかどうかだった。まるでプレゼントをもらって中身を焦らされる、あのもどかしい感じを覚えたからだ。
数十分悩んだ末、見てみることにした。死顔の男もさすがに緊張しているようで、こくりとノドを鳴らす。
そしてカーソルを合わせ……クリックした。パッと何かのページが開いた。
「……何もない?」
初めて発した声。低く野太い声だった。
男は呆れてしまい、またため息をついた。
ページには黒い画面に再生位置をずらすバー、音量調節がある。つまり動画再生ソフトが起動したのだった。映像はなく、ただ時間だけが過ぎていくだけの意味不明なデータだった。
しかし、男は気付いた。
「あ……」
そう、音量がゼロだった。
イヤホンを差して、パソコン操作で音量を上げた。
「……これ……」
耳に飛び込んできた音。それは誰かの会話だった。
〈……あははは〉
〈おーい、もう一回投げてみろー〉
〈うん、わかったよー〉
〈おっ、中々早い球を投げるじゃないか。それじゃあ――――〉
声から察するに、キャッチボールをしている親子のようだ。仲睦まじい親子の会話が流れていく。そしてプツッと切れると、
〈――――あなた、マサト、危ないから気を付けてねー〉
〈うん!〉
〈よーし、泳ぐぞマサト! クラゲに気をつけろよっ〉
今度は海かプールか。
男は耳を澄ませて聞いていた。
「……」
机にピチッ、と飛び散る。
〈――――だから言ったろう? ほら、乗りなさい〉
〈うん……〉
〈……ずいぶん大きくなったな、マサト。この調子なら俺も抜かされるな〉
〈いっぱい牛にゅう飲んでるからねっ〉
〈そうだね。マサト、よく食べてよく遊びなさい。今しかできないことはたくさんあるんだ〉
〈うんっ〉
ピチッピッ、どんどん多くなっていく。キーボードにも一滴落ちた。
「誰だよ。こんな昔のこと……流しやがって……」
男は気づいていた。映像データと言いながら音声しかないMP3のデータ、音質の悪い音声、面白みもないタイトル。これらは全て……父親のものだと。
[マサト]
びくりとした。呼ばれたのではないかと。ただの音声が呼びかけてきただけだ。
[お前がどんな息子でも、俺の息子だ。母さんを頼んだぞ、マサト]
そこで再生が終了した。
「……おやじ……うっ……うぅ……」
涙が止まらなかった。自分の不甲斐なさや後悔、惨めさなどもあったが、何よりも父親の声が体を震わせる。昔から不器用でおっちょこちょいで、でも大きかった父親。何でも知っていた父親。弱音を吐かなかった父親。そんな父親の声を聞けたのは何年ぶりだろうか……。そう思うと涙が止まらない。
男は嗚咽を漏らしつつも声を潜め、夜通し泣き続けた。
「……はっ」
翌日、泣き疲れたのか日をまたいでいた。目の前の画面は何も表示されていない。電源を入れる前だった。
「……親父……!」
男は電源を入れるが、プラグを抜いていたことを思い出し、差し込んでつけた。パッと表示され、急いで中を見てみる。しかし、あのデータはどこにもなかった。検索しても細かく調べても、そんなデータは存在していない。かと言ってウィルスに侵入された様子もない。
ただ、蘇ったあの記憶と父親のあの声は存在している。それを噛み締めた男は、
「……よし」
未来への扉を開いた。
すっかり残暑になった気がする水霧です。夜中はすっかり冷え込んで、快適に眠れています。いやぁ、うれしいうれしい!
いつも暗い感じの話しか書けてなかったので、今回はちょっとハッピーエンド(?)でしかもちょっと絡みづらい〝SF〟でやってみました。
感動話や悲話には母親がネタとしてよく挙げられますが、父親の背中ほどデカくて偉大なものはないぞっ! というコンセプトで作りました。
お読みいただきありがとうございました!
P.S.
一ヶ月で体重を4キロ減量させました! O(≧▽≦)O