表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

38/70

記録保全法の採決 トリエステの選択

 ニヴォーズにある議事堂の高い天窓から、初冬の薄曇りが差し込んでいた。

 祝典の次の日に、私は議会の貴族傍聴席の最上段に座っていた。


 今日、貴族院にて『記録保全法』の採択が行われる。

 私はそのために王政派の代表として、呼ばれたのであった。

 いえ、一度は貴族院で可決された。でも、平民が代表となる代議院では否決されている。

 そのため貴族院で、この法案を再可決させようとしていた。

 ヴァルミュルブールでは、片方が可決してもう片方が否決した場合、もう一度採決をして、三分の二以上の賛成があれば議会を通過できる。ただ、大統領の署名が必須らしいけれど。

 王政派の立場として私は当然『再可決支持』を表明するべき。

 だが今の私は、それを選べなかった。


(……あのまま可決させれば、私は役割を守れる。でも……)


 この法は、報道という分野における統制を強化するようなもの。

 それに、舞台そのものを強固にする法でもある。

 記録の全てを定義し、曖昧さを消し、役割をさらに固定していく。

 これが通れば、私はもう二度と”私”には戻れない気がしていた。

 いや、それ以前にアンダイエすらも……演じる観客として縛りつけられる。


(それだけは……)


 私の示した立場はーー”否決”に動くこと。

 貴族の一部を説得し、王政派の表を分裂させた。


 まさにこの一手が、世界にさざ波を起こした。


(ーー採決の結果、再可決に必要な賛成に満たないため、記録保全法は廃案となります)


 採決は紛糾した。

 結局、記録保全法はわずかではあるがどう解釈しても三分の二に満たず、否決となった。


 議会が散会し、私は廊下を歩いていた。

 足取りは軽く、けれど胸の奥には奇妙な違和感が渦巻いていた。


(これでよかったの? これでアンダイエも舞台も自由になるの?)


 そんな希望のような、錯覚のような感情。

 だがーー


 ポケットの中の魔法石は、いつの間にか赤く光り始めていた。


(……やはり、崩れ始めているのね)


 でもすぐには破滅していない。こういったのは、時々あったけれども。

 結局は、時間が経って破滅する。




 二日後……

 『熱月の風』の紙面にとある記事が掲載されていた。


『幻の宮廷ーー祝典の奥で踊る”役割の令嬢” 記:アンダイエ・シュティ』


 私は手元の紙面を見つめた。

 震えが止まらなかった。


(……これが、あなたから見えたものなのね)


