"To Be Written"(書き残される者)
私はこの日、テルミドールへ来ていた。この後に、大統領と面会をするために。
政庁区を抜ける石畳の通りに、冷たい風が走った。
空は鉛色で、どこまでも沈んでいる。
その中で、私は見つけてしまった。
ストラス・ラザール記者と……アンダイエの姿を。
二人の後ろ姿は、どこかで見たような舞台みたいに、どこか眩しかった。
さらに、あの女ーーコルマール・ジュスト委員が口火を切った。
私は眉一つ動かさず、その成り行きを見つめていた。
(余計なことを……)
そして彼女は、言ってはならないことを言った。
「かつては同じ場所に居たのにね。様々な記録を改竄し、削除していた”元王室保衛室”のストラス・ラザールさん」
その瞬間、彼女の怒りが爆ぜる。
彼女のその目に宿る激情に、私が知っていた冷静な記者の面影はなかった。
「コルマール・ジュスト! アンダイエの前で言うな!」
だから、私は静かに、しかし確実に声を発した。
「おやめなさい。三流の記者風情が」
思った以上に言葉は冷たくて、氷のように通りを裂いた。
ジュスト委員が顔をこちらに向け、瞬時に態度を変える。
「スゴンダ委員、申し訳ありません。みっともない所を見せまして」
私は、ラザール記者に目を向けた。
「ラザール記者、こんな場所で騒ぎを起こさないでくださいます?」
「……はい。申し訳ありません」
彼女が素直に謝ったことに、私は少しだけ驚いた。
「ジュスト委員、とりあえずこの方達と話がありますので、お行きなさい」
「了解です」
ジュスト委員は通りを去る。
ラザール記者は追おうとしなかった。
その視線が、今は私に向いていた。
まだ面会までは時間がある。
だからまたアンダイエと話したくなった。
(あの時と……同じだわね)
目が合った。
懐かしいようで、見知らぬようでーー。
でも私は笑わなかった。あくまで、仮面のまま、彼女に向き合う。
「……久しぶり」
「あなたも居たのね」
「うん……」
ほんの一歩、彼女が前に出た。
気まずそうにしていたけれど、私はなにも言わない。
すると、ストラスが一歩下がり、私とアンダイエをふたりきりにした。
数秒の静寂が流れた後、私は微笑む。
「相変わらず、三流の記者をしているのね」
「そうだよ。でも、保衛委員会によって自由に記事は出せないけれど」
「ですが、それが委員会の仕事ですわ」
私の笑みには、嘲りと自嘲入り交じった色があった。
この仮面をつけ続けるしかない私自身への、ほんの皮肉。
「保衛委員会の一員になったんだね。すごいな」
「そうですわ、今のわたくしにはアンダイエの記事も簡単に差し止められますわよ。特にわたくしを悪役令嬢として批判するような記事をね」
(皮肉でも、どうせ書くでしょう? あなたなら)
「ねえ、トリエステ。あなたは今も、悪役令嬢として書かれたいの?」
唐突に、核心を突かれた。
(……やっぱり気づいていたのね、あなたも)
でも私は微笑を保ったまま、答える。
「その言い方、語弊がありますわ。わたくしはわたくしが思っている正しい事をしていますの」
「正しいこと……それを最後までするつもり?」
「ええ。舞台の終わりまで、破滅の時まで私は演じるのですわ」
それが、私の存在理由。
観客がいる限り、私はこの役を降りることはできない。
仮面を外した瞬間、呉羽は消えてしまう。
「トリエステ……あなたはずっとずっと、”書かれてしまう側”じゃない。わたしも”悪役令嬢”としてのトリエステをずっと書きたくない」
アンダイエの言葉は、まるでかつての時をなぞるようだった。
胸の奥が少しだけ揺れた。
けれど私は、顔に出さない
「書かなければ良いだけの話では? わたくしを書いてくださる、誰かなんて絶対にいるはずですわ」
「そんなの……今のヴァルミュルブールに居ると思うの? 仮に書いたって、消されてしまうかもしれない。自分自身ごと」
居ないと言いたいんだ、アンダイエは。
(……それでも)
「まあ、そうですわね」
山の向こうを見ているような気分だった。
仮面の隙間から、一瞬だけため息が漏れそうになった。
「もう悪役令嬢の仮面なんて外して。本当のトリエステを……」
「……呉羽が完全に壊れても良いのかしら? 私は同じ時を……」
「えっ?」
アンダイエの戸惑いに、口が滑る。
「同じ時を……繰り返しているのよ。あなたが私にそう言ってくれるたびに、私は終わり、そしてまた始まる」
一度滑ってしまえば、止まらない。次々と言葉が出てきてしまう。
「私は……花堂呉羽。トリエステなんかじゃない、これは”仮面”なのよ
……」
何回も言ってしまったかもしれない、完全な失言。
言った瞬間、空気が震えた。
「でも、仮面を外したら呉羽ごと壊れて消える。だから私はずっと”悪役令嬢”でしかいられない。……何度繰り返しても、私の役割は変わらないのよ」
「それって……あっ」
アンダイエの続きの言葉は出てこなかった。
なぜなら、どこからか放たれた銃弾が頭を貫通したから。
その場に崩れて、動かなくなってしまった。
「あ、アンダイエ!?」
「どうして……」
私は抱き抱えて、揺する。
でも反応せず、息もしていない。
周りを見てみると、ジュスト委員がアンダイエを撃ったのが分かった。
こんなのって……
「スゴンダ! よくもお前は……!」
さっきと同じように、ラザール記者は冷静さを完全に喪失し、私に駆け寄った。
そして、私の首を絞めてくる。
「あ……」
一瞬抵抗したけれども、諦めた。
だってアンダイエを破滅させた報いなのだから。
苦しいけれども、このまま。
意識が薄れていって、目の前が真っ暗になった。
ああ、これで何度目かしら。
「もう悪役令嬢の仮面なんて外して。本当のトリエステを……」
時が戻った。
でも、このまま仮面をほんの少しでも外れてしまえば、私は破滅する。彼女ごと。
「同じ時を繰り返したとしても、わたくしは悪役令嬢のトリエステ・スゴンダのまま。今のわたくしが保衛委員であっても、スケープゴートであっても」
(この役を降りた時、何が残るというの?)
「……それでいいの?」
「ええ。書きなさい、アンダイエ・シュティ記者。これからもずっとずっと。わたくしが悪役令嬢として、あなたたちに妨害をしたとしても」
「……うん」
彼女の返事は、泣きそうなほど優しかった。
だけど私は、それを受け取れない。
「で、可能ならわたくしの最期に、”トリエステ・スゴンダは、役を演じきった”と書き残してほしいわ。一行で良いからあなたの言葉で」
そうしてくれたら、私が役を演じた意味が、少しだけでもあるのだから。
「……わたしの手帳はまだままページが余っているけれど、その時には最後のページに書くから」
「それでいいわ。書きなさい」
冷たい風が再び吹いた。
けれど少しだけ、あたたかかった。
「さてと、そろそろ戻ろう」
「うん……」
ラザール記者がアンダイエの手を引く。
私は、ふたりが背を向けるのを見届ける。
あんなに姉妹みたいな感じになっているなんて。ちょっと妬けちゃうな。
だからこそ、彼女を守らないと。
「時間はまだまだあるわ、アンダイエ」
「そっちこそ、トリエステの時間だってちゃんと続いているから」
アンダイエ、そう言ってくれて、ありがとう。
私は、仮面のまま、大統領官邸へと歩き出した。
そろそろ面会の時間だから。
(さて、私の時間は……舞台の終幕まで、きっと)




