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1-1 魔の国の皇太子


 むかしむかし―――まだ人と魔が完全に分かたれてはいなかったころ。

 二つの民族は、小さな島が連なる陸地で天と地に住処すみかを分け、互いの領分を侵さぬよう、また交流を絶やさぬように生活していた。

 強い力を持ち、あやしい異能を使うことのできる者たちはやがて魔族と名乗り、天に拠点を作った。

 個々の力は微量だが、つちと共に生き、水と共に広く繁栄した者たちは自らを人族と名乗り、農耕を覚えて地上に拠点を作った。

 その二民族はやがて増え、それぞれの住処に国を作った。自らの国に王を立て、まつりごとをするようになった。

 天に昇った魔族の国は天津国あまつくに、地に寄り添った人族の国は山都国やまとのくにと呼ばれ、両の国は争うでもなく、無視するでもなく、互いの強さを認め合い、弱さを補い合いながら、それはそれは平穏に暮らしていたそうだ。


 これは、そんな二つの国で出会った二人の男女の物語である。


【魔の国の非力皇太子は怪力姫と結婚する】


 ―――天津国あまつくにの真ん中に位置する国の中枢、央京おうのみやこ


 その少し奥まったところに、魔族のおさたる者がおわす場所、雲居宮くもいのみやはある。央京おうのみやこは、異国ことくにとの交流の中で次第に変化し、次第にその佇まいを変えてきた。それはこの雲居宮も例外ではない。

 魔皇まおうの普段の御仕事場である表御座所おもてござしょから、渡り廊下を歩き正殿を抜けた先の千草ちぐさの間まで、王族が執務を行う場所は異国ことくに風の内装が際立つ煌びやかな空間だ。

 それでも、この宮殿の奥―――王族たちの住まいである奥御座所おくござしょは、未だ古式ゆかしい先王時代の面影を色濃く残していた。 

 表御座所と奥御座所を行ったり来たり。動き回る女官らの衣の裾がくるくるひらひらとあちらこちらで翻り、詰襟姿の出仕しゅっしたちが渡殿わたどのせわしげに通っていく。


「殿下! 皇太子殿下はいずこにおられるか!!」


 その一角、奥宮殿の東側に位置する皇太子御所、魔皇の正当な血筋を引く長男の住む宮に、侍従長の声が響き渡った。

 午後のお務めを前に、皇太子が逃げ出したのである。

そのお務めというのは、即位式の日に執り行う、戴冠式と大婚の儀の準備であった。

 今代の皇太子・晁彦あさひこはそれは優秀なひとであったが、どうしてか、婚礼が絡むお務めの前になると、こうして姿を消してしまう。


舞殿まいどのにも、寝殿しんでんにもおられませぬ。そういえば、昨日は南のくりやにおられたのでは? ああもう! 宵には山都国からの迎えの方々がご到着されるというのに! 殿下はまだ見つからないのか! よく探しなされ!」


 女官長の菖蒲あやめ典侍すけが慌ただしげに他の女官に指示を出す。


「政務は!? 今朝お渡しした物のほかに、何かないのか!? それを口実にすれば……」

「できませぬ! 朝の分は言うまでもなく、明日のご予定のための資料の準備と読み合わせも、すべて完っ璧に、終わっておりまする……。今朝の分など、私めの間違いミスの修正まで、完璧に……」

「ああー! ご逃亡なされたとき用に、殿下をお呼びするためにとっておいたお仕事も、手を付けられておりまする! 一部の隙もなく完璧に!」


 今代の皇太子殿下は、それはそれは優秀であった。というより、三度の飯より仕事がお好きな方であった。それをよく知る侍従や女官たちが、即位に関するお務めの前に、皇太子殿下を呼び戻すための好餌としてわざわざ書類仕事をとっておくほどだった。

 しかしその手も、今回は皇太子によって封じられてしまったようだ。


わたくしらも困っているのでございます、菖蒲あやめ典侍すけさま! 魔皇陛下自ら手配なされた見合いの日取りまでも、もう日がないと言うのに 殿下はいつまでも逃げ回っていらっしゃる。お衣装も、飾りも、まだ着合わせ一つ定まっておらなんだ……ただでさえ異国ことくにのお召し物は、天津国あまつくに山都国やまとのくにのものに比べて勝手が難しゅうございますのに……! これでは、当日になっても我らの殿下をまともに着飾りもできませぬ」


 衣裳部屋の女官が女官長に泣きついた。女官長が額を押さえて侍従長を見る。

 侍従長は、ひとつ長いため息をついた。


「殿下という方は、どうしてこう……ご政務はいつも完璧に遂行なさり、陛下からも一目置かれていらっしゃるほどで、心根もすばらしくお優しい方であらしゃるのに、こと御縁談に関してのお務めだけは頑なに遠ざけようとなさるのか」


