演じきれない、私
「お嬢様、着きました」
スゴンダ邸に着いたら、私はとても疲れが出てきていた。
カトリーヌの声にも私はただ頷くだけ。
馬車を降りて、屋敷の中へ。
使用人たちが一礼しているけれども、私は無表情で通り過ぎた。
部屋に戻ってからも、ただベッドで横になるだけ。
少々疲れが取れても私はどうでも良かった。
食事の献立も、予定された謁見も、貴族としての公務もーーすべて『自分には関係ない』とばかりに曖昧に返した。
「お嬢様、民権派の新興令嬢からお手紙が。新年舞踏会の事前挨拶かと……」
「……後で返しておいて」
「ですが、お嬢様ーー」
「いいから」
どうでも良い、そう思いながら。
石は淡いピンクをしていた。初めてみるけれど、何なのかな。
大丈夫でしょう。
そして……新年舞踏会の日。
私は何も言わないし、誰とも関わらない。
他の令嬢たちがそれぞれ立ち回る中、私は何も口を開かなかった。ドレスをまとい、ただ微笑みだけを張り付けて。
誰かに話しかけられても、『ええ』とだけ答えて、その場を去る。
それだけ。
だって、私にはわからなかった。
わからなくなった。
夢だと思っていたのに、二回も死んで。普通だったら、それで目を覚ますはず。
なのに”現実”と言わんばかりに、トリエステ・スゴンダであることを強制されている。
そして、ここがどこかも。なぜ私があのゲームの世界みたくこの屋敷で暮らしているのかも、何もかも分からないまま、物語だけが勝手に進んでいた。
石は赤く光っている。
だったら、止まればいい。
すぐに考えた結論がそれだった。
私が動かなければ、きっとこの物語も止まるはずだと、そう思った。
でもーー止まったのは私だけだった。
舞踏会から三日後の夜だった。
カトリーヌが珍しく私の部屋に来なかった夜。廊下も静かで、屋敷全体が妙に冷えていた。
赤く光っている石は暖かさを出していない。
ふと鏡を見てみた。
そこには、私ではない”わたくし”が映っていた。
「貴女が動かないのなら、物語が進まないじゃない」
鏡の中の”トリエステ”が、そう言った。
まるで私を演じる”代役”のように、美しくでも空虚な目で私を見ていた。
「だから、貴女はここで終わるの。ちゃんと役を果たさなかった、貴女のままで」
怖くて鏡から目を背ける。
でも気づいた時には、無理矢理拘束されて廊下に引きずり出された。
召使いも、執事も、誰一人として助けようとはしない。
ただ静かに、私を引き渡していく。まるで”処理”のように。
「ヴァルミュルブール王宮法に基づき、貴女は貴族としての使命を放棄し、国益に反した」
「そんな法律、知らない……」
私はフロレアールという街の最高裁判所で裁かれた。弁護してくれる人は居たが形だけで、判決は決まっていた。
そして首が飛んだ。
また、目を覚ます。
あの石が青く光っていて、私はまたヴァンデミエールの屋敷に居る。
そしてカトリーヌが部屋のドアをノックして言う。
「お嬢様、新年舞踏会の準備をーー」
石はいつの間にか、淡いピンク色に光っていた。何でこの石はこんなにも色を変えるのだろうか。
疑問に持ちながらも分からないまま私は、舞踏会へと向かった。
シャンデリアが放つ金色の光が、天井の鏡に何重にも映っていた。
まるで、それが”選択”を試す審判の目のように思えてならなかった。
足元には絹と宝石の海。嗅ぎ慣れた香水と花の香りが渦巻き、仮面舞踏会で、誰もが本音を隠して笑っていた。
ーーそして、私はその舞台の”悪役”として、立たされているはずだった。
「……ようこそ。お会いできて嬉しいわ、ティエール令嬢」
平民出身の新興令嬢、ミュールズ・ティエール。
私は彼女に手を差し出した。自分でも驚くくらい、自然に。
彼女は私の視線を真正面に受け止めて、そしてわずかに戸惑った。
「あなたが……そのように仰るとは、驚きです」
「昔の私なら、ね。でも今は違うの。あなたの立場も、志も、理解しようと思って」
私は優しく微笑む。
「……戯れですか?」
「いいえ。本心よ」
その瞬間、空気が凍った。
視線が集まって、周りの笑みが消える。
まるで、舞台が崩れたかのような沈黙が会場全体を覆っていた。
やがて、背後から年老いた声が突き刺さるように響いた。
「スゴンダ嬢、今の発言、貴族の品位に関わりますが……?」
私は振り返らずに答えた。
「ただ……私は誤解を解きたかっただけ。正しいとか間違いとかではなく、ただ、歩み寄りたかったのです」
「それが侮辱になるのだ。言葉の重みを知れ」
冷たい刃のような言葉だった。
私の手が、ミュールズの手に触れる前に、何かに引き裂かれた。
彼女は、何も言わなかった。
ただ黙って視線を伏せ、私に背を向けた。
その姿に、私の胸の奥がひどく冷たくなっていった。
舞踏会が終わり、私はカトリーヌの手に引かれて馬車へと乗り込んだ。
カトリーヌから何も言われなかった。
誰からもそれ以上問いただされることも、叱責も、哀れみすらなかった。
ただ、私の手はきつく握られたまま、私の屋敷へと戻った。
寝室に着いた時、魔法石は赤く光っていた。
「……やっぱり、間違いだったのかしら」
私はレースの手袋をそっと外して、石を手のひらに乗せる。
「ねえ、”わたくし”だったら、どうしていたと思う?」
呟くと、誰もいない部屋の空気が少しだけ揺れた気がした。
あの手を取っても、何も変わらなかった。
優しさを選んでも救われなかった。
それでも私は、あれでよかったと思っていた。
そして、気分を落ち着かせるために机の上に置いてあった水を飲む。
「ぐはっ……」
少しして、苦しくなって私は口から血を吐いた。
ドレスが赤く染まり、痛みや苦しさで私が私でなくなるような気分。
そして、その場に倒れて意識が飛んでいく。
また、目を覚ます。
あの石が青く光っていて、私はまたヴァンデミエールの屋敷に居る。
そしてカトリーヌが部屋のドアをノックして言う。
「お嬢様、新年舞踏会の準備をーー」
石はいつの間にか、淡いピンク色に光っていた。
私、今度は動けるのだろうか?
もしまた沈黙を選べば、また”物語”が私を破滅に導くだろう。
けれど、動けば私は……”悪役令嬢”として振る舞わなければならない。
そんな役を全う出来るのか?
私は……わたくしは、誰なの?
花堂呉羽? それとも、トリエステ・スゴンダ?