第97話 鐘が鳴る前に
時計台最終修復、四十五日目。
完成記念式典まで、あと一日。
朝から町は賑やかだった。広場には色とりどりの旗が飾られ、商店の軒先には明日の式典を知らせる看板が並んでいる。パン屋からは焼きたてのパンの香りが漂い、花屋では時計台を飾るための花束が次々と作られていた。
二百三十八年前に建てられた時計台が、明日の正午、正式に時を刻み始める。
町の人々にとって、それは長い間待ち望んでいた出来事だった。
修は工房の扉を開け、広場を眺めた。
「ずいぶん賑やかになったな」
「お祭りですからね!」
隣にいたエルクが嬉しそうに答える。
「町長さんが、明日は朝から屋台を出していいって許可したそうです。商店街の人たちも張り切ってましたよ」
「そうか。なら、修理が終わったら何か食べに行こうかな」
「僕も行きます!」
「俺も行く!」
二人は同時に振り返った。
いつの間にか、ロイが工房の前に立っていた。
木の剣を腰に差し、胸を張っている。
「勇者として、時計台の完成を見届ける!」
「勇者じゃなくても見届けられるぞ」
修が笑う。
「でも、勇者がいた方が盛り上がるだろ!」
「それはどうかな」
「絶対に盛り上がる!」
ロイは自信満々だった。
その時、工房の奥からリペが飛び出してきた。
「皆さん! 重大発表があります!」
「何だ?」
修が尋ねると、リペは大きな紙を掲げた。
そこには、赤い文字でこう書かれていた。
『大時計台スーパー完全復活祭!』
「……まだそれを使うつもりなのか」
「もちろんです!」
「正式名称は完成記念式典だぞ」
「でも、こっちの方が強そうです!」
ロイが目を輝かせた。
「いいじゃん! スーパー完全復活祭!」
「でしょう!」
「勇者の名前も入れようぜ!」
「では、大時計台スーパー勇者完全復活祭!」
「何が復活するんだよ」
修が呆れると、エルクが笑いながら紙を受け取った。
「リペ先輩、これは工房の中に飾りましょう。広場の看板は町長さんが用意してますから」
「仕方ありませんね!」
リペは満足そうに頷いた。
「では、工房の公式看板にします!」
「公式にはしないでくれ」
朝から騒がしい。
だが、修はそんな日常が嫌いではなかった。
むしろ、長い旅を終えて戻ってきた今では、この騒がしさこそが工房の日常なのだと感じていた。
⸻
午前九時。
修とエルクは時計台の最終点検を始めた。
昨日、王国技術院の検査に合格したとはいえ、完成式まで何もしなくてよいわけではない。
今日は、明日の正午に向けた最終確認を行う。
「まずは中央機構からだ」
「はい!」
二人は時計台の内部へ入り、階段を上がった。
修は中央機構の前に立ち、鑑定を行う。
【アルド大時計台】
【中央時計機構:正常】
【四面時計:正常】
【鐘楼機構:正常】
【内部安全設備:正常】
【外壁・屋根:正常】
【新型振動調整機構:正常】
【総合修復進捗率:99%】
【最終確認待機中】
「九十九%ですね」
エルクが言った。
「ああ」
「あと一%は何なんでしょう?」
「明日の正式な運転確認だろうな」
「なるほど」
修は中央機構の動きを確認した。
歯車は滑らかに回り、継ぎ輪も正常に機能している。
アルドが残した設計図。
修が作った最後の部品。
そして、何世代もの職人たちが交換してきた歯車や軸。
それらが一つの機構として動いている。
「不思議ですね」
エルクが呟いた。
「何が?」
「これだけいろんな時代の部品が集まっているのに、ちゃんと一つの時計になってることです」
修は頷いた。
「そうだな」
「普通なら、全部同じ時代の部品で作った方がいいと思うんですけど」
「新しく作るなら、それも一つの方法だな。でも、この時計台は違う」
修は回転する歯車を見つめた。
「壊れるたびに誰かが直してきた。だから、今の形になったんだ」
「修理の歴史そのものですね」
「そういうこと」
エルクはしばらく歯車を眺めていた。
やがて、少し照れくさそうに言った。
「俺が作った部品も、百年後に残ってるかな」
「どうだろうな」
「残っててほしいです」