二人の長は、長いことうんうんと考え込んでいたが、やがて揃って一人の出仕へ視線を向けた。


「「よもぎ!」」

「いやです」


 乞うように潤んだ瞳を向けられるも、蓬と呼ばれた少年は一も二もなく即答した。

 蓬は皇太子に仕えて九年目の侍従職出仕である。すっと通った鼻梁とまどかな声、さやかな佇まいは、蓬が美少年であることを予感させる。しかし、長めの前髪が邪魔をして、その両のは見えそうで見えない。

 蓬は人族出身であったが、それを知るものは少ない。その高い身体能力と目端の利く気配りの良さで、この宮中でも重宝されていた。


「そなたならば、殿下の居場所がわかるであろう? 出仕九年目、皇太子殿下の信頼も厚いそなたなら!」

「蓬、どうか頼む! 大事なご縁談の、見合いの時のための衣装合わせなのだ……! 殿下がらねば意味がない……。それに今日は月の宴もある。殿下のお時間をいただけるのは今日の今が最後なのだ……」

「そ、そうおっしゃいましても……殿下にも殿下のご事情がおありなのでは……」


 二人の長に詰め寄られ、蓬はたじたじと後ずさった。

 たしかに蓬にとっては皇太子を見つけることなど容易かったが、彼の胸中を思えばそうもいかない。


「それに私にもこれから用事が……ご存知でしょう?」


 数合わせの、間に合わせで出向くだけだが、それでも断るわけにはいかない用事だ。

 そう言って二人の長の頼みをそっと流し、その場を逃げ出そうとした蓬の肩を侍従長がガっと掴んだ。


「見事殿下を見つけられたら、出仕が終わった後も侍従として務められるよう取り計らおう」

「探して参ります」


 もともと宮中に出仕できる期間は短い。蓬は出仕初めが早かったのでここまで長く務めているが、それもじきに終わる。出仕を終えたあとの就職先がまだ定まっていなかった蓬は、侍従長の言葉に即答して御所を出た。


 蓬が向かった先は、宮殿の西側に位置する書殿ふみどのだった。ここには、古今東西、国中の書物を集めて保管してある。中には山都国やまとのくにのものや、大陸から手に入れたものもある。

 蓬の主である皇太子殿下は、勉強好きで有名だ。そして読書が何よりもお好きである。書殿に籠って日がな一日読書ができたらと、事あるごとに口にする。そしてそれは、決まって殿下にとって憂鬱な催し物が近づいてきたときだった。

 そんな殿下が、こういう時どんな場所へ向かうかを蓬はよく知っている。


(殿下には悪いが、観念していただこう)


 安定した就職先を手に入れるためにはやむを得ぬ判断である。


 蓬の視線の先、書殿の近くに植えられた橘の木の陰に、一人の少年が丸く縮まって身を隠しているのが見える。雪花せっか石膏せっこうの肌には眼鏡がんきょうの影が丸く落ち、細い銀縁フレームの隙間から菫青石きんせいせきの瞳が覗く。天津国に大陸の文化が入り始めた今日こんにち、そのくせのない黒髪は耳のあたりまで短く切り調えられていた。

 今代の皇太子殿下・晁彦あさひこそのひとである。

 しかし、その姿は生い茂るつつじの葉に隠され、こっそりと書物を読みふける姿にいつもの煌びやかさは微塵も感じられない。きっと、大人の背で探したのであれば見逃すだろう。


「みつけましたよ」


 晁彦は、突然聞こえた声にはっと顔をあげた。しかしその声の主が蓬だと気付いたのか、すぐに視線を本に戻す。

 蓬は半ば呆れながら、晁彦の前にしゃがみ込んだ。

 そして晁彦の手から書物を奪い取る。


「没収」

「何をする、蓬」

「それはこちらの台詞です、殿下。こんなところで何をなさっておいでですか。魔皇陛下がお取り決めになったさとの姫君が、今度いらっしゃるそうじゃありませんか。お見合いの日のお召し物も、まだお決まりでないのでしょう。衣裳部屋の女官が泣いておりましたよ」


 蓬に言われて、晁彦は初めてそのことに思い至ったのか、少しの間、後悔するように視線を彷徨わせたのち、目を伏せて「すまない」と言った。「もう戻る」とも。

 しかしその声音は明らかに沈んでいた。


「私には、まだ結婚など早いと思うのだがな。皇になれるかもわからぬ者に、嫁ごうと思う娘がいるとも思えん」

「どうしてにございますか」

「蓬も知っているだろう。私が魔族にも関わらず、ほとんど膂力りょりょくを持ち合わせていないこと」


 それは、宮中の誰も口にはしない、けれど公然の晁彦の秘密であった。

 通常、魔族は人族の十倍以上の体力と膂力を持つ。王を担うほどの強い一族の生まれであるならば、尚更その傾向が強い。少なくとも、常魔じょうじんの二倍―――人族の二十倍は力を持ったにんげんが生まれるのが普通だ。

 けれど、今代の皇太子殿下は、人族と同程度の膂力しか持っていない。それは魔族にとって、力がないのと同じことだ。

飛びぬけた聡明さと、卓越した手腕、そして何より誰もに愛される穏やかな人柄を持つ晁彦であるが、民の中にはその体の弱さを心配する声も多かった。


「皇というのは、もっと強く、誰よりも頼りがいがあるものだ。皆を不安にさせるのではなく、安心させられるような者でなくてはならない。魔族の役目は、人族の祈りを受け、繁栄の手助けをしてもらう代わりに彼らを庇護することなのだから尚更。だというのに私にはそれがない。第二皇子の有明ありあけの方が、よほど相応しいだろうに。……なぁ、そうは思わないか」


 晁彦はどこか投げやりにそう言った。早くに母君を亡くし、たくましい皇帝陛下だけを見てきた晁彦にとって、力のない、か弱いとも言える身であることは蓬たちの想像以上に彼の不安材料だったのかもしれない。

 こんなに優秀なひとであるのに。


(だが……)


 長く晁彦に仕えてきたので、築き上げた関係性の上であれば蓬が言えることもあるだろう。首が飛んだらそのときはそのときである。

 蓬は口を開いた。


「おそれながら、殿下」

「なんだ……?」

「ないものに焦がれても、どうしようもありませぬ」

「は?」


 蓬の言ったことによほど驚いたのか、晁彦は勢いよく顔をあげ、つつじの枝に頭をぶつけた。

 蓬は立ち上がって、没収した本をぱたんと閉じる。


「それに、殿下が皇に相応しき御方かどうかを私に尋ねるのは意味がないと思いますよ。『皇になる者は誰よりも強く、頼りがいがあって、皆を安心させるような者でなければ』とおっしゃいましたね。私は、殿下に対してそのように思いますからね。それはお身体が弱かろうがなんだろうが、我らを大切に思い、我らを守ろうとなさる姿を知っているからにございます」


 晁彦は、基本的に侍従や出仕や女官に対して寛大だし、周囲を困らせることがない。即位の儀についてだけは逃げる回るくせがあるようだが、それでも、衣裳部屋の女官が泣いていると言ったら結局戻ってくれるのだ。


「殿下の御身体が普通の魔族よりも弱いのは、もう仕方ありませぬ。努力でどうにかなるのであれば、殿下はもうとっくにどうにかされておられましょう。そういう方ですから。であればもう、どうしようもありませぬ」

「そんなに力強く言わなくても……」

「それでも、私がお仕えしたいと願うのは、殿下です」


 晁彦がぴたりと固まった。蓬の言葉の真意を図りかねているようだった。

だが、そもそも晁彦に皇の素質があるかどうかなど、問われても蓬にはわからない。

 わからないなりに、自分が伝えられることは一体何だろう。


「殿下は、本当は皇になどなりたくないとお考えですか。お体の強い弱いはこの際どうでもよいのです。この国を背負う役目などからは逃げ出してしまいたいと、本気で、そうお思いですか」


 晁彦の瞳が驚きに見開かれ、そして、蓬の真意を探るかのようにすがめられる。


「『そうだ』と、言ったら……?」

「どうもいたしません。皇という地位でさえ、代わりはおります」


 射抜くようにこちらを見る晁彦あさひこの両目を、蓬は自分の前髪越しに真っ向から見返した。


「でも、理由がお身体の弱さであるというのなら、お引き留めいたします。私が、殿下の拳となって、いつまでもお傍で殿下をお守りしますから」


 蓬が笑って言うと、晁彦はわずかに目をみはり、それからこぼれるように柔らかく、笑った。

 その笑顔に、蓬も思わず瞠目する。


「そうだな」


 晁彦がたしかめるように呟いた。

 そして、つつじの茂みの中から身を出し、立ち上がって歩き出す。

 しかし不意にその足が止まった。晁彦が蓬を振り返る。


「蓬」

「はい」

「さっきの言葉、忘れるなよ」


 その頼みに、蓬は目をきょとんとさせた。


「ええ、勿論」

「絶対に、絶対だぞ。約束だ」

「わかりました」


 いつになく念を押す晁彦の様子に、蓬は首を傾げたが、言ったことを違えるつもりはなかったので、素直に頷いた。


「それと、二人の時は、私のことを名前で呼べと頼んだはずだ。……言い続けてもう四、五年は経つのに」

「それとこれとは別です。……殿下に、かような恐れ多き事をできるわけがないではありませんか。そのようなことは、殿下と対等に意見を交わせる身分の方にお願いなさってください。これから娶る姫君とか、あとはほら、護衛のしばどのとか、侍従長の柳さんとか……」

「あの二人は叱るではなく口うるさいというのだ」

「柴どのと柳さんに言いつけますよ」


 半眼になって蓬が言うと、晁彦はまるで豆鉄砲を食らった鳩のようにきょとんとして、それから声をあげて楽しそうに笑った。


「ではさっさと戻るとしよう。柳はともかく、柴に叱られたのではかなわん」

「そうしてください」


 こっそりと軽口をたたきながら二人は御所へと戻る。

 そして、入り口に仁王立ちになって待っていた柳と柴(さらには菖蒲の典侍までいた)の姿に、二人そろって天を仰いだのは言うまでもない。



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