46.ブランとヴェリュアンと、シドローネ
さすが、王城の料理人だ。
お肉は柔らかくて口の中で溶けそうなほどだし、スープは濃厚だ。
これはまずい。
いくらでも食べれてしまう。
私は手元のお皿に残るステーキと、小皿に盛られた白パンを見る。
お肉を食べたら、柔らかくてふわふわでほんのり甘みのある白パンも食べたくなってしまう。
これはセットの食べ物だ。
しかし、これをずっと繰り返していれば、後日恐ろしいことになる。
ただでさえ、リベルア邸や、シャロン家の別邸で盛大なもてなしを受けているのだ。
うっかり食べすぎてしまった私は、はんつきかけてようやく体型を元に戻したばかりだった。
アンナには、見た目は変わらないと言われたが、見えないところにお肉がついているのだ……!
そして、恐ろしいことに、見えるところに影響が出始めたらいよいよまずい。
顔周りがふっくりし始めたら、かなり太ったということだもの。
私はそんなことを考えながら、名残惜しくも一口一口、丁寧に味わうことにした。
あまりに切ない顔をしていたのか、彼がちいさく微笑む。
「俺の分も食べる?」
「いえ……それは、大丈夫です」
もしかして私は、ひとの分まで物欲しそうな顔をして見ていたのだろうか。
そうではないと思いたい。
緩んだ顔を戻すように咳払いすると、彼がまた笑った。
「昔からきみは、ほんとうに美味しそうに食事するよね。そこは変わらない」
「そう……ですか?」
ステーキを切り分けていた手を止める。
ずっと隠していることだが、実の所、私は食いしん坊である。
見た目は澄まし顔を取り繕っているので、周囲のひとには気付かれていない──と思いたいが、もしかしてバレバレなのだろうか。
硬直した私に、彼が不思議そうに首を傾げた。
「可愛いよ?」
「成人した貴族の娘が、人前であからさまに表情を出すなど貴族失格です……。私はそんなに、顔に出ていたのですね」
取り繕っているつもりだったが、そう思っているのはもしかして、自分だけだったのだろうか。
社交界に出てもう六年も経とうとしているのにこれでは、立つ瀬がない。
私はため息混じりに言いながら、この悪癖は直さなければ、と強く思った。
私は、美味しそうなものを見ると、とても心が踊る。
美味しい食事をしている時などは、人生の幸福を甘受している気分になるのだ。
だけど、それを人前で出すのはみっともないことで、恥ずべきこと。
私が反省していると、彼がテーブルに手をついて席を立った。
その勢いの良さに、目を丸くする。
マナー違反どころの騒ぎではないが、ここは私と彼しかいないのだし、構わないだろう。
それより、彼がどうして急に席を立ったのか、そちらの方が気になった。
瞬いて彼を見ていると、彼が慌てたように言った。
「そうじゃなくて……俺は!~~っ……。ごめん……。俺は、失言してばかりだね」
「え、え……?そんなことないわ。指摘してくれてありがとう。誰も教えてくれないから、助かったわ。自分じゃ気づけないことだし……」
これから、夜会やティーパーティーで、食事を摂る時は気をつけよう。
そう思っていると、ヴェリュアンがさらに言い募った。
「そうじゃなくて!」
その大声に、びっくりする。
驚いて固まっていると、その時。
背後から、獣の唸り声のようなものが聞こえてきた。
「ヴヴォォ……」
今度は、その声に驚く。
以前も聞いたことがある、人ならざる声。
それは──。
思わず、背後に視線を向ける。
ばさ、ばさ、と翼を広げるような音がして──声の主、白き聖竜が、テーブル横に降り立った。
聖竜──ブランは、私たちの近くに足を下ろすと、ヴェリュアンを見下ろした。
どこか、睥睨しているような様子だった。
不満ありげな──なにか言いたげなそのブランの様子に、彼が呻く。
そして彼が、苦々しく言う。
「わかってるよ、俺だって」
「…………」
(……竜と会話している?)
ひとと聖竜が言葉を交わす。
それはなんとも神秘的で、私は何度もブランとヴェリュアンを交互に見た。
ふと、ブランが私を見る。
綺麗な金色の瞳が私を射抜き、息を飲む。
その光に、強さに、輝きに──。
どこか見覚えと、痛いくらいの懐かしさと。
そして──深く、馴染むような、そんな不思議な感覚を覚えた。
これが、聖竜。
以前も見たけれど、今日の彼女は、前回よりもずっと、その瞳が雄弁だった。
なにか、伝えようとしている。
彼女の金色の瞳に釘付けになっていると、ヴェリュアンが私を呼んだ。
「シドローネ。……ごめん、責めてるんじゃないんだ。ただ、きみが……可愛かったから」
「え……。あ」
彼に話しかけられて、ようやく彼と話し途中であったことに気がつく。
それほどまでに、ブランの瞳は力強く、魅せつけられるなにかがあった。
綺麗、という感情と、同じくらいの、畏怖。
ヴェリュアンは、ブランと意思疎通が出来ているというが、それが信じられないほど、聖竜というのは神秘的な生き物だった。
それはきっと、森林の奥で見るユニコーンや、妖精を見ても同じ感想を抱くのだろう。
どこか現実味がなく、それでいて生物の違いをはっきりと理解させるような畏怖を、感じる。
私はヴェリュアンの声にようやく我に返り、彼を見る。彼の言葉も、申し訳ないことに右から左に流れてしまった。
私は、ステーキを切るためのナイフを掴んだままの体勢で、彼に言った。
「……ごめんなさい。あの、聞いてなかったの……。もう一度いいかしら」
「え」
「え?」
尋ねると、彼が白い頬を真っ赤に染めて私を見た。まるで、真夏の空の下、長時間太陽に当たっていたかのようだ。
私は狼狽えてヴェリュアンを見た。
「顔が赤いけれど、大丈夫?料理に、お酒は入っていないわよね?」
「…………酒は飲んでないし、俺の顔が赤いのは酒のせいでもないから。気にしないで」
ヴェリュアンはそう言って、口元を手で覆って隠してしまった。
ブランの黄色い鱗で覆われた竜尾が、ゆらりゆらりと揺れた。




