6.白いから、ブラン
事務室を右に曲がり、突き当たりを左に。
そうすると、いちばん手前の部屋に【第三竜舎】のプレートが下げられている扉があった。
【第三竜舎】と書かれた文字の下には【聖竜騎士・ヴェリュアン・ヴィネハス】の記載もある。
私はすぅっと深く息を吐き、心を落ち着かせる。
今から、ロザリアンの生きる神秘と呼ばれる聖竜に会うことが出来る。
普段、一般人が聖竜に会うことはほとんど無く、年に一度行われるパレードで、空を舞う聖竜を遠目に見ることが出来るだけだ。
それを、こんな間近で見てもいいだなんて。
興味と、ほんの少しの好奇心が抑えられない。
ロザリアンの奇跡、生きる神秘こと聖竜は一体どういう存在なのだろう。
聖竜と、乗り手である聖竜騎士は意思を交わすことが可能だと聞いているけど、それは事実なのだろうか。
聖竜は、ひとの言葉を理解できるのだろうか。
考え始めたらキリがなくて、気がつけば私は扉の前で長いこと考え込んでいたようだった。
不意に、扉が開く。
「あ」
「……あら」
扉はゆっくり開いたので、頭をぶつけるようなことにはならなかったが、扉を開けた本人。
──つまり、ヴェリュアンとばっちり目が合ってしまった。
扉の前で長いこと考え込み、さらには中のひとが出てきてしまうとは。
なんとも決まりが悪いが、挨拶はしなければならない。
私は取り繕うように余所行きの笑みを浮かべた。
「……ごきげんよう?」
「……ご無沙汰してます」
仕事中は、長い緋色の髪をひとつに括っているようだ。
緋色の髪を、青のリボンが鮮やかに彩る。
彼は髪を背中に流しながら、突然現れた私に戸惑ったように瞬きを繰り返した。
「王太子殿下から、あなたがここにいると聞いたのです」
「ああ、なるほど……」
彼に伝えると、ヴェリュアンは納得した様子を見せた。
そして、背後を振り返り、なにか思案するように瞳を細めた。
「来ていただいて申し訳ないのですが、場所を移してもいいでしょうか」
「それは……構いませんけれど」
嘘だ。
本当は彼の言葉にがっかりしていた。
聖竜に会うことの出来る唯一の機会だ。
ここまで来て会えないなど、残念にもほどがある。
しかし、ここで粘っても仕方が無いだろう。
形ばかりの婚約者の身で、そんな図々しいことはできない。
既に彼には、有り得ない提案をしてだいぶ──かなり引かれているのだから。
私は仕方なく、諦めることにした。
内心ため息を吐いた、その時。
「ヴォオオ……」
熊にも似た、低い獣の声が聞こえてきた。
その正体と言えば、ひとつしかない。
思わず顔を上げて、食い入るように見ると、ヴェリュアンも同時に背後を振り返った。
「え?だけど──……うわっ、ミス・シドローネ?」
なにか言いたげに彼が振り返る。
だけど、思ったより距離を詰めてしまっていたようで、かなり顔が近くなってしまっていた。
彼の驚いた顔が思った以上に近くて、私も驚きに息を飲む。
いつもある程度の距離を保ってでしか見たことがなかったが、彼の瞳は、近くで見るとさらに透明度が高いような気がした。
それが夜に瞬く光のように見えて、私は自身の抱いた感想にまた、驚いた。
「ご、ごめんなさい。……どうしても、聖竜が見たくて……」
聖竜見たさとはいえ、はしたないことをした。
私はすぐに後ろに下がった。
言い訳のように言葉を重ねるも、どうにも気まずい。
まともに彼と視線を合わせていられなくて顔を俯かせる。
驚きから冷めたのか、彼は戸惑った様子を見せながらも言葉を続けた。
「いや、こちらこそ申し訳ない。……えーと、聖竜、でしたね。……いつもなら、女性と会うことをとても嫌がるのですが、珍しく彼女自身があなたに会いたいと言っています。ミス・シドローネさえ良ければ、ブランに会いませんか?」
「……ブラン?」
私に会いたい、という言葉よりもその名前に気になった。
顔を上げると、ヴェリュアンは少し気まずそうに頬をかいてみせた。
「……いえ、その。自身の聖竜には、名をつけられるものですから」
「ブラン、というのはもしかして【白】という意味から──」
聖竜に名をつけられることも初めて知ったが、白竜にブラン、というのはつまり、白だから、という?
あまりにも安直な名付けに、まさか、と思いながら尋ねると、彼はかなり気恥しいのだろう。
男性にしては白い肌を仄かに赤く染めながら、言いにくそうにしながらも答えた。
「……そうです。安直すぎる、とよく言われます」
実際、私もそう思ったので彼の言葉を否定できなかった。
(白竜だから、白……。白だから……)
猫や犬ならまだしも、聖竜にブランと名付けたひとは今まで存在するのだろうか?
「聖竜に、ブラン。聖竜に……」
「あまり繰り返さないでください。自分でも、ネーミングセンスの無さに絶望したのですから」
「こめんなさい。でも、白いからブランって……。ふふ、ふふふ、ふふふふ!」
聖竜は、ロザリアンの生きる神秘。
国民の憧れと尊敬、畏怖や敬愛といった感情を一身に向けられる、神に等しい生き物である。
それなのに、名前は【ブラン】。
白いから。
栄えある聖竜の名がブランだというのは、あまりにも面白おかしくて、彼に申し訳ないと思いながらも笑いをこらえることが出来なかつた。
あまりにも私がくすくす笑うからだろうか。
彼は私を咎めるようなことはしなかったが、苦々しい顔をした。
「でも、良いのではありませんか?ブラン。とても可愛らしいと思います」
「あんなに笑っておいて、説得力があるとでも?」
「ごめんなさい。いえ、決してばかにしたわけではないのよ。だって、とても面白いんですもの。私は──聖竜という生き物は、とても神秘的で、恐れ多くも敬愛対象として見てきました。でも、あなたから見た聖竜は、きっとまた異なるのでしょうね」
「……敬愛する気持ちは持っていますよ。でも、親愛と言った方が強いかもしれない。どちらにせよ、まずは部屋に入ってください。……ブランも、あなたを待っていますので」
言いにくそうにしつつも開き直ったのか、彼はしっかりと自身の聖竜の名を呼んだ。
そして、扉を開いて私を部屋の中へと誘う。