3.それは互いを縛る契約書
ある夜会で、また彼と会った。
今日は【魔物祓い】の祝祭だ。
大昔、聖竜騎士が魔物の大群を屠ったとされて、祝いの日と定められている。
独身で若い聖竜騎士となれば、注目の的で、話題の中心人物だ。
現に彼は、様々なひとに声をかけられ、娘たちには秋波を送られていた。
もっとも、後者の視線には疎いのか、彼は声掛けを断ると、娘たちには見向きもせずに、視線をめぐらせた。
ぱちり。
私と視線が交わると、彼は一目散に私の元にやってきた。
既に私と彼の婚約の話は、社交界で噂になっている。
周囲の令嬢が「まあ」「あら」という声を上げる。
彼はそれに気がついているのかいないのか。
何となく、後者だろうな、と感じた。
彼は私の前に立つと、すっと跪いた。
「お相手願えますか?」
ちょうどおりよく、舞踏曲は終わりを迎えていた。
すぐに次の曲が演奏され始めるだろう。
私は、彼の手を取った。
「喜んで」
彼にエスコートされ、ホールに向かうと、彼は視線を前に向けたまま、言った。
「先日のお話ですが」
「はい」
やはりきた、と思った。
今日の夜会、いつもならヴェリュアンは早々に退室するのに、珍しく長居していると思ったのだ。
長居といっても、まだ夜会が始まっていくばくかしか経っていないが。
さすが聖竜騎士爵を叙爵されただけあって、女性のエスコートは身についているようで、彼は危うげなく私の腰に手を回した。
音楽が奏でられ始めると、慣れた様子でステップを踏み始める。
スムーズな彼の動きに、少し驚いた。
「あなたは、この婚姻が仮初のものでも構わないと仰る」
「はい」
「それは、真実ですか?」
「私の胸に誓って」
「……正直に言うと信用出来ない。結婚してから、言うことが逆転する可能性もありますから」
彼も、彼なりに色々と考えたのだろう。
眉を寄せ、難しそうな顔をするその表情を眺める。
「……では、契約書を作りましょうか」
「契約書?」
ヴェリュアンが、驚いた様子を見せた。
私は頷いて答える。
他のひとには聞かれないように声を潜めて、言葉を続ける。
「署名と血印を押し、いざとなったら──契約を反故にした場合、大きな一助となる契約書です。内容は後ほど詰めるとして、これは大きな抑制力、信用に繋がるのではないかしら」
「……血印とは、ずいぶん思い切ったことを言いますね」
なにやら彼が思い悩むような──やや及び腰に、私に引いた様子を見せた。
だけど私は、彼に構わず言葉を続けた。
「あら。ヴィネハス卿は私を疑っていらっしゃるのでしょう。であれば、あなたに信用してもらう必要がある以上、手段は選んでいられませんわ。私も、あなたに協力してもらう必要がありますし」
「あなたは、私が思った以上に豪胆な方なのですね」
「……それは、お褒めの言葉として受け取らせていただきますね」
くるりとターン。
ふわりとドレスの裾を翻して、私はにこりと貼り付けた笑みを浮かべた。
『見た目からは想像もできないほど強かな女だ』
それは私の内面をよく知る父の言葉だ。
親戚も、私の性格を知ると渋い顔をする。
『薔薇は、愛でられるだけの存在だ。実際に手に取り、慈しまれるのは、棘のない可憐な花々だ。お前は少し、棘が強すぎる。それでは、夫に愛想を尽かされるぞ。少しは愛嬌というものを身につけなさい』
そしてこれは、以前親戚に言われた言葉。
おそらく、ファオール伯爵について肯定的な言葉を返さなかったことを窘められたのだろう。
思ってもいないことを口にするのはもちろん、違法行為に手を染めている男の妻にはなりたくなかった。
私は私の感情を優先しただけだ。
だけどそれが、親戚には反抗的な態度に映ったらしい。
曲の最後の音が奏でられ、彼とのダンスが終わった。
私は返答を促すように彼を見た。
視線がぱちり、交わる。
「……後日、シャロン公爵家を訪れます」
どうやら、彼は私の提案に乗ったようだった。
私は自身の勝利を悟り、目を細めた。