修は笑った。
「残ってなくてもいいんじゃない?」
「え?」
「もっと良い部品ができたら、交換してもらえばいい」
エルクは少し考えた。
「……そうですね」
「でも、エルクが作った記録は残るよ」
「記録ですか」
「ああ。次の職人が参考にできるようにな」
エルクは嬉しそうに頷いた。
「それなら十分です」
⸻
午前十一時。
二人は鐘楼へ上がった。
巨大な青銅の鐘が、静かに吊り下げられている。
修は鐘本体を確認し、打鐘機構の状態を調べた。
【鐘本体損傷率:3%】
【打鐘機構:正常】
【時報連動機構:正常】
【安全制御機構:正常】
【翌日正午・正式打鐘準備:完了】
「問題ありませんね」
エルクが言った。
「ああ。明日は予定通り鳴らせそうだ」
修は鐘を見上げた。
その表面には、アルドの言葉が刻まれている。
『時は、人が刻むもの。』
二百三十八年前、アルドはどんな思いでこの言葉を刻んだのだろう。
修には、まだすべてが分かるわけではない。
だが、以前より少しだけ、その意味を理解できるようになった気がした。
「修さん」
「何?」
「明日、鐘が鳴ったら何か起こるんでしょうか?」
修はエルクを見る。
「どうして?」
「七つ目の音です」
修は少し驚いた。
「知ってたのか?」
「リペ先輩が教えてくれました。七つの遺産を巡って、六つの音を集めたんですよね」
「ああ」
「最後の音は、まだなんでしょう?」
「そうだな」
エルクは鐘を見上げた。
「じゃあ、明日聞こえるといいですね」
修は微笑んだ。
「そうだな」
昨日、アルドの工具箱から見つかった手紙。
そこには、最後の音について書かれていた。
『鐘の音だけを聞くな。その鐘を聞く者たちの声を聞け。』
修はその言葉を思い出した。
最後の音は、鐘そのものではない。
ならば、明日、何が聞こえるのだろう。
修は鐘楼の窓から町を眺めた。
広場では、完成式の準備が続いている。
荷物を運ぶ人。
飾りを取り付ける人。
屋台を組み立てる人。
その中には、修がこれまで修理した道具を使っている人たちもいた。
修理した荷車。
直した看板。
補修した椅子。
小さな修理の積み重ねが、町の日常を支えている。
「……楽しみだな」
修は小さく呟いた。
⸻
午後。
工房へ戻ると、町長が待っていた。
「修、少しいいか?」
「はい。どうしました?」
「明日の式典について、最後の確認だ」
町長は一枚の予定表を広げた。
午前十時。
式典開始。
町長挨拶。
修復に携わった職人たちの紹介。
王国技術院からの修復認定報告。
そして、正午。
時計台の鐘が鳴る。
「鐘が鳴ったら、修復完了を宣言する予定だ」
「分かりました」
「その後、広場で祝宴だ」
「楽しそうですね」
「お前にも挨拶をしてもらうぞ」
修の手が止まった。
「……挨拶?」
「当然だろう。今回の修復責任者なんだから」
「いや、俺は別に……」
「駄目だ」
町長は即答した。
「町の人たちも、お前の話を聞きたいはずだ」
修は困ったように頭をかいた。
「何を話せばいいんですかね」
「好きなことを話せばいい」
「好きなこと?」
「お前がこの時計台を直して、何を思ったか。それで十分だ」
修は少し考えた。
旅のこと。
七つの遺産。
アルドのこと。
ノアのこと。
フロストベル。
音の森。
星渡り峡谷。
話したいことはたくさんある。
だが、全部話せば日が暮れてしまう。
「短くします」
「頼むぞ。鐘より長い挨拶は困るからな」
町長が笑った。
⸻
夕方。
修は一人で町を歩いていた。
完成式の準備をする人々を眺めながら、これまでの旅を思い返していた。
王都へ出張した日。
風車の村で風を待った日。
ベルマーレで帰港の鐘を聞いた日。
フロストベルで氷時計を止めた日。
音の森で新しい記憶を残した日。
星渡り峡谷で、二つの正しさの間に立った日。
そして、町へ帰り、継ぎ輪を作った日。
どの場所にも、壊れたものがあった。
しかし、本当に直すべきものは、いつも目の前の道具だけではなかった。
修は広場の端にあるベンチへ腰を下ろした。
そこへ、ガインがやってきた。
