サン・キュロット広場での演説
白い光が石畳を照らしていた。
サン・キュロット広場はすでに人で埋め尽くされていた。
政庁のバルコニーには、紅白の布が垂れ、中央には演説台。
旗がゆっくりと風に揺れ、広場の南側では衛兵が整列していた。
アンダイエはストラスと共に、群衆の中腹に立っていた。
彼女の手にはいつもの手帳。そして、首元には新しく貸与された『報道腕章』がある。
これもまた、彼女が書き手として”公式に見られている”という証なのだ。
やがて、広場にざわめきが走る。
演説台の奥から、ひときわ目を引く紫のドレスの女性が姿を現した。
ティラナ・アレグリア、仮面のごとき笑みを携えながら、整然と歩を進める。
その後ろから、黒に金糸の礼装を纏った男。首相のハバドゥール・サヴァルカール。
ティラナが演説台の前に立ち、やや顎を上げた。
「皆さま……本日は、わたくしの言葉に耳を傾けていただき、感謝申し上げます」
その声はよく通り、風すらも静まったように感じられた。
「ヴァルミュルブールは、王家の歴史と、民の力によって支えられてきました。そしてその間には、幾つもの記憶が記され、記録され、語り継がれてきたのです」
アンダイエは無意識に、胸元で手帳を握りしめる。
「ですがーー時に記録は、歪みます。事実を捨て、情念だけが残されたとき、記録は”毒”に変わるのです」
広場は少しざわついた。
ティラナは一歩、前に出る。
「かつて、王宮の扉の内側にいた者が、その”毒”を筆先に滲ませ、外へ漏らしたことがありました。名を呼ぶことは控えましょう。だが彼女の影は、未だに筆の間に潜み、真実を塗り替えようとしている」
観衆の一部が、記者席に視線を向けた。
「我々はそれを許しません。真実は、選ばれた記者によって、守られねばなりません。今後、王宮、三権、そして貴族の名に関わる記録においては、適切な審査が必要とされます」
そして、後方で控えていたハバドゥールが前に出る。
鋭い眼光を放ちながら、法令文の書かれた巻物を手にして……
「本日付けで、以下の内容を新法令として発布する。本法令は記録保全法とし、王宮・三権・高位貴族に関わる一切の報道・出版・記録行為に関して、事前の登録と審査を義務づける」
群衆が息を呑むが、徐々にざわめきが強くなってくる。
一部の記者たちが呟いた。「検閲だ」、「記者狩りだ」と。
「なお法の詳細は準備でき次第、各都市では本日夕方までに、地方においては明日中に各市庁舎にて掲示される。施行は、即時とする」
ハバドゥールが退くと、ティラナが最後に一言、付け加えた。
「わたくしたちは、記録に囚われません。記すべきものは、記されるべき姿をもって、選ばれるのです。そしてその選ばれた言葉こそが、ヴァルミュルブールの未来を築くのです」
彼女は笑った。
その笑みは、仮面としか形容できないほどに冷たく、美しかった。
演説が終わると、群衆の中に緊張が走った。
人々は何も言わず、ただその内容を胸に刻むようにして、広場を後にする。
「……記事、どうするつもりだ?」
ストラスが隣で問う。
アンダイエはしばらく答えず、ただ手帳を開く。
最新のページに、今日の日付を記した。
『白紙の掟ーー記録は選ばれた者のものとなり、選ばれぬ記者は沈黙を強いられる』
日付の下にその一行を書き込んだ。
彼女の筆先は震えていたが、止まらなかった。
『わたしはまだ、記すことをやめない。記さなければ、何も残らないから』