最終話:純粋すぎる愛の剣を越えて、貴方の「静寂」のそばへ
その背中を見た瞬間、涙が溢れ出した。
言葉なんていらない。
どんな甘い言葉よりも、この傷だらけの背中が、雄弁に愛を語っている。
「おうじぃぃ、呪われている分際で、人の10年越しの恋路を邪魔しやがってっ! もう、許さんっ!」
ギルバート様が剣を振り上げる。
殺される。
どうすればいい?
ギルバート様の「心の声」は聞こえない。彼に嘘はないからだ。
彼は、私を暗殺から守るという「純粋な正義」と「愛」のもと、私を拉致し、邪魔者を排除しようとしている。
――純粋な愛?
私は走り出した。
王子の背中を追い越し、あえてギルバート様の前に立ちはだかった。
そして、隠し持っていたペティナイフを、自分の喉元にあてた。
「エリス嬢!?」
「止まってください、ギルバート様」
私の手が震える。皮膚が切れ、赤い血が滲む。
「私を愛しているなら、剣を捨ててください。でなければ、今ここで命を絶ちます」
一か八かの賭けだった。
もし彼が、単なる独占欲だけの男なら、傷ついた私ごとお持ち帰りするだろう。
けれど、彼の愛が、彼なりの「純粋な正義」なら。
ギルバート様の動きがピタリと止まった。
だが、彼の瞳から光が消えた。
「……ここで死なせれば、君は永遠に汚されない」
ボソリと呟かれた言葉に、戦慄が走った。
彼の視線が、私の喉元ではなく、私の四肢へと冷徹に注がれる。
――足を奪えば逃げられない? 気絶させて連れ帰れば治療できる?
一瞬の沈黙の中で、彼が瞬時にそんな恐ろしい計算をしたのが、肌で伝わってきた。悪意はない。ただ純粋に、私の「生存」と「保護」を天秤にかけている。
殺される。あるいは、生かされたまま自由を奪われる。
そう覚悟した瞬間。
彼の顔が、苦痛に歪んだ。
「……くそっ。……できない。君を、傷つけたくない……!」
狂気よりも、愛が勝った。
カラン、と剣が床に落ちた。
崩れ落ちたギルバート様を、弟たちが呼んで駆けつけた衛兵たちが取り押さえた。
騒動が去った後。
ボロボロになったレオン様が、私に背を向けて窓辺に立っていた。
「……怪我は」
「ありません」
「そうか」
短い沈黙。
彼は拳を握りしめ、震える声で言った。
「……晩餐会でワインをこぼして慌ててたことが、あったろ? それくらいからお前が嫌いだった。お前が大嫌いだから、お前と結婚したくない」
ひどい言葉だ。
でも、彼の横顔は、泣き出しそうなほど安堵に緩んでいる。
心の中は、温かい静寂で満たされていた。
あの時作ってくれたスープのように、優しくて温かい静寂。
「お前は、俺のそばにいないでくれ」
私は、彼に歩み寄った。
そして、そっとその背中に触れる。
「レオン様。もう言葉はいりません。気持ちは伝わりましたよ」
「……?」
「『私と結婚したい。ずっとそばにいてくれ』って、おっしゃりたいんですよね」
彼は弾かれたように振り返った。
顔を真っ赤にして、何かを言い訳しようと口をパクパクさせている。
「ずいぶんと最悪なプロポーズですけど、喜んでお受けします」
私は彼の手を取り、自分の頬に寄せた。
料理のしすぎで少し荒れた、温かい手。その指先の絆創膏が、何よりも愛おしい。
「私は誰とも幸せになりません。貴方以外とは」
レオン様の目が見開かれる。
「貴方の言葉は、いつもあまのじゃくで、分かりにくいです。でも……」
私は背伸びをして、彼の唇に、自らの唇を重ねた。
「貴方の料理と行動だけは、いつも正直で、大好きでした」
一瞬の硬直の後。
彼の腕が、強く私を抱きしめ返した。
ふわりと、温かな光が二人を包み込むのが分かった。
まるで、長い冬が終わったような、優しい光だった。
ゆっくりと唇が離れる。
涙で濡れた瞳で私を見つめ、彼は口を開いた。
「……あっ!……あー、その……とけた」
「え?」
「『こんな俺を心から愛してくれる人があらわれたら呪いを解除してやる』って、魔女が言ってたっ!」
いつもの流暢な悪口が出てこない。
彼は顔を真っ赤にして、たどたどしく、けれど確かな声で紡いだ。
「あ、愛してる……エリス」
それは、私が初めて聞いた、彼の本当の声だった。