 記事は鋭かった。

 私の”悪役令嬢”としての振る舞いの奥にある矛盾と、舞台そのものの異様さを滲ませて描いていた。


 美しく、それでいて恐ろしい記録。

 まるでーー

 この世界の『舞台構造』を抉るかのようだった。




「トリエステ・スゴンダ、現体制を崩壊させようとした、国家反逆罪で逮捕する!」


 その数日後、私は当局に逮捕される。

 国家反逆罪だけではなく、汚職に関わったなど、様々な罪状で。


 私は簡単な取り調べの後に、拘留室に入れられた。何回かこんな事はあるから、そこまで驚きはない。

 入れられてから少しして、重く閉められた鉄の扉が開かれる。

 目の前に現れたのは、ティラナ・アレグリアだった。

 黒紫のドレスが囁くように揺れる。


「随分と、盛大にやってくださったわね」


「ティラナ……」


「記録保全法を完全な廃案に導くなんて、あれは完全に逸脱行為ですわよ。あなた、もう戻れないわね」


 私は何も返せずに、うつむいた。


「貴女に関する記事、読みましたわ。あの『幻の宮廷』……綺麗な文章でしたわね、まるで記録の層に最後の傷跡を刻むようで」


 あの記事は、アンダイエが書いたもの。

 私の存在を、美しくも残酷に描き出してくれていた。


「彼女は、あなたのために書いたのでしょう。でも皮肉ね。あの記事が出たからこそ、保衛委員会……いえ、王宮保衛室は”逸脱”を公式に断罪できたのだから」


「……アンダイエは悪くない。すべて、私が……私が勝手にやったこと」


 そう。私が可決すべき法案を否決へ導いた。その選択こそが、世界の舞台を揺るがした。


 ティラナは歩み寄り、私の目の前に立つ。


「貴女ね……ここまで壊すならば、せめて”誰か”を巻き添えにしても良かったのよ。何回もしてきたように」


「……っ!」


「アンダイエ・シュティを人質に使えば、今ごろ当局も王宮保衛室も動けなかった。そうすれば貴女はもっと自由に選べた」


「そんなこと、できるはずが……ないわ……!」


 私は小さく叫んだ。

 彼女だけは絶対に巻き込みたくなかった。

 それが私の、最後の”呉羽”としての意思だった。


 ティラナはふぅっと息を吐く。

 まるで今にも終幕を告げる舞台監督のように。


「けれど、終わりは避けられないですわ。舞台は整合性を欲します。秩序を乱した役者は、修正される運命にある」


 沈黙。

 そして、最後の問いかけ。


「貴女はーー次に時間が戻った時、どう振る舞いますか?」


「…………」


 私は目を閉じた。

 魔法石が時間をループさせるその時に、私は……。


「……次は可決させるようにするわ」


「よろしいわ」


 ティラナはそう言って帰って行った。


「うっ……」


 少しして、私は処刑させられた。

 アンダイエも見ていて、最期に見えたその表情は暗いものであった。




「お嬢様、本日の議会準備は整っております)


 カトリーヌの声が響く。


 目を覚ましたら、記録保全法の採決の日に戻っていた。

 魔法石は青く光っていて、はっきりと戻ったのが分かる。


 今度こそ、私は決めていた。


(……可決させる。アンダイエを、消させないために)


 ゆっくりと、私は笑みを作った。


「ええ……準備を始めましょう」




 議事堂の朝は重たく、どこか粘るような空気が流れていた。


 私は王政派として貴族傍聴席に座って、手袋越しの指先をわずかに握りしめる。

 白く光る魔法石は、今も胸元で脈打つように淡く光っている。


(今度は……正しく、舞台を進める)


 記録保全法ーー

 この法案が再可決されることで、私は悪役令嬢の舞台に縛られ続けるだろう。

 けれど、それによって舞台そのものは壊れない。アンダイエも残される。


(アンダイエ……あなたを、今度は消させない)


 議長の声が響く。


「ーーただいまより記録保全法の採決を行います)


 貴族院議員のあちらこちらで視線が交錯する。

 王政派の重鎮達が小さく頷くのを、私は確認した。

 今度は、分裂はない。私はそのように仕向けたのだから。


 投票は粛々と進められた。


「……再可決に必要な三分の二以上の賛成がありました。これを以て本法は成立と認めます」


 議場が静かにざわめく。


 私はそれを見ても微笑を崩さずに一礼した。

 隣席の貴族達が「さすがスゴンダ嬢」と讃える声が耳に入ってくる。



 議事堂の外に出た時、空はすでに午後の色へと変わっていた。

 私は馬車に乗り込む前に、カトリーヌの小声を聞いた。


「お嬢様……今回の動き、見事でございました」


「ええ。すべて、”わたくし”の役割のままに」


 口元だけが微笑を浮かべる。

 けれど胸の奥には、僅かな痛みが残っていた。

 白い魔法石は、冷たく穏やかに輝いている。




 その夜遅くーー


 私は書斎でそっと封筒を取り出した。

 女王陛下に預けた詩文の控え。

 これは、いずれアンダイエに渡るはずの”最後の鍵”。


(その時がくるまでは、私は役を守り続ける)


 仮面を被り続けたまま。

 私はそっと微笑む。


「さて……舞台は、まだ終わらないわ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