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書く者と消す者の再会

 次の日、ヴァルミュルブールの空は曇っていた。

 ただ昨日とは違った事が、起ころうとしている。

 新聞が配達されるはずの時間になっても、『熱月の風』は街頭のスタンドには並んでいなかったからだ。


 新聞社の編集室では、アンダイエとストラスが一面に載せる予定だった原稿の刷り上がりを前に、立ち尽くしていた。


「……不許可だって!?」


 主筆が届いた紙を差し出した。

 そこには、『記事修正命令。検閲補正項目付属記録第27号』という朱色のスタンプ。


「第一報の見出しすら、ダメなのか……?」


 アンダイエは紙の下にある、保衛委員会に届けた原稿を見る。

 見出し『仮面の演説と沈黙する記者たち』の記事に、赤いインクでの修正指示が容赦なく引かれていた。


 ・『仮面の演説』→『市民向け公開声明』に変更指示

 ・『沈黙する記者たち』→『国民の冷静な受容』への改変案

 ・本文のうち、『封書』『署名』『余白』という言葉には、それぞれ削除マーク(不自然な余白も禁止)


 ストラスが呟いた。


「……”余白”にまで検閲が入るとはね。書かれていないことに、怯えたのか」


「書いていないなら、大丈夫なはずなのにね」


 アンダイエは、そう言って修正指示の原稿を閉じる。


 だがすぐに、机の上のインク壷にペンを入れて、手帳に記事を書き込んだ。


『第二報(未掲載):沈黙したのは誰か』


 ・記録保全法の下、検閲された語彙の一覧

 ・修正指示のパターンと削除ロジック


「このまま出すことはできない。でも……書くことは止めない」


 アンダイエの声は小さいが、確かな熱を帯びていた。


「なあ、大統領の意図を訊こうか?」


 その様子を見て、ストラスは提案した。

 一瞬驚くが、その目は真剣である。


「訊きたい。でも、簡単に会えるもんじゃないでしょ」


「そうかもしれないな。だが、あの封筒を送った以上は、可能性は低くないと思う」


「分かった」




 テルミドールの政庁区、その中心部に大統領官邸がある。

 比較的新しい建物であるが、当時では最高と呼ばれた建築様式で建てられた芸術性のあるもの。


 その迎賓室にアンダイエとストラスが来たのは、記事を差し止められた翌日であった。

 天井には仄かに葡萄の蔓を模した彫刻が巡り、壁には歴代の署名帳と国章の写しが掛けられていた。


 アンダイエとストラスは、無言でその空間を見回していた。

 ほどなくして、ヴェネト・サランシュ大統領が現れた。


「待たせたな。『熱月の風』のお二人か……」


 黒いスーツに身を包んだその人は、やつれたようでいて、どこか余裕のある笑みを浮かべていた。だがその目は、疲弊の底にわずかに澄んだものを残している。


「はい、貴重なお時間をいただきありがとうございます」


「何を訊きたいんだね?」


 ヴェネトは一歩だけ近づき、テーブルの上に置かれたグラスに手を伸ばした。


「では記録保全法の署名について」


 ストラスが早速切り込む。


「記録保全法には、正式に署名した。大統領としての職責を全うした、それだけだ」


 その言い回しに、アンダイエの眉がわずかに動く。


「つまり、それが正しい選択だったと?」


 ヴェネトは、グラスを口に運ぶことなく、ただその中身を見つめていた。


「正しさは、時に記録に委ねられる。だが記録そのものが偏りを持つとき、君たちのような者たちが何を記し、何を残すか、それもまた一つの”答え”になるだろう」


 明言を避けるような、その静かな声音。


「では、あなたが直筆の私信を送った意図は?」


 アンダイエは話題を変えて訊く。


「意図、か……。あれは、記者に向けたものというより、筆を持つ者すべてにむけた一通の書簡だ。君たちは確実に読むと、思っていたがね」


 ヴェネトは表面的に返答をする。


「わざわざ?」


「ああ」


「ところで君たちは、覚悟はあるかね?」


 一枚の白紙をアンダイエに差し出した。


「これは”白紙の署名”だ。何を書くかは、そちらに任せよう。だが覚えておいてくれ。この国の掟を変えるのは、時に法ではなく、書かれざる一言だ」


 そして大統領の会談が終わった。

 部屋を後にする二人に向かって、彼は最後に言った。


「……記せ。たとえその記録が、今は火にくべられるとしても」




 官邸の重厚な扉が閉じる音が、背後に響いた。


 アンダイエとストラスは、沈黙のまま通りへと歩き出した。

 空は鈍色に曇り、冷たい風が書類の角をめくっていく。


「……あの人は、やっぱり”大統領”だったね」


 アンダイエが口を開いた。


「要するにただ”責務を果たした”と」


「うん。ヴェネトは、今は国家そのものだ。あれ以上は何も言えない」


 ストラスの口調は低く、どこか懐かしさすらにじんでいた。

 そして政庁区から抜けようとした時……


「久しぶり、ストラス」


 不意にかけられたその声に、ストラスは立ち止まった。

 声の主は、ダークグレーの外套をまとって、左胸に小さく徽章を留めた、アンダイエよりも年上の女性。


「コルマール・ジュスト……」


「まさか、『熱月の風』で記者をしているとはね」


 ストラスはわずかに眉を動かした。


「あなたはまだ”あそこ”に?」


「そうだね、今は保衛委員会の委員。まあ、本質は同じだけれども」


「やはりね」


 アンダイエは、二人の間に流れる空気の密度に、ただ黙って立っていた。


「行こう、これ以上関わると面倒だ」


「うん……」


 ストラスはアンダイエの腕を引き、その場を後にしようとする。

 昨日の差し止めをした場所の人だから、アンダイエにとってもイヤであった。


「ストラス、あんたは、まだ”書く”ということを信じているの?」


 その問いに、彼女は振り返らずに答えた。


「信じてる。書くことも、消されることも、どちらも生きている証だから」


「そう言えるのね。かつては同じ場所に居たのにね。様々な記録を改竄し、削除していた”元王宮保衛室”のストラス・ラザールさん」


 かつての役職を言った途端、ストラスは立ち止まった。


「コルマール・ジュスト! アンダイエの前で言うな!」


 今までに見せたことのないような怒りの表情で、コルマールにつかみかかろうとする。

 前の時には冷静に動いていたが、今のストラスは感情が勝っている。


「おやめなさい。三流の記者風情が」


 その声に振り返るストラス。コルマールは驚く様子も見せずに返事をする。


「スゴンダ委員、申し訳ありません。みっともない所を見せまして」


「トリエステ……!」


 そこには、トリエステ・スゴンダが立っていた。

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