表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

43/70

沈黙の回廊

 あの頃のあたしは、まだ”正しさ”に酔っていた。

 王宮保衛室ーー

 その名を口にする者は少なかったし、それを知っている者は、もっと少なかった。

 けれど、あたし達は確かにいた。ヴァンデミエールの宮殿の北棟、その地下に連なる記録の回廊。

 重厚な鋼鉄の扉の奥で、あたしは”誰かの存在を保つ”ために、そして時に”誰かの存在を消す”ために、ペンを走らせていた。


 記録係、査問係、修正係。

 王宮保衛室は清濁すべてを飲み込む”沈黙の職場”だった。


 あたしは、ストラス・ラザール。

 当時はまだ、名誉に飢えていた。

 貧民街の生まれでもない。けれど貴族のような出自でもない。

 ”選ばれなかった人間”が、実力だけで王政の深奥に足を踏み入れた。それが、誇りだった。


「記録に誤りあり。第二副査、お前が確認しろ」


 先輩に手渡された一通の報告書。

 内容は些細なもの……一人の令嬢の外出許可が”宵の鐘の後”になっている。

 ただ、それだけ。

 けれど王政において、令嬢とは政治的装置であり、失敗すれば”破滅の兆候”と記されることもある。


 あたしは、疑わなかった。

 自分の目と耳と記録帳、それだけを信じていた。


 それの令嬢ーー

 ああ、名前は今でもふとすると口から出そうになる。

 けえどそれは許されない。

 ”ダムナティオ・メモリアエ”ーー記録の破壊のとおり、その対象となった者の名を記すことは、記録係にあるまじき反逆。


 あの子は、正しかった。

 このあたしにとって、真実よりも、人間としての尊厳を教えてくれた唯一の人だったかもしれない。


「記録係は、感情を持つな」


「命令が正義だ」


「ペンは剣よりも強く、血を流さずに処刑する」


 誰かがそう言っていた。

 あたしもそう思っていた。

 けれどーー


 最後に彼女を見たとき、彼女は笑っていた。

 ほんの小さく、あきらめたように。

 その笑みが、あたしの胸を抉った。


 王室保衛室の制服は、重かった。

 勲章も記録証も、名誉の証ではなく、罪の重みだった。


 あれからあたしは逃げた。

 命令を遂行した直後、すべての記録を焼却し、整理し、認印を押し終えた後ーー

 辞表だけを、上官の机の上に残して。


 誰もあたしを引き留めなかった。

 なぜなら、あたしは”何も知らない記録係”だったから。


 けれどあたしだけは知っている。

 彼女の名を。

 彼女の目を。

 彼女の最後の笑顔を。


 それを抱えたまま、あたしは今、テルミドールで記事を書いている。

 記すことで、残すことで、かつて消した何かを償うように。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