54.それは、思い出したくない記憶?
その後、彼に案内されたのはそこから少し歩いた草原だった。
見渡すかぎり緑が広がっている。
先程のダクス山はあちらかしら……と考えていると、先導していたヴェリュアンが言った。
「俺たちはあの夏の日。ここで会ったんだ。……きみは突然現れた」
「そうなの……。ひとりで?」
「ひとりで」
それは……。
別邸に戻って、きっと私はこっぴどく怒られたのではないだろうか。
十年前……もう、十一年前になる。
過去の自分に思いを馳せて、私は自分のことながら苦笑した。
「天気のいい時に、ここで日向ぼっこをするのが、昔の俺は好きだったんだ。昼間は暑くて日向ぼっこなんてできないけど、朝は結構涼しくて、程よく暖かい」
私は空を見上げた。
薄くかかった雲の隙間から、力強い日差しが降り注いでいる。
今は、昼間を少し過ぎている。
歩く度に汗が滲むので、今の時間帯に日向ぼっこをするのは難しいだろう。
日傘があってもなお、結構暑いくらいなのだから。
私は頬を流れる汗を、指先で拭った。
「あの日も俺は、ここで日向ぼっこをしてたんだ。……それで」
「私が突然、現れたのね?」
振り向いて言うと、ヴェリュアンは頷いた。
ざぁ、と大きく風が吹く。
火照った体には気持ちが良くて、瞳を細める。
過去を探るようにまつ毛を伏せてみる。
十一年前の自分に、思いを馳せる。
ここで私はヴェリュアンと出会った。
私は──この場所を、知っているはずなのだ。
そう思って、思い出そうとしてみるけれど。
この場所をふたたび見渡しても、見覚えもなければ、懐かしさすら、感じなかった。
「…………」
十歳以前の記憶を無理に思い出そうとすれば、頭痛を引き起こすのは既に分かっている。
頭が痛む前に、私は記憶を探ることを止めた。
ヴェリュアンに気付かれないよう、ちいさくため息を吐いた。
やはり、記憶を取り戻すのは難しいのだろうか……。
私は俯いたまま、彼に言った。
「……ごめんなさい。やっぱり、思い出せないみたい……」
「いいよ。……俺は、ただ、きみに知っていて欲しかったから。過去の記憶を思い出せなくても構わない。ただ、シドローネには……きみには、ここで、俺たちが出会ったのだと、知っていて欲しかった」
彼は、私を責めなかった。
きっと、私たちにとって、とても大切な記憶なはずなのに。
それを、私は悔しく思った。
私もまた、彼との記憶を取り戻したい。
彼が言う【夏の日の記憶】──。
それはきっと、とても楽しくて、輝かしくて、そして、幸せな時間だったのだろう。
私は、それを覚えていない。
彼の話から想像して感想を言うしかできないなんてあまりにも……。
「私……絶対、記憶を取り戻すわ」
日傘を持つ手に力を込めて、顔を上げる。
私と視線がぶつかったヴェリュアンは、私の言葉に驚いた顔をした。
「私だけ覚えていないなんて……そんなの、悲しいもの。私は、思い出したい。十一年前、あなたとどうやって出会ったのか。どんな時間を過ごしたのか。……そして、どうして私は、記憶を失ってしまったのか」
「それは……」
「ヴェリュアン。……あなたはもしかして、私が物盗りに襲われた時──あなたもまた、近くにいたの?」
私は、十歳の夏の日に、物盗りに襲われて、転倒し記憶を失ったと聞いている。
それ以上の情報を、私は持たない。
恐らくお父様は──意図的に、それ以外の情報を省いた。
私が、思い出さないように。
ヴェリュアンと過去に会っていたなんて、私は知らなかった。
彼から教えられるまで、ずっと。
でもきっと、お父様は知っていたはずだ。
現に、お母様は知っていたでは無いか。
お母様が知っていて、お父様が知らないはずがない。
お父様は知っていて、ヴェリュアンのことを私に黙っていた。
それは、なぜか。
「……あなたのことを思い出せば、きっと私は……過去の事件のことまで思い出すのでしょうね」
お父様は、事件のことを私に思い出させたくないのだろう。
私が記憶を失うきっかけとなった、十一年前の事件。
物盗に襲われた──としか聞いていないが、そこで──もしかしたら私は。
記憶を失うような出来事があり、それで記憶を失ったのかもしれない。転倒による物理的な衝撃が理由ではなく、出来事が理由であるのなら。
記憶を失ったのは私の体による防衛本能ということになる。
そして、私が記憶を取り戻そうとする度に起こる頭痛は、その事件を思い出すことを避けたがっているからこそ、起きるものなのではないか。
私はそう、推測していた。




