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終わりの時に開かれる封筒

 ヴァンデミエール女学院祝典の数日前、私は王宮へと向かう馬車の中にいた。


 カーテンの隙間から終わろうとしている秋の淡い光が、膝の上に置いた封筒を照らしている。

 この封筒の中には、まだ開けられていない、けれどずっと私の中で熟成されてきた”言葉”がある。

 それは私自身の詩。

 最期に開いてほしい、そう願って。


 カトリーヌは何も言わず、ただ静かに横で座っていた。

 彼女の視線は、まるで舞台監督のように私の所作を細かく見守っている。


 王宮の侍従が門を開け、私は静かに降り立つ。

 柔らかな赤絨毯の上を歩き、案内されるまま、公式の謁見室へ通された。


 そこにーー


 ヴァルミュルブール国女王、カタリナ・ル・ヴァルディーヌ陛下がいらした。


「ようこそ、トリエステ・スゴンダ嬢」


 その声は穏やかで、それでいて全てを見透かすような冷静さを孕んでいた。

 私は深く一礼する。


「恐れ多くも、お呼びいただき光栄に存じます、陛下」


「リュカとの仲はどうでしょう? 息子の婚約者として」


 私はリュカ王子との婚約者になっている。

 時々話したりしているけれども、悪くない。

 だからこそ、私自身簡単に謁見出来るような立場でもあった。


「ええ。良好です」


「良かった。今度のヴァンデミエール女学院の式典においては、リュカと踊ると聴きましたが、どうでしょう?」


 祝典においては、私とリュカ王子が踊ることになっている。

 話題性などから、一番の目玉になるかもしれない。


「勿論、リュカ王子に恥をかかせないため、完璧に踊って見せますわ」


「期待しております。私は直接見ることは叶いませんが、様子はイザベラ達からお聞きしますので、楽しみにしています」


「光栄です」


「さて、形式的なものはここまでにしましょう。今日は公務ではありませんから、私は”読者”として、あなたの話を聞きたいのです」


 私は少しだけ目を伏せた。


(読者……記事は既に届いている)


 カタリナ陛下の前に立つと、あの仮面のままではいられない。

 でも、”私”のままでもいられない。

 絶妙な揺らぎの中で、私は言葉を選ぶ。


「わたくしの動向に……何か不手際がございましたでしょうか?」


「いいえ、むしろ見事です。貴族社会が欲する”悪役令嬢”としての立ち振る舞いを、貴女は完璧に演じていらっしゃる」


(演じている……やはり、わかっているのね)


 私の胸の奥で、ふっと小さな針が刺さるような痛みが走った。


「ですが貴女自身は、性格や立場によって”動いている”のではなく、その役を”演じている”と認識しているのですわね?」


 陛下の問いに、私は一瞬言葉が詰まった。


「……ええ、合っていますわ。舞台が求める”悪役令嬢”として、振る舞うのが私の務めですもの」


「それは自ら望んで?」


「……少なくとも、望まれております」


 私は微笑んだ。

 それが苦しいほどに整った笑みであることを自覚しながら。


「ーーもし、貴女がこの演技をするのを止めたら?」


 陛下の声が静かに深く染み入る。


「……舞台が崩れるでしょう」


「誰が崩すのですか?」


「……世界が。いえ、物語そのものが」


 ほんの一瞬、私は”呉羽”を出しそうになった。

 でも、白く光る魔法石がポケットの中で静かに私を縛り戻す。

 私はトリエステ・スゴンダなのだと。


「だから、ずっと演じると?」


 陛下が微笑みながら問いかける。


「はい。陛下、わたくしは役割に徹します。ですが……」


 ゆっくりと、袖の内側から一通の封筒を取り出す。

 極めて上質な羊皮紙に、私の筆跡で詩を書き記したもの。


「これを、陛下にお預けたく存じます」


「私が見てもいいものなのでしょうか?」


「いいえ。わたくしからは直接渡せないので、陛下がその方とお会いする機会があれば、お渡ししてほしいのです」


 下手をしたら陛下を郵便係にでもしているようなもの。

 ただ身分を考えたら、目にする事すら出来ないかもしれないけれども……

 でも、あの人には絶対に渡せないから、こうするしかない。


「そして、いつか必要な方の手に届く時が訪れたのなら……」


 陛下は、黙ってそれを受け取った。

 封筒を撫でる指が、ほんのわずかに止まる。


「……”終わりの時に開かれるべきもの”と伝えれば良いのですね」


「はい。愚かな遺書かもしれませんわ。けれど、記録に残していただきたく……」


 私は頭を下げたまま、わずかに震えていた。

 ”私”と”わたくし”の間で千切れそうになりながらも。


 陛下は優しく囁いた。


「貴女はまだ、壊れていない。ーーそれだけで十分です」


 私は震えた唇を引き結び、再び笑みを作った。


「陛下のご厚意、感謝いたしますわ」


 封筒は、カタリナの手の中に収まった。

 やがて陛下は静かに告げる。


「この封筒はその方とお会いするまで、私が預かりましょう。貴女がその方の名を言わずとも、おそらく貴女も私も、一人しか候補はいませんでしょうから」


「ありがとうございます」


 私は深く一礼し、謁見室を出る。

 

(アンダイエ……どうか。いつか、あなたの手に届く時が来ますように)


 王宮の前に停めてあった馬車に乗り込んで、私は王宮を後にした。カーテンの隙間から差し込む光は、少しだけ柔らかく感じられた。


(また、”わたくし”として演じ切る時間が始まるわ)


 魔法石は白く静かに光り続けているーー

 けれど、ほんの一瞬、ピンク色に揺らいだような気がした。

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