ヴァルミュルブールで一番嫌われる行為
夕刻、ヴァンデミエールの旧市街
記録官トウアンの事務所を出たアンダイエたちは、風の冷たさに胸元をすくめながら、寂れた商店街を歩いていた。
ストラスは無言だった。
その横顔に浮かぶ陰りは、かつての署名の重みと、今なお続く『抹消』の現実を背負っていることの証だった。
「ストラス……大丈夫?」
アンダイエはそっと声をかける。
「……ああ。ただ、やっぱりな……自分の名前が、誰かの終わりの印になってたって実感は、きついな」
ストラスは帽子の庇を指でなで下ろしながら呟いた。
その後ろを、デイジー・キルヒベルクが黙ってついてくる。
彼女もまた、あの文書に刻まれていた『法的抹消』の手口に、言葉を失っていた。
「でも……カウナスさんは”死んでいない”って記録が残っているんです。つまり、生き延びた可能性がある。なら、私たちができるのは……」
「記録を掘り返すことだよな」
ストラスが口を挟む。
「それがこの国で一番嫌われる行為だって分かっててもな」
しばしの沈黙のあと、アンダイエは前を向いた。
「記録って、過去を閉じこめるためにある訳じゃない。過去に生きていた誰かが、今も確かに生きていたと伝えるためのものだと思う」
ストラスとデイジーは、その言葉に短く頷いた。
するとそのとき、通りの影からひとりの若者が現れた。
痩せぎすの青年で、郵便局の肩章をつけている。
「失礼……ラザール記者ですか?」
「ん、あたしだけど?」
彼はそっと茶封筒を差し出す。
「……フロレアール図書館の中央記録庫から、速達でこちらに届けるように連絡がありました。お受け取りを」
封筒をストラスが受け取ると、彼はそのまま仕事を続けていった。
ストラスは、受け取った封筒の封を破く。
中から出てきたのは、中央記録庫の『閲覧申請の保留通知』という、記録へのアクセスを拒否されたものであった。
「……誰かが動いているな」
ストラスが低く呟く。
それは、熱月の風ではなくこの場所に届いた事で明らかだ。
しかも早い段階で。
「つまり、誰かがこの記録へのアクセスを止めようとしている……中央記録庫の上層部。もしかして、保衛委員会?」
デイジーが口にした名前に、ストラスとアンダイエは目を見交わす。
その名が意味するのは、ただ一人。
ティラナ・アレグリア。
「とりあえず今のところ、中央記録庫へ向かうのは難しいな」
「だったら、どうするの?」
デイジーが訊いた。
「だから、記者として出来るところからやろう」
「それって……」
「まずは、テルミドールに戻ろう。そこからだ」




