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白邸の跡にて

 翌日、朝日が完全に昇りきったヴァンデミエール旧市街。

 前王政時代には貴族街と呼ばれたその北西の一角に、三人は足を踏み入れていた。

 彼女たちは始発列車でヴァンデミエールへ。

 老女の証言とデイジーの記憶を頼りにここまで。


 街の地図には、”新ジェニエ区”とだけ記され、かつての通り名はない。

 まるで、最初から存在しなかったかのように、そこは”名前の消えた街路”であった。


「……ここが、老女の言っていた屋敷のあった場所か」


 ストラスが呟いた。いつもの軽さはない。

 その声は、何かを確かめるように沈んでいた。


 舗装の新しい石畳が延びる道。両脇に並ぶ無機質な灰色の官庁建物。

 だが、その中央……一本だけ、妙に古びた鉄柵が残されている一角があった。


「あれ……おかしくない?」


 アンダイエが指さす。

 柵の内側、草の伸びた区間に、小さな石柱がいくつか無造作に残っている。


「ここだけ再整備から外されてる……いや、避けられている」


 デイジーがノートを広げながら、声を落とす。


「この配置……中央に噴水があって、その周囲に庭木と導線……邸宅の跡に間違いないです。位置も合ってます」


「だけど建物は残っていない。壊されて、簡単に舗装されているな」


 ストラスがゆっくりと歩き、草むらに隠れた石の一つに手を置いた。

 それは、屋敷の門柱の土台だったのかもしれない。触れると、微かに赤茶けた塗装の痕が指先に移る。


「見て、これ……」


 アンダイエがしゃがみ込み、石柱の根本に残された金属片を指さした。

 それはさび付いた装飾板の破片で、剣のようなものが彫られていた。


「……折れてる。これ、紋章……じゃない?」


「たぶん。スゴンダ家の分家の印……”折れた剣と沈む星”の意匠です」


 デイジーの声が、わずかに震える。

 今この瞬間、記録から消された記憶が、現実として立ち上がった。


 アンダイエはそっとその金属片を持ち上げた。

 土と風と時間の匂いがする。触れた瞬間、胸の奥が、ぎゅっと締め付けられた。


「……誰かが、ここに生きていた」


 アンダイエは小さく呟いた。


「記録には、もう何も残っていなくても」


 ストラスはそれを見つめながら、静かに言葉を重ねた。


「でも、痕跡は残る。こうして、誰かの手に届くように。……消しきることなんて、できないんだな」


 そのとき、ふと風が吹き抜けた。

 背後の木立がさわりと揺れて、一枚の紙切れが地面から舞い上がった。


「……紙?」


 アンダイエがそれを追って駆け寄る。草むらに引っかかった紙片を拾い上げると、それは薄く破れかけた、古い羊皮紙の一部だった。


「読める……?」


「少しだけ……文字は滲んでるけど、”夜明けが来る前に、あなたの声が残っていることを願う”って……」


 アンダイエはそれを、まるで遺された声のように胸に抱いた。


 遠くで鐘の音が鳴った。ヴァンデミエールの時計塔が、十二時を告げている。


「……ここは、本当にあった場所なんだね」


「それを、あたしたちはこれから記す。記事としてーー記憶として」


 ストラスが小さく、しかし確かな声で言った。


 そして三人は、かつて”白邸”と呼ばれたその跡地に立ち尽くす。

 記録されなかった空白を、もう一度、光の中に引き戻すために。

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