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番外編 剥奪された女神の告白――私が捨てたのは、世界の王様だった

鏡の中に映る自分に、私はいつも見惚れていた。

きめ細やかな白い肌、計算し尽くされた角度で跳ねる栗色の髪、そして、どんなハイブランドの服も着こなしてしまう完璧なスタイル。


「今日も最高に可愛いわ、私」


誰に聞かせるでもなく、私は鏡の中の自分に語りかける。

数十万人のフォロワーが私の投稿を待ち侘び、私が「おすすめ」と言えば商品は飛ぶように売れる。私は、この時代の主役なのだと思っていた。


婚約者の十文字旭は、そんな私の生活を支える、いわば「空気」のような存在だった。

家賃の高いタワーマンション、高級な美容液、贅沢な食事。彼は文句一つ言わずに、それらすべてを私に与えてくれた。でも、彼はあまりにも地味すぎた。


「旭、またそのシャツ? たまにはもっとパリッとしたのを着なさいよ。私の隣に並ぶんだから」


「……ごめんね、瑠璃花。僕はこれで十分なんだ。君が綺麗でいてくれれば、それでいい」


彼はいつも、冴えない眼鏡の奥で困ったように笑うだけ。

エンジニアという仕事は安定しているかもしれないけれど、私の華やかな世界には似合わない。私は、もっと刺激的で、私をさらなる高みへ連れて行ってくれる「本物の成功者」に相応しいはずなのに。


