気がついたら見知らぬ通り
「ま、松明……よね?」
石畳の通り、石造りの建物、葡萄模様の街灯。少し先には時計塔だって見える。
明らかに二人が住んでいた街とは違っている。下手をしたら時代だって違うだろう。
「お姉ちゃん……だよね?」
松明の姿は完全な成人女性。声は既に女性の声になっていた。
だが、その目は明らかに松明のものだって感じさせたもの。
「うん……」
呉羽自身も違っているというのが分かった。
自分の手に何かが巻き付くような違和感。
手や腕を見てみると、指先まで繊細につくられたであろうレースの手袋。呉羽はこのような手袋は買ったこともないし、手にしたこともない。
また服はどう見たって高額であろうドレス。
鏡を見てみたかったが、肌の感触と重心がさっきまでと変わっている。
「ここはどこなんだろう……」
「ううん、知らない。まるで異世界モノで見るような光景……」
「そうかもしれない。お姉ちゃんの姿、あのゲームの悪役令嬢そっくり」
松明は呉羽の姿を見て、あることに気がついた。
「えっ!? そういう、ま……まつあき? だって、あのラノベのモブだよ?」」
「そうなの? もしかして……」
と、通りを吹き抜けるかのように風が吹いた。
まるで声をかき消すかのように。
「きゃっ!?」
「うわっ!? おね……と、トリエステ?」
「貴女はまつあ……あ……アンダイエ・シュティなの?」
この風は今までの”姉”と”弟”という関係の境界線を緩ませてしまった。
その姿としてのキャラに引っ張られていく二人。
と、声がする。知らない女性の声。
「トリエステお嬢様、こちらに。ここは危険です」
やってきたのは、メイド服姿の凛とした金髪の女性。
明らかに呉羽へ呼びかけているようだ。
「えっと……カトリーヌ・ウディネね」
「あちらに馬車を回しましたので、行きましょう」
呉羽は何故か彼女を見ただけで、名前を思い出す。いや、もう彼女はその立場に変わったのだ。
花堂呉羽から、トリエステ・スゴンダに。
「助かるわ」
カトリーヌの手を取って、歩きだそうとするトリエステ。
「と、とり……お、お姉ちゃん……?」
居なくなろうとしたトリエステへ手を伸ばす、松明。
だがカトリーヌは掴んでそれ以上動けないようにした。
「無礼者。トリエステお嬢様へ何をしようしているです」
「で、でも……ぼくのお姉ちゃん……」
「知りませんわ」
トリエステは松明が弟であった事を否定した。
「えっ……」
「虚言を言って近づこうとするなら、すぐに当局を呼びます」
松明はカトリーヌの脅しで、何も言う事が出来なかった。
二人は通りの出口へと向かって行ってしまった。様々なショックで追いかける事も出来ずに、その場で動けずに居る松明。
「うう……」
この瞬間、松明はこの街で頼る手段もなく、孤立した。
土地勘もないため、ただその場にへたり込む。涙を流して時が過ぎるだけの松明。
「ぐすっ……どうすればいいんだろう……」
「おい君、大丈夫か?」
少しして松明に声をかける声。
そこには今の松明よりも背が低い、黒髪のボーイッシュな女性が。キャスケット帽にジャケット、バルーンパンツといった服装で色を茶色系にした、新聞記者みたいな感じを見せる。
「だ、誰……?」
「あたし? あたしは、ストラス・ラザールだ。この街の新聞社の記者をしている」
「そう……なんだ……」
「で、君の名前は? 訊いたからには答えてもらおう」
「えっと……ま、ま……」
松明は名前を言おうとしたが、何故か別の名前が浮かび、”花堂松明”という名前が薄れていく。
「ママ?」
「ううん。……アンダイエ・シュティ」
やがて口から出てきたのは、浮かんだ名前であった。
それはあのライトノベルで出てきた登場人物の名前。今や姿がうり二つなっているモブの名前。
「そうか。アンダイエっていうのか」
「うん……」
「分かった、アンダイエ。だがここに女性一人で不安そうにしているのはマズいから、とりあえずあたしの新聞社へ行こう」
松明はコクンと頷いて、ストラスと歩いていく。
既に花堂松明という名前ではなく、自身はアンダイエ・シュティという名前を認識していた。
違和感も混乱もなく、自身は受け入れる。
異世界に転移した松明は、アンダイエ・シュティとなった。
かつて”姉弟”だった二人の姿は、それぞれ別の”物語の登場人物”として、飲み込まれていった。