36.夜の約束
私の質問は、すぐに答えられた。
「はい」
「どうして……」
「……俺は、ずっと想ってきたひとがいました。その想いだけを頼りに、俺はこの十年励んできた。聖竜騎士になれば彼女に会えるかもしれない。いや、たとえ会えなかったとしても、きっかけのひとつにはなるかもしれない。その可能性にかけて、俺はこの十年過ごし……結果、この座を……聖竜騎士、という肩書きを得ました」
「…………」
私は沈黙を守り、彼の話を聞いた。
ヴェリュアンは、帯剣している剣の柄を手で覆うように掴みながら、カーペットを見つめていた。
「だけど、あなたに会ってから度々考えることがありました」
静かに、彼は言葉を続けた。
「俺は、彼女だから想っているのか。それともただ、過去の記憶を、思い出を、守ろうとしているだけなのか。……今、彼女と会って、果たして俺は……昔のように、振る舞えるのか、と」
その時、扉が控えめにノックされる。
私がそちらを見ると同時、扉の外から声が聞こえてくる。
「失礼します。アンナに代わり、参りました」
アンナが言っていた代わりのメイドが到着したのだ。
時間切れだ。
もともと、この短い時間内で話すのは難しいだろうとは思っていた。
私は扉から視線を外し、ヴェリュアンを見た。
「話は後日にしましょう。……メイドに聞かれたら、困ります」
彼の話は気になるが、メイドの前でできる話でもない。
仕方なく言う私に、彼が静かに答えた。
「では、後ほどあなたの部屋を訪ねます」
「えっ……?」
思わず、動揺の声がこぼれる。
彼は私を真っ直ぐに見ていた。
いいのだろうか。
火を落とした夜中に、彼を部屋に入れるなど。
私の頭の中に、彼と結んだ契約事項が思い浮かぶ。
その契約事項があったからこそ、私は彼を無条件に信用することができた。
彼の人間性も、私は信用しているが、それ以上に契約を結んでいるのだから、という気持ちが大きかったことは否めない。
あの契約がある以上、彼は私に妙なことはしないだろう、という思いがあったのだ。
だからこそ、私はリベルア邸でも、彼と同じ部屋で夜を明かすことができた。
彼は、契約を白紙に──つまり、無かったことにしたい、と言った。
あの契約は、無効にしたいと。
彼の狙いがなにか掴めないながら、その状況で深夜の部屋に招き入れるのは、さすがの私も躊躇ってしまう。
私の躊躇いが伝わったのだろう。
彼がうすく苦笑した。
「お母君のいるこの城で、あなたの信頼を損なうような真似はしません」
その言葉に、ほんの少し安堵する。
それでも素直に頷けるかといったら、話は別で。
戸惑うように視線を彷徨わせる私に、重ねて彼が言う。
「話をするだけです。ですから、どうか」
「…………あまり遅くない時間で、話が終われば部屋に戻ると、約束していただけるなら」
「聖竜騎士の名にかけて」
彼が胸元に拳を押し当てて、騎士の礼を執る。
騎士の誓いをした以上、彼はその言葉を違えないだろう。
彼には、騎士としての矜恃がある。
私はようやく、細く息を吐き出した。
そして、扉の外で待たせているメイドに声をかける。
「ありがとう、入って」
私が声をかけたと同時、ヴェリュアンが扉に向かった。
不思議に思っていると、彼が扉を大きく開き、メイドに言った。
「私は部屋に戻ります。私の分は、彼女に」
「え?あ……」
メイドは困惑した様子を見せていたが、ヴェリュアンはそのまま部屋を出ていってしまった。
そして、二人分のハーブティーを用意してくれたアンナが戻ってくると、彼女は目を瞬かせて私に尋ねた。
「あら?ヴィネハス卿は部屋に戻られたのですか?」
「……なにか、用事でもあったのかしらね」
誤魔化した私に、アンナがますます不思議そうな顔をする。
「せっかく、リラックス効果のあるハーブティーを淹れましたのに……。リラントでしか採れない、特別なハーブだそうです。お嬢様はいかがしますか?」
「ありがとう。お願い。あ、お砂糖は多めでお願いね」
こんな時間だが、今日くらいはいいだろう。
なにせ、この後も私は彼と話さなければならないのだから。
彼が何を言おうとしていたのか、その真意が掴めない。
この後、彼は話してくれるのだろうか。
何を考えているのか、どうして『契約を白紙にしたい』と言ったのか。
その理由を。
私はアンナが淹れてくれたハーブティーを見つめながら、小さく息を吐いた。
夜も更けてきているが、まだ夜は、終わらない。




