名を消す処刑
ストラスは重い手つきでトゥアンから渡された文書を開く。
封蝋の跡が残るその複写は、赤茶けたインクと、正式な記録書式に則った整った字体で書かれていた。
対象:スゴンダ家分家第一女子 カウナス・スゴンダ
発令理由:当該人物は共和国の規定を逸脱し、国家に対する潜在的危険因子と認定される。
処分指示:一、上記対象の戸籍および存在記録を即時抹消すること。 二、関係者からの口述記録および写真類も、同時に封印すること。 三、対象を死亡者としては記録せず、生存を前提に『記録上のみの削除』とする。 四、移送先は軍政局、シュヴァルエール市内の管理指定区域。以降の記録は機密指定。 五、本命令文書に署名する者は以下の通りとする。
署名者:S.L.(識別番号により本人確認済)
六:対象が生存していた場合、いかなる形でも名前の回復は認められない。
ーーこの文書をもって、『カウナス・スゴンダ』は記録上、存在しなかったものとする。
読み終えたストラスの額に、静かに汗が浮いていた。
彼女は文書を閉じると、低く呟いた。
「……これは、.名を消すための”処刑”だよ。命を奪わず、記録だけを奪うやり方だ」
アンダイエは拳を握りしめる。
誰かの人生が、文字の命令だけで封じられていた。
「これを……記録として復元できたら……」
「その瞬間、誰かの罪が確定する。名前に責任が戻る。署名をしたあたしも、その一人だ」
トゥアンが言葉を挟んだ。
「お前たちは、カウナスという記録を掘り起こす。そのとき、あの国の一部はきっと震える」
数時間後 ニヴォーズ市 保衛委員会
ティラナ・アレグリアの執務室。
窓は閉ざされ、カーテンの隙間から差し込む夕陽だけが、室内の書類を染めていた。
部屋に駆け込んできたライラック・ディアスが、息を整えながら報告する。
「……ラザールとシュティの両名。スゴンダ家分家関連の軍政下文書に接触。トゥアン元記録官から情報を得た模様です」
ティラナの顔から、笑みが消えた。
「内容は……?」
「不明ですが、処分命令の写しと見られます。例のーー”S・L”署名文書かと」
沈黙。
ティラナは机に置かれていた銀の髪留めを見つめたまま、動かなかった。
微かに歯が鳴る。
あの名を、再び口にする者が出てきた。
それも、記録に命を吹き込もうとする記者たちの手で。
「あの二人は、どうしたの?」
「そのままテルミドールへ戻りました。記事にするものと思います」
「監査室に指示を。ストラス・ラザールを正式に監視下に置きなさい」
「はっ」
「それと……フロレアール図書館中央記録庫への進入路を封じる。正面も裏口も、すべて」
「了解しました」
部屋を出ていく部下の背を見送ることもなく、ティラナは一人、鏡の前に立った。
手にした銀の髪留めが、少しだけ震えていた。




