微笑みの葬儀
知らなければよかった。思い出さなければよかった……ごめんなさい、お母さん。
ああ、僕は死んだんだ……。
なぜだろう、理由はわからない。
ただ薄っすらと残っていた記憶の片隅に、死亡推定時刻を淡々と述べている声が聞こえたからだ。
悔しいかな、記憶はそこで途切れてしまっている。
その次に戻った意識は、真っ白で何もない空間に立ちすくんでいる場面から始まった。
母親には、迷惑ばかりかけてしまった人生だった。
大人になってもろくに仕事ができず、医療機関では精神疾患の診断を受け、何年も路頭に迷うことになった。
こんな僕には地獄がお似合いであろう。
そう、勝手に思っていた。
しかし……
「君に一つだけ、言っておきたいことがある。」
どこからか聞こえる、優しくも厳かな老人の声。
その老人が言うには、数時間後に僕の葬式が執り行われるそうだ。
「君のことは責任をもって天国へと送り届ける、その先には一切の記憶を持っていくことはできない。」
なるほど、それなら最後に母親や友人の顔を見てから旅立つのも悪くない。
そう思った僕は、快く承諾した。
しかし……
「最終的に決めるのは君自身だ。しかし知らないほうが良い記憶がよみがえるかもしれない。その覚悟を持てるのなら、少しだけ顔を出してくるといい。」
そう言い残した後老人の気配が消えて、目の前にどこか懐かしみのある木製の帯らが現れた。
なんだろう、懐かしい気持ちがほとんどを占めているのに、とてつもなく悲しい気持ちが心の隅をグサグサと刺してくる。
不思議に思いながらも、僕は扉の向こうへと足を踏み入れた。
そこは小さなお寺の一角にある葬儀場。
……ほとんど人がいなかった。
僕って案外友達がいなかったのかも、なんて自虐的なことを思いながら施設の中に入ると、数人の参列者と脇には見覚えのある人物がいた。
母さんだ。
僕がどんな最後を迎えてしまったのか、この時点で知ることはできない。
だから申し訳ない気持ちでいっぱいになって、流すことのできない涙をあふれさせていた。
しかし……
親族と思われる人も参列者も、誰一人として悲しいという感情を持っていないことに気が付いた。
みんな、ある一点をチラチラと伺いながら、怯えた表情をしていたのだ。
その目線の先にいるのが、母さんだった。
僕は状況を理解することができずに、しばらく困惑していた。
悲しみではなく、恐怖が渦巻いているこの空間は、漂っている僕にさえ痛いくらい伝わってくる、そんな異常な空間。
しかも母さんは時折、俯いて表面上は悲しんでいるように見えるのだが、瞬間的に口角が上がるのを僕は見逃さなかった。
何かがおかしい。
そう思った僕は一度施設の外に出て、周囲を確認してみることにした。
すると覆面パトカーが一台停まっていて、施設を囲むように私服警官らしき人物が目を光らせていた。
痛い、痛い、痛い……!
急に胸部を突き刺されたような痛みと、のどが焼けるような強烈な不快感に襲われた。
何だこれは。
ほかの感覚はとっくに消えていたのに、痛覚だけがまだ息をしている。
僕は生前の感覚を呼び戻せないかと、必死になって記憶の引き出しを漁った。
唯一今まで覚えていたのは、死亡推定時刻を聞いたあの瞬間。
きっとその前に何か重大な事実があるはずだ。
あ……
僕はある事実を思い出した。
そして……
そうだよ、そうだったじゃん。
なんでこんなことを忘れていたのだろう。
何気ない夕食だった。
久しぶりに母が作ってくれた豚汁と焼き魚を、母さんと二人で談笑しながら食べていたんだ。
美味しいなあなんて思いながら食べていたのだけれど、途中から違和感に襲われた。
のどがイガイガして腹痛になり、食事を中断して自分の部屋で横になってしまったのだ。
食あたりか、ついてない。
長引かないといいなと朦朧とした意識の中で、扉が開く音がしたんだ。
「大丈夫?」
母さんだった。
少しだけ冷静な言葉の抑揚がさすがだと思って、強烈な罪悪感に襲われたのを鮮明に思い出した。
「いつまで私は……」
母さんは冷静な声のままこんなことを口にした。
きっと僕の病気のことだろう、早く社会復帰しないと……
そう誓った直後だった。
サクッと胸の中に異物が入る感覚がして、一気に脳内の血の気が引くのを感じた。
何だろうと思って顔を起こすと、サクッサクッサクッと返り血を浴びながら、見たことのない瞳で僕のことを一心不乱にめった刺しにしていた。
今までの回想はここで終わりだ。
ハハ、ハハハ、ハ、ハハハハハハ……
乾いた笑い声しか出てこない。
ずっと母さんは我慢していたんだ。
なんで気が付かなかったんだろう。
母さんの笑顔が好きだった
母さんの料理が好きだった
なんだかんだで優しかった、母さんが好きだった。
それなのに……
いや、僕が精神疾患なんかになったのがいけなかったんだ。
単発のアルバイトでもいいから頑張るべきだったんだ。
一人の人生を壊してしまったのだ。
こんな僕が天国に行っていいはずがない。
もしも仏様が僕の姿を見ているのだとしたら、こう願いたい。
僕は天国にも地獄にも行く資格がありません。
だから……
だからお願いです。早く消してください。
次回更新日程は未定です。Xにて告知する予定です。
https://x.com/SEKwgi