その声は、彼が作ってくれたスープのように、心に沁みる優しい響きだった。
私たちは強く抱きしめ合った。
処刑のトラウマも、悪意の騒音も、彼の腕の中なら忘れられる。
世界で一番安全で、温かい場所。
「……ああ、幸せだ」
彼が私の髪に顔を埋めて呟く。
この幸せが、永遠に続けばいい。
そう思った、その時だった。
(……消えろ……)
(邪魔だ……あの女さえいなければ……)
ポツリ、と。
まるで真っ白なカンバスに黒いインクを垂らしたように、遠くで黒い音が混じった。
不意に、風に乗って運ばれてきた、遠い王宮の奥底から響くような、
粘着質な殺意の轟音。ギルバート様とは違う、明確な「悪意」を持った誰かの声。
ビクリ、と私は体を強張らせた。
まだ終わっていない。
断頭台で私を笑った、あの悪意の主たちは、まだ王宮に巣食っているのだ。
「……エリス?」
私の異変に気づいたのか、レオン様が心配そうに覗き込んでくる。
その目には、先ほどまでの泣き虫な王子の色はなく、愛する者を守ろうとする強い光が宿っていた。
「……どうした? まあいい、俺が絶対に守ってやる」
いつもの憎まれ口ではない。
真っ直ぐな言葉が、私の心に届く。
「……はい、レオン様。私も、貴方をお守りします」
私は彼の温かい手を強く握り返した。
もう、一人で震えるだけの「氷の悪役令嬢」ではない。
私には、この温かい手と、真実の愛がある。
どんな悪意の嵐が吹き荒れようとも、二人ならきっと乗り越えられる。
そう信じて、私は彼に微笑みかけた。
(了)
【エピローグ】黒騎士ギルバート
王宮の地下牢。 元騎士団長ギルバート・カーライルは、独房の中で静かに座っていた。彼を捕らえた衛兵たちは、誰もが彼の正義感を疑っていなかったため、むしろ彼を哀れんでいた。
(私は間違っていなかった。エリス嬢の能力は、この国を揺るがす爆弾だ。
あの美しい人を、汚い悪意から守る。それが私の愛であり、義務だ)
彼の心は、相変わらず穏やかで、静寂に満ちている。
彼が抱く「愛」は、あまりにも純粋で、あまりにも常軌を逸していた。
そして、その「愛」は、彼が敗北したことで、さらに恐ろしい方向へと進化していた。
(あの王子では、エリス嬢を守りきれない。あの場でも、
私の刃から守るのに精一杯だった。王家を狙う大臣たちが、あの能力を放っておくはずがない。……現に、あの女狐のどす黒い欲望が、視えるようだ)
彼の耳には届かないはずの陰謀が、彼には確信として見えていた。 法も、正義も、表の光では彼女を守れない。
彼はゆっくりと立ち上がった。 鍛え上げられた体は、牢の冷気の中でも微動だにしない。
カチャリ。
彼は、騎士団長の職務を通して培った、体術と錠前破りの技術を使い、手錠を外した。そして、誰も気づかぬうちに、牢の扉を音もなく開錠する。
月の光が、地下通路に差し込む。ギルバートは、王宮の裏口から闇へと消えていった。
「エリス嬢……君が再び危険に晒される時、僕は必ず戻ります」
黒いマントを翻し、彼は誓う。もう、光の騎士として、法と秩序の中で君を守ることはしない。悪意なき狂気に身を捧げた、一人の黒騎士として。
(君を守るためなら、闇に堕ちることも厭わない)
彼の心に響くのは、相変わらずの「静寂」だけ。その静寂の奥底で、狂おしいほどの一途な愛が、静かに炎を上げていた。
(黒騎士編へ続く?)
【作者あとがき】
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!
不器用なレオン王子とトラウマ令嬢エリスの物語、いかがでしたでしょうか。
皆様の応援のおかげで、二人はひとまずのハッピーエンドを迎えることができました。
(ギルバート様は……まさかの闇堕ちヒーローとして、今後も二人を見守るようです)
この作品を楽しんでいただけましたら、最後に【評価(☆☆☆☆☆)】や
【ブックマーク】、感想などをいただけると、作者として何よりの喜びです!
(ポイント評価は、読者様の「面白かった!」の気持ちをダイレクトに受け取れるので、
とても励みになります!)
また次の作品、あるいは「黒騎士編」でお会いできることを祈っております。
本当にありがとうございました!




