鏡と毒
アンダイエは椅子に手をかけたまま、まだ腰を下ろさない。
深く呼吸し、視線をまっすぐにティラナへ向ける。
「……あれは、記録というより“鏡”のようだったわ。わたしたちが何者なのか、何処から来たのか。それを問い返されているような、そんな気がして」
「まあ、詩的な感想ね」
ティラナは微笑を絶やさず、ゆったりと椅子に腰掛けた。
膝の上に手を重ね、優雅に指を組む。
「でもアンダイエ……貴女が“鏡”と呼ぶその記録は、この国にとっては『感染源』にもなりかねないものよ。真実や記録というのは、時に毒にもなるわ。特に――『誰かを思い出させる顔』を伴うなら、ね?」
アンダイエの表情がわずかに揺れる。
「前に話したかしらね、貴女の名前は『戸籍なし』って、元々の貴女そのものが記録から存在しないことになっている。それなのに出てくるなんてね」
その一瞬を逃さず、ストラスが口を挟んだ。
「あたしらが何に似てるとか、どこかの記録と一致してるとか、
そんな“顔”の話で動くのが保衛委員会のやり方かい?
ずいぶんと、感情的なんだな。あんたらにしては」
その言葉に、ティラナはほんのわずかに目を細めた。
だが怒りの色ではなく、むしろ――面白がる色だった。
「ストラス・ラザール記者。
あなたのような方が今まで保衛室に居られたこと、正直、驚きなのよ。でも、それが王都と地方の違いかしら。あなたは“問い続ける記者”であり、“命令を疑う者”だった。そんな貴女だからこそ、私たちはこうして――『お茶の時間を共にしている』のだと、思いません?」
ストラスは黙って唇を引き結び、帽子を握る手に力を込めた。
アンダイエは、そっと彼女の袖を掴んで目配せする。
落ち着いて、と。今はその時じゃない、と。
ティラナはその様子を見て、笑みを深くした。
「さて。話を戻しましょう。アンダイエ――記録が呼び起こすものが、あなたにとって“記憶”でなくても、周囲の者たちがそれを“記録の亡霊”と見るなら……あなたは、“記録の再演者”になる可能性があるの」
「……再演者?」
アンダイエの声は低かった。
「ええ。“記録に似た存在が、再び歴史をゆがめる”。それは、ただの偶然では済まされないのよ。――意志が伴っていれば、なおさら。」
部屋に沈黙が落ちる。
それは、アンダイエへの問いかけであり、
告発でもあった。




