新聞社での初仕事
翌朝。
テルミドールの街は爽やかな青空だった。
「起きろアンダイエ。もう七時だぞ~」
声がして目を覚ました時、窓の外では工房の鐘が鳴っていた。
起こしたのはストラスであった。
「……おはようございます」
「おう、まずは顔を洗って、朝メシ。食べ終わったら早速、君の初仕事をするからな」
朝食は、新聞社の共同キッチンで用意された黒パンと塩鱈のスープ。
良い香りを嗅ぎながらアンダイエは素直に手を合わせ、食べながら心を落ち着けた。
食べ終わったら、アンダイエは編集スペースに。
角にはインクの染みがあり、タイプライターのキーは使い古されたのか、ところどころすり減っている。
だがまだまだ使えるようだ。
アンダイエはその前に座らされて、簡単に操作を教えられる。
「アンダイエ、これが今日の原稿だ。記事ごとに分けてある。これをタイプライターで写して、見比べて、誤字脱字があったら付箋を貼ってくれ」
ストラスから受け取ったのは、男の記者が殴り書きしたような文字の束。
一応は読めるが、少し時間が掛かってしまう。
「これは……」
「時間が無いからな、急いで書くという事もあるんだ。あとは、文字が綺麗じゃないっていうのもあるかな」
色々な理由があるという事。
「もしも、ぼくの文字が間違っていたら?」
「大丈夫だ。活版印刷をする時に色々と配置を確認するし、試し刷りで最終チェックをする」
色々と確認するという事だ。
事実や記録を届ける以上、間違っていれば正確性が薄れてしまう。
「分かった」
アンダイエはタイプライターを操作して、文字を入力していく。
配置は似ていたため、多少上手くタイピングを行っていった。他のベテランに比べたら遅かったが。
『ニヴォーズ大聖堂の補修、ギルド側の案を採用』
『大公国の外交使節、ヴァンデミエールに到着』
原稿に書かれている文字を一文字一文字確認しながら入力していく。
カチャカチャという音と共に文字は紙に印字される。
昼前には渡された記事の入力を終えた。
「どうだい? 出来たかな」
「うん!」
入力し終わった紙をストラスに渡す。
内容を確認して、ほほえむ。
「よし、バッチリだ」
「ありがとうございます!」
「じゃあ、午後も頼むよ」
「はい!」
昼食を取って、またタイプライターの前へ。
次の原稿を渡されて、それを入力していった。
『ヴェネト・サランシュ大統領、労働総取引所のピヴェール議長と会談。組合員の民意は言葉に出すだけではなく、”記録されるべき”と』
『ハバドゥール・サヴァルカール首相、”語らぬ女王の沈黙”を称える発言』
淡々とした内容だが、アンダイエの中で何かがわずかにざわめいた。
(記録されるって……)
特に気を止めることもなく、タイプライターのキーを押し始めた。
午前中は戸惑っていたが、やがて指がリズムを覚える。
”写す”という単純作業。けれども、不思議なほど頭が冴えていく。
『記録される』
『沈黙を称える』
打ち込んだ言葉たちが、彼女の中で”意味を持って並ぶ”。
ただの文章ではない。
この国や世界の現在を示しているものだと、はっきり感じられた。
「お疲れさま。誤字脱字も無いようだし、良いことだ」
「えへへ、ありがとう」
アンダイエはストラスに褒められて、頬を赤らめる。
こうして、新聞社での初仕事を終えたのだった。
『この国の記録、間違わずに橋渡し出来た』
古紙にそれだけを書いて、そのまま眠りにつくアンダイエであった。