66.守りたいと思った、その気持ちが 【ヴェリュアン】
お互い、あまり気を使わないのだ。
だけどそれでも、ヴェリュアンはブランを敬愛し、親愛の気持ちを抱いているし、ブランもまた、ヴェリュアンには親しみを抱いている。
聖竜騎士と聖竜の関係は人それぞれだが、ヴェリュアンとブランはまさにそれだった。
世間が思うような高潔な関係性ではないが、ふたりはそれでいいのだろう。
シャロン公爵家有する別邸で、思い出の少女がシドローネだと知った彼は、翌日、シドローネよりも先に起床すると、エリザベスを訪ねた。
朝早い訪れだ。
彼女の体調もあるだろうから、断られるかもしれない、と、自身の非礼を自覚しながら彼が訪れると、しかし彼女は入室を許可した。
ヴェリュアンが何を話に来たのか、気になった、というのが大きいだろう。
ヴェリュアンは呼吸を整えてから、丁寧に部屋の扉を開けた。
彼がこんなに緊張したのは、人生で初めてかもしれなかった。
エリザベスは、ハンナに手伝われ、身を起こしていた。
ヴェリュアンはすぐに、自身の非礼を詫びた。
「……朝早くのご訪問、申し訳ありません」
「構わないわ。……どうしたの?」
エリザベスはおっとりとした声で尋ねた。
それが、亡き母をどこか、彷彿とさせる。
彼の母もまた、のんびりとしたひとだった。
息子がどんなに悪ガキで、手を焼いても、彼女はのほほんとしていた。
困った子ね、と笑い、しかし、怒るととても怖かった。
ヴェリュアンは、数年前に亡くした母を思いながら、顔を伏せた。
端的に、訪れの理由を告げる。
「今日は、謝罪に参りました」
「謝罪?」
エリザベスが、不思議に思うような声を出す。
そうだ。ヴェリュアンは、謝罪をしなければならなかった。
それは、怖い目に遭わせたシドローネだけではない。
公爵家にも──公爵、夫人にも。
彼女はきっと、とても、とても心配しただろう。
気を失った彼女を見て、記憶を失った彼女を見て。
事件が起きてから、シドローネがリラントを訪れていないのは、公爵夫妻の意向だろう。
ここを訪ねて、記憶が戻ったら良くない、と判断したのかもしれなかった。
「あの日……十年前。彼女を危険な目にあわせてしまい、申し訳ありませんでした」
ヴェリュアンが膝をつき、胸を手に当てて深く頭を下げる。
「…………」
ハンナとエリザベス、ふたりともが驚いた様子を見せたが、ヴェリュアンは頭をあげなかった。
変わらず頭を下げたまま、ヴェリュアンは言葉を紡ぐ。
「公爵家のご令嬢を危ない目にあわせて、謝罪ひとつで事足りるとは思っていません。……あの日、彼女が危ない目に──記憶を失ってしまったのは、私のせいです」
硬い声で、ただひたすら謝罪するヴェリュアンに、やがてエリザベスがゆったりとした声で言った。
「……ヴェリュアンさん。顔をあげて」
「ですが」
「顔を見なければ、お話も出来ないわ。お願い」
エリザベスにそう乞われ、ヴェリュアンが静かに顔を上げる。
それを見て、彼女は満足そうに笑った。
ハンナの手を借りて、ベッドの上に座ると、彼女は公爵夫人らしく、気品ある笑みを見せた。
病人のため、着ているものはドレスではないが、背がぴんと伸び、凛々しかった。
「……あれは、シドローネにも非のあることでした。そして、公爵家の一人娘の警備を緩めた、私と、夫の責任です」
「……しかし」
「あなたは、一緒にいて、巻き込まれただけ。……あの娘を、守ってくれようとしてくれて、ありがとう。騎士から、話を聞きました。あなたが、シドローネの代わりに、戦おうとしてくれたことを」
「…………」
ヴェリュアンはくちびるを噛んだ。
敵わない相手だとわかっていた。
それでも、逃げることはできなかった。
彼女にも、逃げろと言われた。
それでも。
彼は、正面から戦うことを選んだ。
しかしその結果、ヴェリュアンは呆気なく大人の力の前に、負けてしまった。
情けない。
彼女を守ろうと走ったのに、彼女の心すら、守れなかった。
悔いるヴェリュアンに、エリザベスが言った。
「あのひとも、同じ気持ちです。そうでなければ、あなたとの縁談など整えません」
「公爵閣下は、このことを……」
「知っています。もちろん、決まっているでしょう?……あのひとも、私も。なにより、あの娘の気持ちを大切にしたいのです。あの時、あの娘はほんとうに楽しそうで……毎日、嬉しそうだった。あなたと結婚する、と言って」
当時を思い出すように、エリザベスが瞳を細める。
だけど直後、彼女は咳き込んだ。
長く話して、無理をしてしまったようだった。
げほ、げほ、と何度も咳き込む彼女の背を、慌てた様子でハンナが摩る。
エリザベスは彼女の助けを借りながら、ようやく咳が収まると、少し苦しそうにしながらヴェリュアンを見た。
「……あの娘の、気持ちが、大切です。……私も、あのひとも。それを、忘れないで」
ハンナに視線を投げられて、退室を促されているのだと知る。
ヴェリュアンはまた、深く頭を下げた。
エリザベスとシャロン公爵は、ヴェリュアンの罪を知ってなお、シドローネと結ばれることを許してくれるのだ。
その事実を──それが、どんなに重たいものか。
ヴェリュアンは知っている。
シドローネと彼の結婚を許すこと。
それが、彼女の望みだと、分かっているから。
だから、彼らは許してくれるのだ。
ヴェリュアンのためではない。
シドローネのために。
「……ありがとうございます。必ず、彼女を……。いいえ、彼女と──シドローネと、幸せになります」
ヴェリュアンの言葉に、エリザベスがちいさく笑った。
その笑顔を見て、彼はアリアドネを思い出した。
十年前、十歳の彼女はそうやって優しく笑っていた。
年下の少年を見て、困ったなぁ、というように。
(……その笑い方は、母譲りだったんだな)
ヴェリュアンは、初めてそれを知った。
☆
そして、彼は王都に戻るとすぐにシャロン公爵を訪ねた。
シドローネの不在時に公爵に挨拶に行くと、彼もまた、エリザベスと同じことを話した。
ふたりとも、ヴェリュアンを恨む気持ちは一切なく、ふたりの未来を願ってくれた。
それが、両親を亡くしているヴェリュアンにはとてもあたたかく響いて、そして。
同じくらい、彼女を大切にしよう、と思った。
エリザベスが、シャロン公爵が、彼女を慈しむのと同じように、彼もまた、彼女を大切にしたい。大事にしたい。
──そして、家族になって欲しい、と思ったのだ。




