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鬼塚守  作者: shio
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後編


「一手、訓えを頂きたい」


 門人に案内され道場へと上がり、私は五郎太夫へとそう申し入れた。

 五郎太夫と対し、驚いたことが二つ。一つは思いのほか老人だったということと、もう一つは隻腕だということだった。

 これで武術師範にされているとは。若い頃は確かに達人と言われたかも知れないが、今では達人の名前だけが残っているだけかもしれない。

 いや、油断は大敵だが、「五郎太夫に試合を挑んだ者は帰らぬ人となる」という噂も案外当てにはならぬかもしれない――などと心で思っていると、


「ふむ……」


 五郎太夫は目を閉じ、深く頷いた。否とも応とも言ってはいない。

 その反応は果たしてどういう意味だったのか――少し訝しくも感じたが、ともあれ、私はもう一度口を開く。


「代々の五郎太夫殿よりも当代の腕は随一と聴いております。是非、その腕を見せていただきたく」

「訓えることはできるが、見ての通りのこの腕。片腕になってからは試合はしておらぬ」

「ならば、他の者でも構いません。この道場一の者と手合わせさせていただきたい」

「ふむ……」


 そこで五郎太夫はまた唸った。試合を申し込まれることなど日常のことであろうに、疑問が大きくなる。


「まさか、五郎太夫殿ともあろう人が臆されたか。片腕と共に、剣の道をもなくされましたか」

「――――」


 私の言葉に周りの空気が変わる。生きて返さぬ、というほどの殺気が膨れ上がるが、こちらとしても望むところだった。

 何より、負ける気で試合など挑まない。この道場の誰よりも強いという自信はある。


「――わたしが受けましょう」


 そんな殺気の中、涼風が流れるように静かで綺麗な声が響いた。

 忘れようがない声に、私は顔を向ける。見ると、やはり先ほどの塚守の少女がそこに居た。


「貴女が……?」


 驚きと共に声を漏らすと、少女はすっと道場へと足を踏み入れた。

 それだけで殺気に溢れていた道場の空気もが変わる。不思議な静けさとともに、門人達が見守る中、少女は五郎太夫の横へと座り私と向き合った。


「試合のこと、わたしが受けましょう」


 あまりのことに一瞬私は呆け……だが、その言葉を理解し戸惑いと共に繰り返す。


「貴女が、試合をすると……」

「はい」


 こくりと頷く少女。その目は巫山戯ても馬鹿にしているのでもない。真っ直ぐで真剣な瞳。

 だからといって、だった。だからといって、こちらも受け入れるわけにもいかない。私は五郎太夫を見つめた。


「五郎太夫殿、これは一体どういうことか」

「……菫、お前は下がっておれ」

「いいえ、師範。わたしが受けます」


 菫――少女が迷いなく凜と発した。

 名がないと言ったのは嘘だったのか……いや、それよりも……

 私の戸惑いが増す中、少女、菫はなお続けた。


「わたしが、やらなければならぬことです」


 強い口調に五郎太夫は黙った。他の門人達も黙っている。


(一体、なんだ……何が起こっている)


 小さな少女の言葉に誰も反しない。五郎太夫でさえも。


「わたしがお相手いたします。いかがでしょうか」

「いや、しかし……」

「貴方は道場一の者と申されました。ならば、わたしが受けましょう」

「っ!」


 なんの戯れだろうか、そう思いたくなる。だが、まるで……そうまるで、切っ先の如く少女の声は澄み、鋭い。

 偽りを言っているとはとても思えない。何より、周りの誰もが少女の言葉に反することはなかった。五郎太夫でさえも。


「よろしいですか」

「わかりました……ならば、相手願おう」


 私は、頷いた。頷くより他なかった。


「――名があったのですね」


 試合の始まる前、私は少女に向かって問いかけた。


「偽りを答えた訳ではありません。名は捨てました」

「何故」

「死人に名など必要ないからです」


 向かい合い、礼をし、構える。

 互いに手に持つは木刀。だが、少女の持つ木刀は私より短い、一尺二、三寸といったところだろうか。それも当然だ。小太刀術の流派ならば。

 試合を受け入れたものの、最初は迷いもあったが今はない。いや、なくならされた。少女の見せる静かな姿に、纏う空気に。


「ならば、私がまた名乗れるようにしましょう。私が勝てば共に来てもらう」


 私の言葉に少女は答えなかった。

 少女の構えは下段。小太刀に対するのは初めてだが、短い間合いの小太刀で下段は不利のように感じる。対して私の構えは中断の正眼。

 呼吸を整え、気を膨らませる。例え幼い少女とて、試合であれば全力を出す。

 摺り足でじりっと近づく。間合いはこちらが有利。気で押し、切っ先で牽制し、一気に詰めていく――そう考えた刹那だった。

 それはまるで風のように。

 トッと少女は一足で距離を詰め――それは、普通の剣術にはない動きで――間合いに入り、息を飲む暇もなく、左腕を斬り上げられる。

 そして、


 ガンッ――


 膝の裏を蹴られ、前へと倒れかかった頭に斬り上げた小太刀を返す形で首を落とされた。



 ――――――――――



「我が流派である戸田流は元は中条流ともいい、その流れには京八流が入っているとも言われている。短い刀を用いて素早く敵の懐に入る剣術――だが、儂も伝えられてはいたが、それを体現するまでには至らなかった」


 意識が朦朧とする私に、五郎太夫は話を続けた。


「しかし、菫は……娘は天賦の才か、その術を会得してしまった。菫は、裏の塚に捨てられていたのを儂が引き取ったのだ。娘同然に育て、剣も訓えたのだが……それが不幸だった」


 それはまるで罪を贖うように、少女の業を減らすように。


「儂のこの腕は、菫との試合で失ったものだ。優しい娘だからこそ、そのことに深く責を感じ……そして、儂の代わりをするようになっていった。五郎太夫の名を汚さぬように、もっと強くもっと強く、と」


 五郎太夫は深く息をつき、そして、と続けた。


「その才の為に、技が鋭すぎる為に……真剣の試合だった為に、多くの者が命を亡くした」

「――――」


 私もその一人か……揺れる意識の中で、私は心で呟いていた。

 道場ではない畳の部屋で寝ている自分。身体は動かない。左腕は折れ、首も……もしかしたら折れているのかもしれない。

 剣術の道は絶たれた……そうであるならば、もう生きることに意味はない。


「…………」


 言葉を出したかったが、声はでなかった。

 ただ一つ感謝はある。それを伝えたかった。


 剣術には意味がある。私は天賦の達人と試合をし、剣の道で命を落としたのだ。


 少女に伝えてほしいと願うが、やはり声は出ず――私の意識はなくなった。



 ――――――――――



 鬼塚。


 武者修行や道場破り、他流試合などで亡くなった人々、そして、道場の稽古で亡くなった身寄りの無い門下生や、諸国巡礼中に病気や怪我により亡くなった者を弔うための塚。


 少女は今日も掃除をする。新しく土が盛られた塚に花一輪を添えて。

 いずれ、自らも入る塚であれば――


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