だから、皇凱旋さんに声をかけられたとき、私は直感した。

ああ、やっと運命の人が現れたんだわ、って。


「瑠璃花さん、君はこんな場所でくすぶっているような女じゃない。俺と一緒に、世界を獲ろう」


凱旋さんの言葉は、旭の静かな肯定よりも、ずっと私の心を震わせた。

彼はフェラーリを乗り回し、銀座の最高級店を自分の庭のように歩く。彼こそが、私の美貌を飾るのに相応しい宝石箱だと思った。


旭には悪いけれど、これは仕方のないことなの。

だって、レベルが違いすぎるもの。

私は、旭のことを「便利なATM」くらいにしか思わなくなっていった。


「ねえ、凱旋さん。旭ったら、今度は十億円の家を買うって言い出したのよ。信じられる? あの地味な男が、そんな大金持ってたなんて」


「ははは! それは傑作だ。瑠璃花、その家を手に入れてからあいつを捨てればいい。そうすれば、俺たちの事業資金は完璧だ」


凱旋さんの腕の中で、私は未来を夢見ていた。

旭の資産を根こそぎ奪い、凱旋さんと共に世界的なセレブになる。

その計画が、まさか地獄へのカウントダウンだなんて、これっぽっちも思わずに。


運命の、三周年の記念日パーティー。

私は凱旋さんが用意してくれた最高級のドレスに身を包み、主役として会場に降り立った。

会場には誰もが知る有名人が並び、私に羨望の眼差しを向けている……はずだった。


「遅くなってすまないね、瑠璃花」


現れた旭の姿を見た瞬間、心臓が止まるかと思った。

そこにいたのは、私の知っている「地味な旭」じゃなかった。

研ぎ澄まされたナイフのような、圧倒的な美しさと威圧感を纏った、別人のような男。


「……あ、旭? その格好、どうしたの?」


私は震える声で尋ねたけれど、彼は私を見ようともしなかった。

彼の瞳に映っているのは、愛する婚約者ではなく、ただの「不良品」を眺めるような、冷徹な光だけ。


それから始まったのは、公開処刑だった。

会場のスクリーンに映し出された、私と凱旋さんの情事の証拠。

私が旭を馬鹿にし、彼を裏切っていた会話のすべてが、大音量で流された。


「嫌……消して! 旭、お願い、消して!」


私は必死に叫んだけれど、誰も助けてはくれなかった。

今まで私に微笑んでいた人たちが、一瞬で「汚物」を見るような目に変わる。

そして、追い討ちをかけるように旭が告げた言葉が、私の世界を粉々に砕いた。


「君のフォロワーも、君の美貌を支えていた環境も、すべては僕が作った『作り物』だ。……今日、君はすべてを失う」


「嘘よ……嘘よ! 私は、私の力でここまで来たのよ!」


私が必死にスマホを取り出し、自分のアカウントを見ようとした時。

画面に表示されたのは、『このアカウントは存在しません』という冷たい一文だった。


数十万人のフォロワー。毎日届く絶賛のコメント。

それらすべてが、旭の指先一つで消え去った。

私が自分の実力だと思っていたものは、彼が私という「人形」に着せていた、ただの飾りだった。


「凱旋さん、助けて! 旭が……旭がおかしいの!」


私は隣にいた凱旋さんに縋り付いた。

でも、彼は私を乱暴に突き放した。


「触るな、この下げまんが! お前のせいで俺の計画はめちゃくちゃだ! 融資はどうなったんだ!」


凱旋さんもまた、旭が仕掛けた罠に嵌まり、巨額の借金を背負わされていた。

私たちが「騙して奪ってやろう」と思っていた男は、最初から私たちのすべてを手のひらで転がしていた、怪物だったのだ。


パーティー会場から放り出された夜。

私は、雨の中でボロボロになったドレスを着て、一人で泣いた。

カードは止まり、マンションの鍵は変えられ、実家の両親からは絶縁の連絡が届いた。


「そんな……これから、どうすればいいの……」


私は翌日、必死に美容クリニックに駆け込んだ。

せめて、この顔さえあれば。また別の男を捕まえて、やり直せるはずだ。

でも。


「神代様。申し訳ございませんが、当院はあなた様の出入りをお断りしております」


「どうして!? 予約はしてるはずよ!」


「オーナーからの指示です。……二度と、この街のサロンに足を踏み入れないでいただきたい、と」


旭の力は、私の想像を絶していた。

私の美しさを維持するためのメンテナンスさえ、彼は完璧に封じ込めた。

数週間もしないうちに、私の肌は荒れ、髪は艶を失い、あんなに自信のあったスタイルも、ストレスと粗末な食事で見る影もなくなっていった。


今、私は家賃三万円の、壁の薄いアパートに住んでいる。

毎日、スーパーのレジ打ちで食い繋ぐ日々。

かつてのフォロワーたちが今の私を見たら、誰一人として「神代瑠璃花」だと気づかないだろう。


「……あ」


駅前の大型ビジョンに、旭の姿が映った。

彼は、信じられないほど美しい女性と並んで、微笑んでいた。

一条院美琴。本物の財閥の令嬢。

私のような「作り物」の偽物とは違う、本物の輝きを持った女性。


「……あそこにいるのは、私だったはずなのに」


私は唇を噛み締め、涙を流した。

旭は、私を本当に愛してくれていたのだ。

ただの受付嬢だった私に、最高の世界を見せてくれた。

私が望むものすべてを与え、私が輝けるように裏でどれだけの努力をしてくれていたか。

それを「当たり前」だと思い、あぐらをかいていたのは私の方だった。


彼はATMなんかじゃなかった。

私の世界を創り、守ってくれていた、唯一無二の神様だったのだ。


「旭……ごめんなさい……本当に、ごめんなさい……」


私は街角で、誰にも届かない謝罪を繰り返す。

でも、もう遅い。

私が捨てたのは、ただの地味な男じゃなかった。

私の人生そのものだったのだ。


不意に、スマホに一通の通知が届いた。

数ヶ月ぶりに動いた、以前の友人からの連絡だ。

期待に胸を膨らませて開いたその内容は、残酷なものだった。


『瑠璃花、まだ生きてたんだ? 今、ネットであなたの昔の無修正写真が出回ってるよ。あんなに加工してたなんて、みんな笑ってる。……もう二度と、私たちの前に現れないでね』


添付された画像には、旭に出会う前の、垢抜けない私の姿があった。

旭が消し去ってくれたはずの、私の「醜い過去」。

彼はそれさえも、復讐の道具として解き放ったのだ。


「あああああ……っ!」


私は駅のホームで座り込み、顔を覆って泣き喚いた。

周囲の人々が、薄汚れた女を見るような目で私を避けていく。


かつて私が、通行人たちに向けていた、あの蔑みの視線。

それが今、すべて自分に跳ね返ってきている。


私は、何もかもを失った。

美貌も、地位も、親友も、家族も。

そして、私を心から愛してくれていた、唯一の人の心も。


「……死にたい」


そう呟いても、死ぬ勇気さえない。

ただ、明日もまた、冷たいレジの前に立ち、見知らぬ人々に頭を下げて、わずかな小銭を稼ぐだけの人生が続く。


宝石のような夜景を眺めることは、もう二度とない。

タワーマンションの柔らかなベッドも、シャンパンの泡の感触も、すべては遠い夢の中の出来事。


私は、旭が作った「最高の人形」だった。

糸を切られた人形に待っているのは、暗いゴミ箱の中だけ。


「……旭……会いたいよ……」


その願いが叶うことは、永遠にない。

私に贈られたのは、後悔という名の、一生解けない呪いなのだから。

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