「よう、修」
「ガインさん」
「明日だな」
「はい」
ガインは時計台を見上げた。
「最初にお前が時計台を直すって言い出した時は、正直、無理だと思ったぞ」
「そうだったんですか?」
「当たり前だろ。あんな大きなもの、一人で直せるわけがない」
修は笑った。
「実際、一人じゃ無理でした」
「そうだな」
ガインは頷いた。
「町中の職人が集まって、ようやくここまで来たんだ」
「はい」
「でも、最初に手を付けたのはお前だ」
修は少し考えた。
「最初に手を付けた人は、もっと昔にいたと思います」
「ん?」
「アルドが作ってから、何度も壊れて、そのたびに誰かが直してきました。俺は、その続きをやっただけです」
ガインはしばらく黙っていた。
そして、笑った。
「なるほどな。そういう考え方もあるか」
二人は並んで時計台を見上げた。
「明日、いい鐘が鳴るといいな」
「そうですね」
⸻
夜。
工房へ戻ると、リペとエルクが夕食の準備をしていた。
「お帰りなさい、ご主人様!」
「ただいま」
「今日は特別メニューです!」
「何を作ったんだ?」
リペが鍋の蓋を開ける。
中には野菜と肉がたっぷり入ったスープが煮えていた。
「時計台完成前夜祭スープです!」
「普通のスープじゃないか?」
「名前が違います!」
エルクが笑った。
「味はちゃんとしてますよ。俺も手伝いましたから」
「それなら安心だ」
「ご主人様!」
三人は食卓を囲んだ。
温かいスープ。
焼きたてのパン。
そして、いつもの騒がしい会話。
修はスープを一口飲んだ。
「うまいな」
「でしょう!」
リペが得意げに胸を張る。
「明日はもっと豪華にします!」
「明日は広場で祝宴だぞ」
「では、二回食べます!」
「好きにしてくれ」
エルクが笑い出した。
食事が終わる頃、エルクが修に尋ねた。
「修さん。時計台が完成したら、次は何をするんですか?」
修は少し考えた。
「そうだな……」
長い間、時計台の修復が目標だった。
七つの遺産を巡り、アルドの足跡を追い、最後の部品を作った。
その目標が、明日終わる。
「とりあえず、工房の仕事に戻るかな」
「普通の修理ですか?」
「ああ。壊れた椅子とか、鍋とか、時計とか」
エルクは少し驚いた。
「せっかく大時計台を直したのに?」
「大時計台を直したからって、鍋が直せなくなるわけじゃないだろ」
「それはそうですけど」
「むしろ、普通の修理がしたいんだよ」
修は笑った。
「最近、大きなものばかり直してたからな」
エルクも笑った。
「じゃあ、俺も手伝います」
「もちろん」
リペが勢いよく手を挙げた。
「私も!」
「お前もな」
「では、明日からガラクタ王国の営業再開ですね!」
「その名前は却下しただろ」
「まだ諦めてません!」
修とエルクは顔を見合わせ、同時に笑った。
⸻
深夜。
修は工房の作業台で、最後の修復記録を書いていた。
『アルド大時計台 最終修復記録』
第一工程から第六工程までの完了確認。
第七工程の運転試験結果。
王国技術院の検査報告。
そして、翌日の正式運転確認欄。
そこだけが空白になっている。
修は筆を置いた。
明日、正午。
鐘が鳴れば、最後の欄を埋めることができる。
修は窓の外を見た。
時計台の針は、夜の中でも静かに動いている。
町は眠っていた。
広場の飾りが、夜風に小さく揺れている。
修はアルドの工具箱を開いた。
昨日見つけた手紙を取り出し、もう一度読む。
『最後の音は、私が残したものではない。君が作るものでもない。時計台が完成した時、耳を澄ませ。鐘の音だけを聞くな。その鐘を聞く者たちの声を聞け。』
修は手紙を丁寧に戻した。
そして、静かに呟いた。
「分かりました。明日は、ちゃんと聞きます」
窓の外では、時計台の針が次の一分へ進んでいた。
二百三十八年前から続く時計台の歴史に、新しい一日が加わろうとしている。
修は灯りを消した。
完成まで、あと一日。
明日の正午、時計台は再び町に時を告げる。
そして、七つ目の音が何なのか。
その答えを聞く時が、いよいよ近づいていた。




