女学院での式典、ワルツと祝杯
式典の後半。
中庭から戻ったアンダイエは、観客席の一角に身を寄せて、手帳を開いた。筆記は続けているが、指が震えているのに気がついたのは、ページの行間に乱れた文字が並び始めてからだった。
(あれは、演技なのか。それとも……)
トリエステは記事になるような悪役令嬢としての発言や行動を行っていた。
そして、式典は華やかな舞へと進んでいく。
音楽隊が奏でるワルツ。女学院の生徒達は貴族や来賓と組み、順に舞踏の輪へと加わっていく。
そして、その中央に現れたのは、他の誰でもない。
トリエステ・スゴンダ。
背筋を伸ばし、赤いドレスの裾を翻しながら、彼女は完璧な所作で舞踏のリズムへと溶け込んでいく。
相手を務めるのは、ヴァルミュルブール王家の第二王子、リュカ。
トリエステの婚約者だ。
二人の組み合わせは、よりこの式典を彩るものであり、会場からも、期待と羨望の視線が注がれる。
しかし……
(目が笑っていない……)
そうアンダイエは思った。
演技としての完璧さ。だが、その眼差しにには、どこかしら”恐怖”に近いものがあるように見えた。
まるで、誰かに見られているとでも言うかのように。あるいは、”間違えば破滅する”とでもいうように。
だからこそ、より完璧に踊り続けていた。
ワルツが終わり、拍手が鳴り響く中、トリエステは優雅に一礼し、舞台から降りてきた。
アンダイエも拍手をして、周囲と合わせていく。
「さて、演目は続きますわ。次は祝杯よ」
日が傾き始めたヴァンデミエール女学院の庭園。
式典の最終章。祝杯の時間が訪れていた。
白いテーブルクロスに飾られた銀器と葡萄酒や葡萄ジュース。
貴族と来賓、生徒達が整然と並び、学院長の発声を待つ。
アンダイエは、報道の立場として隅に控えていた。
だが、視線は一人に釘付けだった。
トリエステ・スゴンダ。
彼女は学院長の隣、賓客の中央に立ち、赤いグラスを手にしている。
その姿は、まさしく”選ばれた令嬢”。
否ーー自らを”悪役”と名乗るために、その栄誉を演じきっているのだ。
「皆様、本日はこのように盛大な式典を迎えられましたこと、深く感謝を申し上げますわ」
トリエステの声音は落ち着いていた。だが、よく聞けば、完璧に調律された弦のように張りつめている。
「これより、学院の名誉ある伝統に従い、わたくしが祝杯の音頭を取らせていただきますわ」
沈黙が広がる。
「栄光と……その背にある責務に、敬意を表してーー乾杯!」
「乾杯!」
グラスが掲げられ、音を立ててぶつかり合う。
だが、トリエステのグラスは他と触れあうことなく、孤独に傾けられただけだった。
そしてトリエステの視線は、明らかにアンダイエに向かっていた。
周囲で会話が続く中、再びアンダイエの前に現れる。
「ご覧になったかしら。これが”わたくし”の役目ですわ」
「……あれは、あなたの”本当”ですか?」
アンダイエは問う。少しだけ声が震えている。
「本当、虚構、どちらでも構わないわ。どちらかを信じた瞬間に、”舞台”は崩れるのだから」
その言葉に、アンダイエは息を呑んだ。
アンダイエは言葉が出てこない。表情は強ばったまま。
「どっちがトリエステにとって正解なの?」
独裁者に問いかけるように、恐る恐る訊くアンダイエ。
「……そんな顔、しないで」
周囲で会話している声のボリュームが小さくなっていく。
そんな気がする。
「わたくしが悪役令嬢を演じているのは、役目だから。”そうあるべき”って、世界が望んでいるの」
「でも、それはあなたの意思じゃない」
アンダイエの声はかすかに震えていた。
「そうよ。私は……」
悪役令嬢の仮面に、ほんのわずかに”呉羽”の残響が混じったのかもしれない。アンダイエはその名前を思い出せなかったが。
「こんな……」
トリエステがほんの少しだけ泣きそうな声を出した瞬間、観客の声が聞こえなくなった。彼女の言っている事がより分かるように……
だが、風が吹いてトリエステの声はかき消されてしまった。
「わたくしの何が分かるのかしら。この三流の記者風情が」
そしてトリエステはアンダイエにグラスを掛けた。
グラスの中にはそこまで入っていなかったものの、濡れてしまうアンダイエ。
さっきまでとは違い、冷たく、冷静なものだった。
明らかな”悪役令嬢”としての姿に戻っていた。
「トリエステ……?」
この様子を見ていた賓客は、騒然となってしまう。
当然、ストラスも見ていた。
「どうぞお書きなさい、わたくしの記事を。この事だってね」
「何で……! 何で……!」
呆然としていたアンダイエであったが、完全な悪役令嬢となったトリエステに対して、感情を露わにする。
記者ではなく、かつての”__”として。
「心まで悪役になっちゃったの!?」
「ええ、どうぞお好きに解釈して。どんなに悪く書いたって構いませんわ」
激昂するアンダイエに対して、飄々としているトリエステ。今の彼女は完全に仮面を被っていた。
「アンダイエ! 戻ろう、もうすぐ式典は終わりだ」
ストラスはアンダイエの肩を引いて、トリエステから離させる。
このままでは、記者で居られなくなるかもしれない。そう思ったかもしれない。
「ごめんなさい……ごめなさい……ううっ……」
学院を出ていって、ストラスに迷惑を掛けてしまった事にアンダイエは後悔して謝罪しながら泣いていた。
「あんな事されて、侮辱されたら怒るのも仕方ない。だが、貴族や賓客が居る場面で騒いだら、悪いのはこっちとされてしまう」
「ごめんなさい……」
「もう、そんなに泣くな。アンダイエの方が背が高いから、子供が慰めているように見えるじゃないか」
確かに傍らで見れば、身長差のために奇妙に見えてしまうかもしれない。
「うん……」
「今のスゴンダ嬢はまだ、アンダイエが直接どうにか出来るわけじゃない」
「うん……」
「とりあえず、宿に戻ろう。明日もまだヴァンデミエールでの取材があるからな」
「ごめんなさい……」
二人は宿に戻っていった。
その後手帳を確認すると、アンダイエが書いた記憶の無い文章があった。
『演じきることは、救いか、呪いか。記録されるたび、舞台は続き、終幕は遠のく。でも、記録する者が居なければ、彼女の”存在”さえ、この層から剥がれてしまう』




