表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

59/70

それでも灯すために

 朝の光が完全に昇りきった頃、アンダイエとストラスは、テルミドールにある『熱月の風』の編集部に。

 朝の汽車でテルミドールへ戻っていた。

 駅前の喧騒とは打って変わって、編集部の中には静かな緊張感が流れていた。


「……さて、書こうか」


 ストラスは、自分のデスクに腰を下ろすと、かつて記録係だった頃の癖で無意識にペンを指で転がした。

 アンダイエは隣の机に資料を広げ、手帳を開いて万年筆のインクを確かめる。


「”誰かの名を、もう一度灯すために”。見出しはそれでどう?」


「いいな……書こう、過去を塗り潰すためじゃなくて、浮かび上がらせるために」


 二人の間には、短くも確かな決意が交わされていた。


 ストラスは文頭に自らの名前を記し、続けてこう書き始める——


「かつて、ヴァンデミエール旧市街にあった一つの屋敷。その名を記録に留めることさえ禁じられた家に、一人の令嬢がいた。しかし彼女は死者として登録されなかった。ただ“存在しない者”として、記録から抹消された——」




 タイプ音とペンの走る音だけが部屋に響いた。


 そこへ、編集部のドアが無遠慮に開け放たれた。


「失礼するよ。保衛委員会だ」


 黒い外套を纏った男が数名、熱月の風へとへ入り込み、ひとりの若い女性職員が封筒を掲げた。


「おやおや、今日は直接お越しですか」


 主筆のアーネスト・ブレアが出迎えた。

 それにアンダイエとストラスも続く。


「この報道案件について、上層から差し止め命令が出ています」


 アンダイエが目を見開く。


「どういう……根拠で?」


 女性職員は冷たく言った。


「記録保全法第十四条より。今編集中の記事の掲載は、当局の許可が下りるまで保留とされます」


 ストラスの手元から、紙面の下書きが回収されていく。

 彼女は黙ったまま、外套の職員たちを見送った。


「お早いご対応で。“記録”の毒性ってやつを……こうやって見せに来たのかな?」


 ぼそりと呟いた声に、アンダイエは唇を噛む。


「それでも……わたしたちはここまで辿り着いた。なら、まだ手はあるはず」


「そうだな。記事にできないなら……別の方法で名を残す。文字じゃなくても、記憶には残せる」


 そのとき、編集部の奥からデイジーが駆け寄ってきた。


「この記事、いまは出せなくても……”読んだ人”はいるんです。編集部の校閲担当、ブルメさんが初稿を読んで……泣いてました」


 アンダイエは、ストラスの目を見た。


「記事が出せなくても、名を呼ぶ人はもう現れた。それなら、わたしたちはまだ続けられるよ」


「……ああ」


 静かな夕陽が、編集部の窓から差し込んでいた。

 失われた名に、ふたたび灯がともるまで——彼女らの闘いは、続いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